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Self loveの時間

みなさん、こんにちは。

ここ最近の心境について久しぶりにシェアします。

日々を生きていると

目の前の出来事に、

あれこれと感情が動いては過ごす日々。

この数日は、月と星の影響なのか、なんなのか

“ 理由はわからないが泣きたくなる ” 現象

という、女性だと割とよくあるサイン

が、久しぶりに襲ってきて

身体と心がズシンと重くなり、なんだか動けない

自分との深い対話が求められているようで

日夜、メディテーションを繰り返している。

それを無視して生きることもするけれど

それをすると、

重い岩を背負って歩いてる感覚になるから。

見に行くかぁ。というかんじ。

苦しいと早く解決したい。と焦ってしまう。

解決も望んではいるけれど

それよりも、気持ちに気がついてあげることが

求められてる気がしている。

魂の叫びのようなものを身体中から感じるからだ。

自然現象のように、汗が出る、膿が出る

ハートの部分でも溜まった老廃分があれば

吐き出したがっている。そんなような感じ。

連日メディテーションをする中で

呼吸とともに、深く思考をみつめていく。

繰り返される、途切れ途切れの思考には

今の自分が集中している感情を見つけることができる。

出来事の裏には本音の感情が一緒にくっついているからだ。

やりたいことに集中できてない自分を否定

誰かから言われた、された何気ない事に

怒りや、悲しみの感情。

愛されていないと感じる孤独。

色んな出来事がトリガーとなり

感情が引き出されてる。

つまりそれは、今の自分に対する課題【気ずき】

目の前に起こり続ける現象に

意味の無いものはない。

そう捉えられると、魂は成長しやすい。

【 どうして、この事がいま、起きているのか?】

傷つかない様に生きるでもなく

同じことを繰り返さない様に段取りするでもなく

この出来事は、私に何を伝えようとしているのか。

その答えは、自分の中にしかない。

【こうあるべき】という信念から

そうじゃなかったときに、否定する気持ち。

本当はこうして欲しかった。

こう在りたかったという願望。

【 違う、そうじゃない 】は

【こうしたい】の入口

わたしはこんな風に愛されたかった。

私は、こんな風に生きたい。

普通は、という思考から解き放たれて

自分は本当はどうしたいのか?

真ん中の自分に問いかけ続ける。

散歩道を一緒に歩くように手を繋いで

意識の中でも、それをしてあげて。

“ 共に歩こう、どんな時もここにいるよ ”

わたしはいつもそばにいる。

メディテーションの中でも、

とっても安らぎを感じたのは

もう1人の自分と、わたしをイメージして

同じふたりが抱きしめ合うことで

安堵の気持ちが一気に溢れでてきて

気持ちよかった。

世界でたった一人の、私の唯一の理解者。

わたしは私と、繋がっていることで

大きな木のように呼吸していられる。

どこかで薄っすらと、気がついていたのは

わたしが私と、繋がっていないから。

意識がいつの間にか、外側へ強く向いていたから。

複雑な感情の中で、揺らいでいた。

だけど、ぜんぶせんぶ、それでいいんだ。

綺麗に生きようとしなくていい。

だめになったって、それでいい。

わたしは私でいることで、私を感じることで

ぜんぶそれで、マルっとOKで。

何があるから、こうなってるから正解

とかじゃなく、わたしが生きてるだけで正解。

 完璧じゃないと言う私を、楽しんで。

完璧でしかない今を、受け入れて。

 痛みは美しいもの。生きている証。

誰かを、何かを愛してる印。

すべてを愛することのきっかけは

私が私を、愛してきた時間

私が私と、深く繋がることで

すべての扉が開いて、繋がっていく。

痛みがあるから、みんなが愛おしいと思える。

包み込んであげたいと思える。

まさにこの時間が、ワンネスであり

みんなと繋がる未来なのかもしれない。


#djmichiru
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#spirtual
#メディテーション
#インナーチャイルド







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