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考えるという事

「考える」

それは様々な場面、使い方によって意味は異なる。
この単語に限らず、日本語は本当に場面や使い方に依存する言語だと思う。

自分にとって「考える」というのは、自分の中で考えを反芻し、自分1人で結論を出す事を意味する。
そのせいか、よく哲学的な事を考えることが多い。
歌詞を一つの例に挙げてもそうだ。
歌詞を読んで自分で理解を深めて自分なりの理解をつける。

初めこそ、それが自分にとって必要だったものだが、今では一種の趣味にもなってる。
大学時代は六畳の部屋で、今では七畳の部屋で。
頭を回して必死に理解する。

哲学なんて、今では意味の無い、歴史を追いかけるだけの終わった学問だと思うけど。
それでも、人が人として生まれた以上、さらに言えば考えることの出来る生き物に生まれた以上、必ず取り組むべきものだと個人的に思う。

便利に成り続ける世の中で、それだけがその人の存在価値になると思うからだ。
いくら仕事に価値を見出しても、いずれその仕事は便利な何かに居場所を取られる。
その中で自分を支えるのは、自分の考えだ。
何かの所属している自分や誰かのための自分ではなく、自分が何なのか、それだけが自分を支え、生きる力を注いでくれる。
そんな風に思うのだ。