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『竜とそばかすの姫』を個人的に考察・解釈してみた ※ネタバレあり

観てきました、竜とそばかすの姫!今作もいろんな意味で細田さんらしい作品で良い点もたくさんありつつ、脚本やストーリーのわかりづらさが目立った作品でした。故にレビュー等で「どういうこと?」という声もたくさんあったので、こういう話かな~という個人的な解釈を記していきます。随時追加するかもです。
※あくまで個人的な解釈になります。

物語の全体感

テーマ:主人公すずが自分を愛せるようになり、アイデンティティを確立し、自分の足で歩みはじめるようになるまでの物語

すずは母親が自らの命と引き換えに他人の子どもを救ったことで母の喪失だけでなく、自分は母に選ばれなかった、もっというと自分は愛されてなかったんじゃないか、という気持ちを抱えており、故に自己肯定感がとても低い。そんな風に生きてきたので周りの人にも劣等感を抱いている。

すずは誰かを助けるという無償の愛のような気持ちを竜を救う過程で追体験して当時の母とシンクロし母を理解する。そして母を信じられるようになり自分を否定する気持ちもなくなる。自分の行動や力で竜を救ったことで自立して歩いていけるようになる。

ポイントごとの要素に対する解釈

●なぜすずは現実世界で歌えないのか
自分の存在意義を認められていないから。すずにとって歌は自分そのもの。現実世界に自分がいても良いとすずが思えていないので自分そのものである歌をうたうこともできない。

●なぜ歌が物語の中心にあるのか
おそらく”歌には真実味がある”から。インターネットの中の世界で仮の姿を演じて生きる人々だけど、歌には偽り切れない人間の真実味、魂が宿る。それはすず自身の魂を写すことであり、同時に歌にふれることで聴いた人が真の自分自身を思い出すことでもある。

●なぜすずは竜に興味をもったのか
すず自身が闇を抱えている子なので、竜の闇に気づいたのだと思う。

●なぜ竜を助けるのか
かつて見ず知らずの子どもを救った母親と一緒で、”人を救うのに理由はいらない”ってことだと思う。母から受け継いだ心。

●天使はだれ?
最初は人の善意の心が宿ったAIかな?と思っていたけど、おそらくトモくんだと思う。アバター発行やログインの仕組みはわからないけど。あるいはトモくんの思念が具現化した存在。

●竜への感情は恋愛感情だったのか
これはおそらくNo 母性的な意味で気になる存在であり恋愛対象ではない。

●なぜそばかす?
”美化されたインターネットでの自分”と対称的な”生の自分”を象徴するのがそばかすなのかなって。さらに、美化されたアバターにそばかす要素を残しているのは”本当の自分から逃げない”というテーマをすずが持っているから。

●なぜ父と疎遠になっていたの?
単に父が不器用説。繊細かつ年ごろな娘に対してセンシティブな問題を抱えている中でどう接すればいいかわからなかったんじゃないかな。あとはすず自身もどうしていいかわからなくて関わりにいけなかった。なのでバスのシーンでここぞとばかりにLINE長文発動(笑)

●竜の城にあったお花畑?はなに?
おそらく母のお墓的なものだと思う。

●竜のあざが全て背中にあるのはなぜ?
闘いによる傷(=正面につく)ではなくだれかを守るために受けた傷(あるいは心の傷)だから。

●なぜ単身で関東に突っ込むことになったの?
これは物語の都合上そういう展開になったんだと思う。すずが自分自身の力だけでやり遂げる必要があった。たくさん人がいる中で単身飛び込んでいった母親と重ねている部分もあると思う(そこが物語、というかすずのアイデンティティ形成の根幹なので)
意図は察するけどおそらく一定数叩かれたり、冷める要因になってしまう展開だったなと・・

●なぜ美女と野獣要素を入れたのか
「なりたい自分になれる仮想世界」と「憧れのおとぎ話の美女と野獣」を重ねているから。ベルというお姫様じゃなくなってもありのままの自分(そばかすの少女)が既に姫なんだよっていうありのままの自分を肯定するメッセージ。
タイトルが主人公が頭じゃなくて”野獣”の方の位置に”そばかすの姫”があるのは本作のメッセージはそばかすの姫の方にあるため。美女と野獣は外見ではなく本当の心を愛する話。本作は仮の姿ではなく本当の自分を愛する
→美女と”野獣”  竜と”そばかすの姫”

●なぜDVおじさんを撃退できたのか
これは完全に妄想だけどケイたちの母が亡くなったのはケイたちに因んだ事故。出産時とか守るためとか。それで父に逆恨みされてるんじゃないかな。すずの目を見て当時の妻を思い出した、封じ込んでいたトラウマの気持ちが蘇ったからおののいて逃げていった。

●なぜクライマックスにインターネットの世界のシーンを使わなかったのか
”自分は自分である”というメッセージがおそらくあるため、生身の姿である必要があった。
インターネットの世界でも表現できたはずだし、その方が大団円感があったと思うんだけど、伝えたいメッセージを優先したのだと思う。しかしその生身のシーンが上記の問題のシーンなのでなんとも歯がゆい。

●この映画のメッセージって?
本来の自分自身にはちゃんと素敵なところや可能性があるんだよってこと。すずがもっている可能性や素敵さを周りの人達が本人よりも先にちゃんと知っていたこと、それはUの世界で才能をブーストしていない普段のすずを見て知っていたことがその裏付けだと思う。


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