見出し画像

本当の勉強とは・・・

いつの時代も「勉強しなさい」と親や大人から言われる事が続く。また大人であっても資格を取る為に勉強をする時代となった。

「勉強をしなさい」と言われ「勉強の仕方が分からない」と密かに思っている人、根本的に勉強の意味を取り違えている人は少なくない。そこで今回は『本当の勉強とは』と題して綴って行こうと思う。


勉強の意味とは

結論から言うと、勉強とは自分の知らない新しい事を知る行為である。

勉強は自分にとって新しいチャレンジの時にするものである。受験、資格は基よりスポーツ、楽器演奏、絵画、料理、英会話等、どんな事でも最初は皆んな未知であり無知である。それらをするに当たって最低限必須知識という物が必ずある。それを知る為に勉強するのである。

だが人は変化を好まない。故に勉強を嫌うのである。


■ では勉強を毛嫌いせず出来る人はどういう人か。

新境地に対する熱量が高い人である。どうしてもその世界に飛び込みたい人、どうしてもやってみたいという人はその分野に対する勉強は苦にならない。寧ろ新しい必要知識を得て『得をした』とさえ感じるのではないだろうか。新しい知識を得たいという『』が熱量となり勉強をもっとしたいと思わせる様になるのである。


今やっている勉強は本当はなんなんだ?

『勉強』と聞いて思い浮かべるのはやっぱり学問だろうし、試験・受験がすぐに頭に思い浮かぶのではないだろうか。過去の自分や現在学生の方なら現状を振り返ってみて欲しい。どんな勉強法をしているか。

何度も同じ事を繰り返して暗記していると思う。人によるが、ある人はノートに何度も同じ事を書いて暗記したり、ただ何度も読んで暗記している人など様々な方法があると思われる。これらの何度も繰り返して覚える行為を勉強と世間では呼ぶが、実はこれ『練習』である。

人の体や脳は実は鈍い。鈍いがゆえに同じ練習を繰り返し、脳や体に覚えさせる必要がある。

スポーツはその代表格である。例えばサッカー。初めてサッカーボールに触れてコーチがシュートの仕方を教えたとしよう。このシュートの仕方を教わる事が『勉強』に当たり、その後上手くシュートを打てるように何度も繰り返す。言うまでもなく『練習』と呼んでいる行為だ。

また繰り返し練習をしても上手くならない時、上手い人を見て学ぶ事がある。これも『勉強』すると呼ぶ。上手い人と下手な自分と何が違うのかに気付く事も勉強のひとつなのである。

これを学問に当て嵌めると、

新しい事を書籍等で知る = 勉強
知った事を試験で問われた時に適切に且つ迅速に答えが出せる状態を作る = 練習

となるわけである。世間で言われている勉強とは実は『練習』だったのである。


成果を出すには

進みたい道に一歩踏み出した時から多くの勉強と練習が付きまとうわけだが、やはり成果がないとモチベーションは上がらない。

成果と言っても本番での成果ではなく、練習中に自分の中で正解が導き出せた感覚があれば良いのである。

野球ならホームランを打てた時の感覚、サッカーならピンポイントで決まった場所にボールを蹴れた感覚、学問なら解けなかった問題が解けた時の感覚等、今までとは全く違う感覚を味わった時『これだ!』と思える感覚が自分の中で芽生えた時、テンションは上がるし、その時の感覚を忘れずその感覚を体が完全に覚えるまで練習を繰り返す。


無意識に出来るまで繰り返す

野球選手のヒーローインタビューでホームランを打った選手がこういう事を言ったりする

『体が勝手に反応して打てました』

この言葉は考えて打ったわけではなく、無意識で打てたと言っている事だ。無意識に打てるという事は、ホームランを打つ感覚を知り、それを体が覚えるまで徹底的に体に叩き込んだ結果、無意識にそれが出来るようになったという事だ。

無意識にできる、それは潜在能力の開花とも言える。勉強から練習をこなして潜在能力を開花させる作業を生物は繰り返し行って生きている事になる。これは学問やスポーツだけでなく、あらゆる分野で同じ事が行われているので参考になれば幸いである。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?