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永六輔と三島由紀夫。

 永六輔の名前を聞くとある意味、郷愁に似た甘酸っぱみ気持ちになる。
 皆様も同じ心境ではないだろうか。名ピアニスト、作曲家である中村八大との名コンビで生み出された綺羅星の如く、名曲の数々。坂本九の『上を向いて歩こう』、ジェリー藤尾の『遠くへ行きたい』など曲の名前を挙げれば枚挙にいとまがない。
 江戸、明治文化を語らせれば小沢昭一と並ぶ。青島幸男と肩を並べる素晴らしい放送作家。そして昭和30年代を象徴する文化人である。
 永六輔といえば、基本政治的に左派であり、平和活動に邁進していたイメージが強い。先に挙げた『上を向いて歩こう』も、安保闘争に打ちひしがれた永六輔が「下を向いてはならない、上を向いて歩こう」と考えて作詞した話は有名である。永の思想と対極にある政治思想を持つ文化人、作家といえば三島由紀夫である。
 永と三島由紀夫は接点があった。永はラジオ番組で三島由紀夫との交流を話している。風貌が似ていた為に、よく間違えられた。署名本の代筆をした、等のエピソードである。しかし、後年の著作では三島由紀夫との交流をほとんど書き記していない。私は良い永六輔研究家ではないので、全ての著作を把握している訳ではないが。永はラジオでは三島との思い出を話しているが、もっとも露出するテレビや書籍では、それを隠していたのである。
 しかし、偶然古本屋で昭和38年9月15日に株式会社桃源社から発行された『あの日のあなた』で、永と三島由紀夫がどの様に接点があったのか、その痕跡が記されていたのである。昭和36年5月1日から昭和37年4月21日までの永六輔と著名人との交流が詳細に活写されており、戦前、戦後の文化人の入れ替わりを追体験することが出来る。
 話は戻るが『上を向いて歩こう』のシングル盤が発売されたのが昭和36年10月15日である。ステージで歌われたのは昭和36年7月21日産経ホールで行われた中村八大リサイタルである。永は舞台監督を務めていた。
 その時の坂本九の様子を書いている。
「70人ものオーケストラともなると一流の歌手でもあがってしまうものらしい。
 水谷良重サンが真剣に手の平に「人」という字を書いてなめている。坂本九・森山加代子両君は顔の色まで青ざめている。
 それでも舞台に出るとチャンと歌うのだから立派だが、初めからモッソリとビクともしなかったのが歌手ではない加山雄三クンだった。
〈この日、始めて『上を向いて歩こう』が歌われた。〉」
 と臨場感たっぷりに書いている。永六輔全盛期の始まりである。
 そして三島由紀夫との交流について語りたいと思う。三島は昭和34年に結婚しているが、かつて交際していたのではないかと噂されていた、越路吹雪との邂逅も綴られている。
(昭和36年※筆者)十一月二十一日(火)三島由紀夫サン
「越路吹雪サンの再演 『モルガンお雪』をみにいったら、三島サンと逢う。
 以前から、僕は三島サンとよく間違えられ、去年は演舞場で完全に三島由紀夫として扱われたことすらあるほどである。
 一緒に越路サンの楽屋に行く。
 越路さんは両肌脱いで化粧直し。ステキだった。(色っぽい女性が両肌脱いでいるのに、ステキでなけりゃ入院するべきだ)
 浴衣の両肌を脱いで、鏡台の前に立膝をついてる越路サンに話しかける三島サンが、べランメェ口調だから、ニューヨークでアメリカ人がやっている歌舞伎を見ているようで、面白い雰囲気だった。
「舞台がグルグルまわるってェところが、面白ェや、ありゃァ、いいもんだぜ」
 三島サンは主演女優を前にして、舞台機構ばっかりほめていた。
 他に客席に、有吉佐和子サン、森田たまサン、岡本太郎サン、芦原英了サンなどの姿を見かける」
 と書いており、情景が目の前に浮かぶようである。
 もう一つのエピソードも興味深い。
(昭和37年※筆者)四月十五日(日) 岡本太郎サン
 正確には午後1時。
 六本木のさる邸宅でツイスト・パーティーがあって久し振りのドンチャカ騒ぎ。  
 渥美清クンと行ったのだが、豪華な大理石のフロアーで、ツイスト、そしてリンボー。
 三島由紀夫サンが、派手な横縞のシャツにペンダントを光らせて踊っているのをはじめ、知名人がテンシンランマンにツイストを踊っている中で、最もエネルギッシュだったのが、前衛画壇の闘将岡本太郎サン。
 いつも若々しい生活態度には驚かされる。
 独身主義ということからくるのかもしれないが、これを見て、負けじと踊り出した渥美クンは、どういうわけだか、身体が動かず、洋服だけが左右にゆれるという妙なツイストで楽しかった。
 仕事に追われて悲鳴をあげているときだったが、大変な息抜きになって、逆に仕事がはかどった。」
 永六輔と渥美清はNHKの伝説的番組『夢であいましょう』等で、密接な友人関係を築いた。この記述は『男はつらいよ』、車寅次郎前夜の貴重なエピソードで、三島由紀夫と渥美清が同じ空間にいたのも感慨深い。
 この時期の三島は政治的意見表明をしておらず、思想が違う永六輔とフラットな交流をしていたことが窺える。
 その後の三島が民族的活動、『英霊の聲』等の世間では右傾化と受け止められた、作品を発表し楯の会結成で永と疎遠になったことは想像にかたくない。
 永は三島由紀夫との交流をラジオを除いた舞台では基本的に封印してきた。
 『あの日のあなた』で、その残滓を活字で確認出来たのは収穫であった。今後もこの本には当時の永六輔と沢山の芸能人とのエピソードが語られているので、折に触れてブログで紹介していきたい。
 乞うご期待。



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