いつ死んでも後悔しない生き方に疲れてしまいました
「いつ死んでも後悔しないような人生を」何度も聞いたことがあるこの言葉。最近のワニくんブームでより身近になったんじゃないでしょうか。
実は幼いころからずっと死を意識して生きてきたのですが、そんな生き方にちょっぴり疲れてしまいました。
毎日の幸せを更新するレースをしているような、何かを自分に課しているような息苦しさ。そんな日々から抜け出して少し考え方を変えてみようと思ったお話を書きます。
いつ死んでもおかしくない
死がすぐそばにあることを実感したのは保育園の時だった。
5才のころ真冬の北海道で入ってはいけないと言われた保育園の園庭にて雪道にやんちゃに一人で入っていった僕は底なしの深い雪山にはまってしまった。声をあげて叫んでも声が届かない。雪に埋まっていくと息をすることがむずかしくなっていった。力を振り絞りなんとか端っこの柵までたどりついて、自力で柵をのぼって僕は一命をとりとめた。
絶対に怒られるからこの日のことは誰にも話さなかった。代わりに自分に対して油断したら自分はすぐにでも死ぬという事実を強く心に刻んだ。それ以来事あるごとに死がそばにあることを自らに刷り込むようになった。
向かいの歩道にいる親の方に行こうとして車にひかれそうになったとき、友達がふざけて鉄橋にぶらさがったとき、事故で身近に住んでいる誰かが亡くなったとき、天災がおきたとき。
長い年月をかけて潜在意識にすりこまれた「自分はいつ死んでもおかしくない」という強い意識は、「とにかく毎日を幸せに生きよう」と自らを奮い立たせるエネルギーになった。
右肩上がりの人生を志して
昨日より幸せな今日を、去年より幸せな今年を。
いつ死ぬかわからないという恐怖は、後悔しない人生を絶対におくる意地になって、自分自身を色んな所に運んでくれ、成長意欲になった。
「いつ死ぬかわからない」という意識が強すぎて、新卒の就職活動の時に「数十年後どんな自分になりたいか」と訊かれて、生きているイメージがわかず苦労したものだ。
キャリアプラン?いつ死ぬかわからないのにいつかの自分のために逆算して今を選択するなんて理解できない!むしろなんでみんな生きている前提で将来のことを考えられるんだろう?みんなポジティブなんだな~と驚いていた。
だからこそ僕は今を少しでも充実させようともがくように生きてきた。
幸せの感動になれてしまった自分
学生時代まではがむしゃらすぎて自分を冷静に見れていなかったのだけど、ここ数年になって一日が終わるのが怖い日が増えた。今日という1日がこれで終わって本当にいいのだろうか?1日の後半にそんな恐怖がやってくる。
いつしか僕は毎日を幸せにしなくてはいけないというミッションを自分に課すようになっていった。いつの間にか「意志」が「義務」になっていた。今を大事にしたい気持ちが今に意味を問いかけてしまって結果的に今に不満を感じてしまう矛盾に苦しむ。
「いつ死ぬかわからないから毎日を幸せにしなくてはいけない」という強い意識はむしろ幸せの感覚を飽和させてしまったのかもしれない。
昔に比べて日常の中で感じられる些細な幸せよりも、より強くて明確な幸せを求めるようになった気がする。より感動する映画を観ること、友達とすごした時間がより充実すること、仕事の中で感動をするような瞬間ややりがいを感じる瞬間を増やすこと。
それ自体は素晴らしいこと。だけど決してそれがない日がだめな訳じゃないし、少なくても憂いすぎることはない。なのに時々一日を無駄にしたような感覚に陥ってしまう自分がいる。
幸せに焦るのはもうやめた
幸せのレースをすごす中で僕の幸せを感じる感性は鈍ってしまったような気がする。めちゃくちゃいい日がそこそこいい日になってしまって、普通にいい日がだめな日に感じてしまう。
食べすぎて満腹な時に何を食べても美味しいと感じないように。一度贅沢を味わうと後戻りできないように。僕の心は欲張りになっていた。
だから、そんな生き方をお休みすることにした。
昨日と今日を比べる必要はない。毎日に緩急があってもいい。むしろあった方が特別な日をより特別にできるはず。
もう今日が終わるのを恐れるのはやめよう。
24時から今日の終わりをカウントダウンするのも、連休が終わるのをカウントダウンするのも、1年が終わるのをカウントダウンするのも、20代の終わりをカウントダウンするのも、全部やめよう。
自然に幸せを感じられる自分を育てる
今の自分に正直になろう。今やりたいことを素直にやろう。今やりたいことと他の何かを天秤にかけて意味を問うたり、やった後に後悔しすぎなくていい。意味のないことなんてないんだし。
生き急がなくて大丈夫。例え死んだ日がそんなにいい日じゃなくても、この人生いいことだってたくさんあったんだから。それを誇って死ねばいいじゃないか。
今日より明日が明るいかはわからないけど、暗くなったから終わるわけじゃない。人生登ってばかりじゃなくてもいいわけだ。人生は登山のようなものだと思って生きてきたけど散歩でいいじゃないか。
思うに幸せってやつは無理やりつくるものでもなければ無理やり感じ取ろうとするものでもない。肩肘張らずに自然に幸せを感じられる自分を少しずつ育てていくことなんだと思う。
自分のプラスの気持ちに敏感になること。自分の中から湧いてくるプラスのメッセージをじんわり繊細に受け止められる感性が育ったなら、感謝とか愛情とかが勝手にわいてきて、きっと勝手に自分も周りも満たされていくはず。
だからリラックスして脱力しながら、毎日に焦らず、毎日の自分を無理に評価せず、明確で刺激的な幸せを追い求めず、日常を日常のままに生きていく。 特別じゃないけど、オリジナルで愛おしい普通の人生を。
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