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アヒル物語~整形外科医を選んだ理由~

今自分は研修医をふくめた医者歴は17年になる。整形外科専門医、だ。

大学受験から専門医取得までは最短。いわゆるストレート。
浪人や留年を経験したことは一度も、ない。
この記事ではなぜ整形外科を選んだのか、ということを書いていきたい。医学生や研修医だけでなく進路に迷う方の参考になれば、と思う。


私は2004年から医師としてスタートした。これは初期臨床研修が必修化された最初の年、である。この時からは医師免許をとったあと2年間は厚生省が定めたプログラムに参加して合格することで初めて医師として認める、という制度である。それまでは医師免許ゲットしたら即入局して研鑽を積む、というのがお決まりのパターンだったのだがこの年からはまずは2年間、特定の医局に属することはせずに各研修病院が用意した臨床研修プログラムに参加するのだ。

マッチングといって就職試験に毛の生えたようなものが6年生の確か夏ころに実施され、卒業を控えた我々は自分の希望を提出。病院側と相思相愛になれば採用、そうでなければ他の空いている研修プログラムに参加してくれ、というようなものだ。

私はH大学の研修プログラムに参加した。たすき掛け方式で1年目は外病院、二年目は大学病院、というプログラム。逆のパターンもある。その中で内科×2か所、外科、救急か麻酔、を各3か月回り、2年目は精神科、地域医療、小児科、産婦人科を最低1か月ずつ、そして残りの8か月は希望する科で研修する、というものだった。17年たった今はかなり形式が変わっているようだが、スタート時は大体どこも似たようなものだった。大学病院の他にいわゆるブランド病院、聖路加、虎ノ門?あたりがいいのではないかと言われ、競争率も高かったようだ。

話はそれるが17年たった今それを思い返してみると、ブランド病院で研修した医者が有意差をもって大きく羽ばたいている、ということは全くない。逆にハイポ病院で研修したからクソ医者になったという話も聞かない。結局はソイツ次第だと思う。自分も初期研修の時に「最初の1年でさぼり癖がついた医者は一生そのままだ!!」みたいなことを言われて盲目的に信じていたが、それも全くのウソである。
自分がいい例だ。もちろん必死にはやっていたが、中にはメチャクチャ怖い上司がいたからなるべくそこからは逃げていたし、やりたくないことは上司の目を盗んでよくサボっていた。論文も大して読んでいない。そんなクソのような研修医だった自分でも今、こうやって365日病院で働き、数千件もの手術をこなし、全国学会でも毎年発表を続けている。論文は、、、最近あんまり書いてないが、、、、
研修医でも逃げたい時は逃げていいし、やり直しはいくらでもきくと思っている。


話がそれた。整形外科医を選んだ理由、だ。実は研修医の当初は循環器外科医(心臓血管外科医)になりたかった。理由は単純。かっこいいから。今思えば、周囲から羨望の眼差しで見られたかったのかもしれない。労働環境とか収入とかのことなんか何も考えていなかった。1年目の外科枠では市中病院で一般外科を選ばずに循環器外科で研修をした。医者1年目なんて何もできない。なんとなくわかったような気がして、手術室にも何時間もいただけだ。点滴の指示すらロクに出せない。そしてそのまま同じ病院の循環器内科の研修にいった。それはそれで面白かった。心臓を扱う部門はやはり時間が勝負。そこが体育会系のノリで自分には合うような気がした。心臓関係で手術もやりたい、ということで循環器外科を考えた。2年目の大学は最初の8か月は自由に選べるので迷わず循環器外科を選択した。

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