はっきりと正しいって、良い
こんばんは、まごっとです。
私が友人のSukesan1984とやっているPodcast「人生の品質向上委員会」で話していて、ふと気づいたことがありました。
私は、はっきりとしたものが好きである、と。
格闘技のルールの話になって、人の判断が入る余地がより少ないものが好きで、サブオンリーが好きだなと話しました。
考えてみると、逆に言えば私は事実誤認が大嫌いです。
人間は、事実誤認ができる珍しい存在です。
さて、これは何でしょうか?
答えは「りんご」です。
しかし、人間は「これはいちごだ」と主張することもできます。
これは事実誤認です。
実は、我々の生活においてこういうことはもう数え切れないほど起こっています。
私は事実誤認が本当に許せなくて、平然と事実誤認を続ける・訂正しようとしない、というのは滅多に怒らない私を着火させうるレベルの重罪です。
全部が全部事実誤認ということではありません。
りんごとバナナ、どっちがおいしいか?というのは好みの問題です。事実判断の余地がありません。
好みの問題は良いです。みんなそれぞれ好きなものがある。これで結論が出て終わりです。
問題は、事実判断についてなのです。
私のルーツを考えてみると、私は20年以上西洋哲学に触れていて、私の思考パラダイムは西洋哲学であると言っても過言ではないしょう。
西洋哲学は一般的に超絶ざっくり言うと、ソクラテスから始まると言われています。
ソクラテスは当時古代ギリシアで流行っていたソフィストという弁論術家の「価値相対論」に対して
「そうじゃなくね?ちゃんとした確固たる真理ってものがあるんじゃないの?」
と主張した、とされています。超大雑把に言うと。
時代は2000年以上流れ、私も古今東西さまざまな学問・思想に触れて、結局ソフィストが正しかったんじゃないかと思う部分もありますが
どちらかが正しい・間違っているというわけではなくて、結局は弁証法的に止揚されたところが最も説得力あるのではないかと現在私は思っています。
浄土真宗によれば、「凡夫、つまり人間は阿弥陀仏に比べれば本当に非力である」ということですし
私が(自称)相当詳しいアドラー心理学でも「人間は自分が付与した意味の中で生きている」という仮想論が基本になっています。
でも、これはこれで一つの真理の表明形態ですし、より大きな次元で真理というものを考えれば、矛盾はしていないでしょう。
さて、これまたすんごいざっくり言うと、現在のアカデミック・学問というのは古代ギリシアにルーツがあり、あらゆる学問はそこから発した、と言われています。
結局その学問にとって根底で共通しているのは、「真理を尊ぶ」という姿勢ではないか、と思っています。
それは哲学の古代ギリシア語である「フィロソフィア」、日本語訳にすると「知を愛する」ということです。
仏教の釈尊も「我々は無知、つまり無明に支配されがちで、正しいことを知って学んで行えば煩悩はなくなる」と言っていますので、この真理を尊ぶ姿勢というのは古代ギリシアがルーツの西洋の学問の系譜だけではなく、東洋の学問・思想系譜でも共通することがある、と言ってもよいでしょう。
結局、本当の学問とは残酷な結論であっても真理を見つける・そして受け入れる、ということではないかと思っていて
それこそがこの世界で生きる、ということではないかと思っています。
だから、私はアカデミックの人間が平然と事実誤認を続け、自身の社会的地位の向上のための権力闘争をしているのが超絶嫌いです。
「真理を尊ぶアカデミックの人間じゃなかったんか?!?!?お前の言論は単なる口喧嘩だったのか?!??!」となります。
さてさて、格闘技の話に戻りますと
私がやってるグラップリングは基本的に事実誤認が少ないスポーツなのが良いと思っています。
現代の学問ですと、真理を見つけるというのは非常に困難なレベルになっています。
例えば、Aという食品を毎日食べたらどうなるのか?
その答えを出すためには、統計的・科学的・医学的に徹底的に検証する必要がありますし、素人ではまずその検証は無理です。
これは医学も同じことで、Bという薬が本当に何に効くかは、検証が難しくて、相応の期間とふか~~~い見識が必要になります。
それに比べて、グラップリングはわかりやすいです。
●分スパーした。どっちがタップした。だから、どっちのほうが強い。
はっきりと事実に至るまでの期間が短くて、その結論に口を挟む余地というのは超少ないです。
打撃だと練習だとガチだとできないし、サッカーだと90分メンバー22人集めてやる必要があるので難易度が段違いです。
つまり
どっちが 強いのか はっきりさせろ!!
ということで、グラップリングはしっかりとはっきりさせられる、ということです。
「一回スパーしただけで本当にはっきりなるんかい」
というツッコミがあるかとおもいますが
私が好きな格闘ゲームでも同じことが起きていて「数試合負けたからって本当に格付けは完了するのか?」という永遠のテーマがあって
その永遠のテーマに対してさまざまなルールが考案されました。
結局は、たしかプロゲーマーのこくじん氏が
「いくら試合で負けたって『あなたには一生敵いません、負けました』と言わない限り格付けは完了しない」
ということをすごい前に言っていて(超絶あやふやな記憶なので全然違うかも)
グラップリングでも同じことが言えるかもしれません。
が、しかし、そのスパーにおいてタップしたという事実は揺るぎないもので、ここに事実誤認の余地はほぼゼロでしょう。
逆に言うと、正直言って、IBJJFルールは事実誤認の可能性がすごい高くて嫌いです。
最近だとIBJJFの審判が賭博のために事実誤認、つまり嘘のジャッジをしていた、という説も出ています。
実際にいわゆるホーム判定とか、謎判定で失格になったりした選手も多々いると思います。日本人選手が謎ジャッジで負けたという話もよく聞きます。
その点、サブオンリーだと事実誤認の余地がすごく少なくなります。
また、グラップリングの技術も真理探求の過程である、と言えるでしょう。
ある技をかけてうまくいかなかった。ちゃんと調べてディテール詰めてやったらかかった。
この仮説と検証、そして答えが世界からはっきり返ってくる過程が学問とそっくりなのです。
ということで、私ははっきりと正しいことが大好きで、その点グラップリングがぴったりということでした。
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