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岸谷香 感謝祭2023 ライブ評

「岸谷香」と聞いた時、頭に大きなクエッションマークが浮かんだ。そうか、奥居香が岸谷五朗と結婚したから岸谷香なのだ。そんな単純な問いに私の脳は立ち止まってしまった。結婚した時は話題になったよなあと、脳内が中学生時代に振り戻っていた。振り返ってみると「Diamonds」のシングルリリースが1989年4月21日。当時、私は13歳。中学生1年生でした。あの頃はみんなお小遣いで「Diamonds」のシングルCD買っていたのではないだろうか。中学生時にはまっていたのは、ザ・ローリング・ストーンズ、ビートルズ、ビリー・ジョエルと、中学生にしてはシブいアーティストに耽溺していた訳だが、そんな私にもプリンセス・プリンセスは聴いていた。
「世界でいちばん熱い夏」は「Diamonds」より前の曲なんだね。とウィキで調べたりした。Diamondsはバブル期を象徴する一曲ではなかろうか。いまだに、カラオケでも歌われている。そして中学の合唱祭で「M」を歌ったのを思い出した。何故私が岸谷香さんのことを話題にするのか。
令和5年2月23日。天皇誕生日のこの日に、プリプリのヴォーカルであった、岸谷香の感謝祭に、ふと、思いがけないことに、とある友人から御招待を賜ったのである。私は中学生時代の人脈は一切切り捨てているので、当時を語り合う人はいないが、「岸谷香」のライブを鑑賞するということは、ある意味、同級生と再会することと同意義だなと感じた。やはり、13歳といえば、恋に夢想する時である。プリプリは我が青春のバックミュージックと言っても過言ではあるまい。思ったよりも男性客が多い。バブル世代に若者だった方々の参加が多く思われた。
やはり私個人で盛り上がったのはやはり「Diamonds」であった。脅威であったのは、あのハイトーンボイスが色褪せることなく、きちんと歌えていることである。数分間心は中学生に戻っていた。
そしてゲストが豪華であった。私は最近の芸能界に全く明るくなく、正直「藤巻亮太」と聞いても、無知からか「誰?」状態であった。しかし、さすがの私も「粉雪」を聴いた瞬間、「あ、知っている!」と思ったし、レミオロメンのバンド名は聞いたことがある。実力派ミュージシャンであった。「ああ、ミュージックステーション」て聴いたわ、と1人悦に入るのであった。
意外なゲストといえば、荻野目洋子であろう。小学、中学校時代に耳にタコが出来るほど聴いたものだった。テレビで。調べてみたら岸谷香さんより、歳下なんですね。会場が六本木だからか、「六本木純情派」で会場のボルテージは一気に上がる!そして、ウクレレを持ちながら、岸谷香とハモる姿は神々しく感じた。やはり「ダンシングヒーロー」でも会場の熱気は最高潮に。80年代の曲はやはり力があります。高度成長、バブル期と時代は好景気で、外で消費して遊ぼうという気持ちを皆持っていた時代ですし、大人になって体験できなかったバブル時代を、このライブ会場で追体験できたことは貴重な体験になりました。
そして、最後にプリプリの名曲「M」を最初に荻野目さんが歌い、藤巻さん、岸谷さんと歌い継ぐ構成は涙ものでした。もう30年以上前の曲なのにパワーを失わないのは、阿久悠先生の曲が今でも歌い継がれているのと、同意義なんだと、「音楽」で体感できた、感動的なことだと再認識した次第であります。
また、機会があれば岸谷さんのライブで元気を貰いたいと。56歳に見えない、全く変わらない岸谷さんに乾杯

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