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悩みが紙くずになって、建築になって、鞄になったはなし / BAO BAOのデザイナー 松村光さんの話をきいて

このまえ、BAOBAOのデザイナーである松村光さんのレクチャーに参加した。AAFという関西のNPOが開催しているもので、今回はその松村光さんと建築家の平沼孝啓さん、ISSAY MIYAKEの社長を務めた太田伸之さんの3人による対談。服のブランドとかって、なんでこんなに高いのかがパッと見でわからなかったりしてこれまであんまり興味を持ってこなかったけど、服をデザインする松村さんの思考や人生に触れると途端に興味がでてきてしまうもので、知ることってやっぱり大切ですね。

松村さんのレクチャーの中で一番おもしろかったことは、あのBAOBAOのカバンがもつ自由な形状は建築家フランク・ゲーリーのグッゲンハイム・ビルバオから発想を受けて作られたというところ。

このグッゲンハイム・ビルバオはポストモダニズム建築におけるフランク・ゲーリーの代表作。であるけれど、ゲーリーがイケイケのときの作品というわけではなく、40代で自邸を発表し人気を博したゲーリーが、その後20年ほど脚光を浴びず苦悩していたころの作品。何を作っていいかわからなかったゲーリーは紙をくしゃくしゃにして、そこでできた形から発想をうけてチタニウムで覆われたあの自由な形状を製作したそうだ。

このゲーリーの代表作が世界を震撼させている頃、松村さんは日本でISSAY MIYAKEのデザイナーとして働いていた。前作のGOOD GOODSシリーズの売れ行きが低調だった松村さんは、ゲーリーのように自分自身のあり方に悩んでいた。これまでのファッション業界への反省から「デザイナーが形を考えるのではなくて、デザイナーを介さずとも自由な形を生み出せるシステムのようなものがないものか」と考えていた矢先にグッゲンハイム・ビルバオをみてインスピレーションを受け、BAOBAOシリーズが誕生したらしい。このシリーズは誕生して間もなくMoMAに取り上げられ、瞬く間にヒット商品となった。太田さんに言わせればBAOBAO、Onitsuka Tiger、PLAY COMME des GARCONSは現在の日本のファッション市場で海外の客を含めて圧倒的な売り上げが計算できる3強らしい。松村光さんのBAOBAOシリーズは、服ではなくカバンであるけれど、それでも三宅一生が掲げる「一枚の布」というコンセプトを引き継いで、それを新しい形で表現したものになっているという点も興味深い。

ビルバオという土地が反政府勢力の拠点で、テロなどの暗いイメージの敷地だったところを、建物1つで地域のイメージを変えてしまったグッゲンハイム・ビルバオと、瞬く間に世界中の人を虜にしたBAOBAOは、建築と衣服という異なる畑にありながらも00年前後の同時期に、多くの人々の心をとりこにし、一種のファッションとなった。松村さんが中で、流行になる、ファッションになる、ということは人の心の本能的な部分に働きかけることといったような言葉を発していたが、これらの2つの作品はどうしてそこまでして人々の本能に働きかけることができたのだろう。

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ゲーリーの苦悩によって生まれた一枚のくしゃくしゃになった紙屑が、やがて建築となり、多くの人々の足をビルバオへと向かわせ、そのインスピレーションは海を越えて日本まで伝搬し、世界中から人気を博すようなカバンを生んだ。という状況を考えると、たいてい建築は社会の最後尾にいて、他の産業の発展に遅れて付いていくものだけれど、ゲーリーの作品は異次元だったのだと改めて感じることができる。また、BAOBAOのカバンに宿されたコンセプトがとても建築的であり、モールド形成と高周波ウェルダーという技術を掛け合わせることで生み出された偶然が作り出すBAOBAOのカタチは、ものが入って初めて外形が作られるという表裏一体の皮膜になっているところがおもしろい。

松村さんの話を聞いて、これはとても独断的な意見であるけれど、多くの心を掴む人工物にはやわらかさが必要なんだろうということをなんとなく感じた。SANAAが使うあの曲線や隈研吾のルーバーによって作られるファサードも、ある意味とてもやわらかく、そのやわらかさによって今まで結びつくはずのないものを結びつけることができる。ここで話が一気に手前みそへと急降下するけれども、そういえば自分も今回の対談の主催者であるAAFによって開かれたワークショップでやわらかさについて考えていたことがあったことを松村さんの話を聞きながら思い返していた。

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伊勢神宮の前に立つ鳥居のフォリーで、このときは伊勢神宮が持つしなやかな歴史的強度を形に落とし込もうとしたのだけれど、その結果、素材がもつやわらかさに注目することになった。やわらかさというのはその背後にある何かを伝える力があるような気がするし、建築や空間がもつやわらかさやしなやかさについては今後も考え続けていきたい。

人の心を掴むような形態とはなんだろう。青木淳がいうボヨヨンという単語も少しやわらかいことと似ている気がするし、モノとモノをつなぐために、やわらかさという単語が1つのキーワードになり得るのかもしれないと、松村さんの話を聞きながらそんなことを考えた。

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