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マイスター・エックハルトの禅の勧め

先日、友人から紹介されたニーチェのツァラトゥストラの感想文を書かせていただいた。 

ニーチェ=ニヒリズム 「神は死んだ」という言葉だけが独り歩きしていて、「ネガティブな人なのか?」とか勝手に想像していたところがある。 まさか、ニーチェがゴータマ・ブッダや古典インド哲学に傾倒していたことも知らなかった。

日課になっている般若心経の写経をずるずるやりながら、鈴木大拙禅師の「禅の思想」などをゆっくりゆっくり一行ずつ読み進めることが、このコロナ禍の楽しみ。

すると、第2章に「エックハルトの眼」という章があった。 

内と外を同時に見られる眼を持っているというエックハルトの説明があったけれど、いったいこの人が誰かわからないので、Wikiをググった。

なんと、(Meister Eckhart, 1260年頃 - 1328年頃)は、中世ドイツ(神聖ローマ帝国)のキリスト教神学者、神秘主義者。(wiki)

おやおや。。。神秘主義

キリスト教神学者にして、教会から異端とされていた。

読めばそのまま「仏教に近づいていく」と書かれている。なので鈴木大拙禅師もエックハルトには 個人と超個の眼を持ち合わせた賢者だと紹介したのだと理解できた。「日本的霊性」と「神秘主義」は同一ではないはずだけれど禅的思想がオーバーラップして見えます。

そして、、エックハルトが影響を与えた人物として、ニーチェの名前が。

腑に落ちる流れ。。。

「悟り」

本屋に行ったら、大竹晋仏教博士の「悟り体験」という本を見つけたので、斜め読みをしてみると、ニーチェはたどり着けなかった人なのかもしれないと想うしかなかった。

ニーチェの「ニヒリズム」の「ニヒル」というのは「無」であり、「虚無主義」と日本語で訳された。

そのニヒリズムがエックハルトのいう「無」であるならば、決して「虚無」ではなかったはずなのに。。。エックハルトの無は「般若心経」の「無」ではなく「涅槃」の無であっただろう。 ニーチェは、行きつかなかったのではないだろうか。 エックハルトの「無」にはたどり着かなかったと考えれば腑に落ちた。 なぜ、彼が「精神崩壊」への道を歩んでしまったのか。

新しい学び

今まで全く知らなかった偉人達の言葉がすっと入ってくるようになった。
求めよさらば与えられんとはこういうことなのかな。。と

アリストテレス、ゴータマ・ブッダ
ペリクレス、アナクサゴラス
鈴木大拙、西田幾多郎、
盤珪永琢、白隠慧鶴
シュタイナー、アドラー、
エックハルト、ニーチェ、
田坂広志

面白い。。。

何でこんなに共通点を持ってる人たちがいるのだ

私はこの30年間 何も知らず生きてきてしまった驚き。
今、私はブラックホールかもしれない。

このnoteで多彩なライターの皆さまがシェアしてくれる幸せに感謝しています。

天野Sagjo

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