呼吸~Energy of Life 2

こんにちは、Sagjoです。梅雨が日本の連休ムードの中コロナ感染を減らしてくれているのかな?と良い方に思ったりしながら、西日本での豪雨被害について心が痛いです。 

いつも、noteで自由に使用させ頂いている写真やイラストには感謝しています。書こうとする内容とピッタリしたデザインと出会う嬉しくなりますし、お陰様でテーマからブレずに書けるんだな、って感じています。ありがとうございます。

ヨガの呼吸からヴィパッサナ―瞑想の呼吸へ

前回の呼吸~Energy of Life では、ヨガのプラナヤーム(呼吸法)の基礎と考え方をお伝えしました。ヴィパッサナ―瞑想の呼吸とは全く異なります。ヨガの呼吸法で練習したような意識的に吐いたり吸っり、意識をその呼吸やエネルギーに集中して体の浄化などの目的はありません。

では、なぜヴィパッサナ―瞑想を行う前にヨガの呼吸が役に立つのかといえば、ヴィパッサナ―瞑想の出発点となる仏陀になったお釈迦様や、それを伝えてきた僧侶たちを思い浮かべていただければすっきりはっきりイメージが湧くと思います。

私たち現代人は運動量はまちまちですし、歩かない人も増えています。食事の偏りもあり、心臓疾患、糖尿病など増えています。肺も十分に開かないような胸式呼吸では、どうしても十分な酸素が取り入れられなくなるというデメリットがあります。そう考えれば、ヨガの修行や呼吸法の経験のある方と、悩みに悩んで寝たきりになっていた方とでは呼吸の仕方も異なります。

それでも、ヴィパッサナ―瞑想では、自分なりの通常の呼吸を大切にするので個体差の呼吸量にはこだわりはありませんが、前提として正しい呼吸、正しい睡眠、適度な準備運動というのは言わずもがな前提になっています。

身体をリラックスさせるための呼吸法の練習を続けることによって、準備段階として行われるアナパナサティ(ゴエンカ式ヴィパッサナ―瞑想の場合)の質も上がり、更なる深い瞑想状態へ進むことが可能になります。意識が肉体から離れていけば呼吸も心拍数もゆっくりと深くなり呼吸と一つになっていくというのが修行者の先にあるのかもしれません。

アナパナサティで確認した「呼吸を正しく見る・体の感覚を確認する」段階を経てから実戦していくため、呼吸に集中することはありません。ただ、迷子になったときは呼吸(吸うとお腹な膨らり、次に停止があり、吐くとお腹が凹む動作)を観ることへ戻れます。

アナパナサティに続くヴィパッサナ―瞑想の呼吸は、あくまでも個体の状態によっても異なります。「ゆっくり」「速い」「深い」「浅い」などと観ていきます。その時に批判やヨガの呼吸法のようにコントロールはしません。しかしコントロールを経験しその呼吸器の最大の能力を体に覚えさせえることで、心が安定する「ナチュラルな呼吸」が身につき、上級者の24時間のヴィパッサナ―瞑想状態が維持できるようになります。

呼吸の奥深さを体験するには、コントロールする呼吸法と自然の呼吸法にそれぞれ向き合うことで、日々少しずつ身についていくものだと考えています。

無理しない

ヴィパッサナ―瞑想では、決して自分に苦痛を与えてはならないとされています。できるようになるまでゆっくりとされど、一歩前に進むようにチャレンジは必要ですが、初心者から上級者までステップがあります(私は中級レベルの指導者となります)

しかし、ここで制限が課せられます。決められた時間に瞑想を行こと。そして今から始めるという決意が大切だとされています。

習慣性のない私には呼吸法を練習をするよりも難しいことです。家族中心になりがちな大人には、自分と自分以外の人との時間の調整自体がストレスになりがちです。

それでも、呼吸と向き合い、瞑想の時間を取るという両方が生活の一部になったとき、次のステップへ上がれると気が付きました。

これからは、ナチュラル呼吸を極める人たちの仲間に入りたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

天野 Sagjo

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