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勝手に超越体験(3)告白・超越的体験とクオリアと超弦理論についての持論

前回まで

一人恋に落ちた私が「愛とは何ぞや」と問い始めたときから始まり、授業中に突然 意識が飛んだところから、前回の5次元(意識)の世界観とスピリチュアリティについて腑に落ち、地球から離れていく細かい光子のような微粒子の潮流に乗ったところまでのお話でした。

いつの間にかに光の粒子の集合体に

光子の中でもいろいろなサイズがあり、ダイヤモンドダストのように軽やか気舞い上がるようなものもあれば、柔らかくまだ人格を残したような微粒子の集合体のような・・シャボン玉のようなものも共に上がっていくと、何か私の右側後ろに気配を感じました。自分もどうやら擬態をしているようで微粒子なのかその集合体のようなシャボン玉なのかのように軽やかに他の光と共に飛んでいると、何か自分の横にツアーガイドさんのように寄り添って飛んでいる何かがいました(感覚的には光る微粒子の集合体であるのは変わりません)

たくさんの光の玉がふわ~と飛び飛び進んでいるとなんだか 明るく楽しい雰囲気に包まれました。不思議なことに何か「聞こえる」ような感覚がします。 音です。ピアノやヴァイオリンなどオーケストラのような音だったり、ギターやお琴まで、さまざまな音やメロディが聞こえ始めました。

その中で、慣れてくると、私が子供のころに聞いたクラシックの名曲がはっきりと聞こえ始め、私が「これ知ってる!」と思ったとき、光の微粒子の集合体が作る残像のようなバッハだったりモーツァルトだったりが見えるような気がしました。その時も彼らはあくまでも魂の一部であり、この世界にアクセスできた人達だからこそ彼らが紡ぎあげられた曲の数々があるんだ腑に落ちました。

ここに見えているモーツァルトやバッハは「私」が認識できる形に映っただけであって、彼らの他にもたくさん音楽の天才たちの残像が浮かんだり消えたりを繰り返しながら、光の粒子はメロディにのって漂っていました。そしてほかの人間としての部分はここにはないのもわかりました。

6次元は音楽の世界だった

そこに流れる曲のすべては、バラバラにそして同時に流れていて、不協和音にならずにチューニングすれば聞こえ方を変えることができました。いろいろな楽器とメロディがそこに存在しているだけなのです。作られたものがここに聞こえる形として残ったのか? それとももともとあったものなのか?と尋ねられたら、人間界では彼らは、ただ聞こえたままそれを書き写したとしか言えないだろうと思うしかなかった。

明るい音楽、暗い音楽、悲しい音楽、革命の音楽。それぞれの音楽に合わせた波長と振動と明暗。 これが音楽の次元なんだ。。広い広いはてしなく広い音楽の世界。 ずっと音にならないメロディーを奏でる粒子よりも細かい光を振動させる不思議な次元。

ガイド役の光の玉に促されるようにして、はてしない音楽の次元から次の世界にどういうわけか 私たちは移っていきました。

次回(4)へ続く

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