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「ペンギン・ハイウェイ」と「放課後のプレアデス」

この記事は「ペンギン・ハイウェイ」と「放課後のプレアデス」を観てくださいってnoteです。ネタバレはできる限りしていません。

このnoteは大人に向けて書かれている。あなたは大人だろうか。
「ペンギン・ハイウェイ」の主人公の「ぼく」は小学生で子供だ。
「放課後のプレアデス」の主人公のすばるは中学生で子供だ。でも「ぼく」よりかは大人だ。

大人って何だろうか。
仕事をしてお金を得ること? 
家族を持つこと? 
何かに責任を持つこと? 

ぼくはまだ小学校の四年生だが、もう大人に負けないほどいろいろなことを知っている。毎日きちんとノートを取るし、たくさん本を読むからだ。ある日、ぼくが住む郊外の街に、突然ペンギンたちが現れた。このおかしな事件に歯科医院のお姉さんの不思議な力が関わっていることを知ったぼくは、その謎を研究することにした―。少年が目にする世界は、毎日無限に広がっていく。第31回日本SF大賞受賞作。
(Amazon 内容紹介より)

ペンギン・ハイウェイは、小学4年生のぼくの待ちに突然ペンギンが現れる所から始まる。不思議なお姉さんや川、「海」、世界の果てなど、いろんな知らないことにあふれた世界。「ぼく」はその限りない無限の可能性を解き明かそうとする。ここでペンギン・ハイウェイの小説から一部を引用しよう。映画でも登場する台詞だ。

今日計算してみたら、ぼくが大人になるまでに三千と七百四十八日ある。一日一日、ぼくは世界について学んで、昨日の自分を上まわる。どれだけえらくなるか見当もつかない。ぼくはきっと、夜になっても眠くならず、白い永久歯をそなえた、立派な大人になるだろう。背も高くなるだろうし、筋肉もじゅうぶんつくだろう。そうなれば、結婚をしてほしいと言ってくる女の人もたくさんいるかもしれない。けれどもぼくはもう相手を決めてしまったので、結婚してあげるわけにはいかないのである。

ぼくが大人になるまで三千と七百四十八日の間に、ぼくには様々な未来があり、希望があり、可能性がある。この「可能性のちから」を「魔法」として描いたアニメが、放課後のプレアデスだ。

星が大好きな中学生、すばるはある日の放課後、宇宙からやって来たプレアデス星人と遭遇した。
地球の惑星軌道上で遭難した宇宙移民船を直すため、プレアデス星人は地球人の中からエンジンのカケラをあつめる協力者を召還したという。ところが集まったのは1人のはずが何故か5人!
「魔法使い」に任命された5人の少女たちはそれぞれ何かが足りていなくて、 力を合わせようにもいつもちぐはぐで失敗ばかり。おまけに謎の少年まで現れて、こんなことでエンジンのカケラを回収して宇宙船を直すことはできるのか??
かわいそうな宇宙人を助けようと、未熟さゆえの無限の可能性の力を武器に、友情を培いつつ、カケラあつめに飛びまわるすばるたち5人。
宇宙と時を翔る、希望の物語。
(Amazon 内容紹介より)

 プレアデス星人は女子中学生を魔法少女にして、宇宙船修復の部品集めをさせる。ピクミンよりも労働環境は良さそうだが「0.25光年先の太陽系最外縁部へ行け(魔法でワープできないから頑張れ)」となかなか過酷なミッションもある。なぜそんなことを女子中学生にさせるのかというと、それは彼女たちに「魔法」=「可能性のちから」を扱う能力があるからだ。この言い換えは、魔法少女のファンタジーアニメからSFアニメへの解釈の切り替えとなる。このアニメは、量子力学のいわゆる多重世界解釈をメインの題材に扱っている。彼女たち5人と、あらすじでは「謎の少年」と書かれた彼には、それまでの人生で選ばなかった、あるいは選べなかった無数の選択がある。その「あのときこうしていれば」だとか「あのときこうなっていれば」といった想いが多重世界の交差させ、「可能性のちから」となって現れる。子供の持つ両手いっぱいの可能性から、大人になるにつれて、その「可能性のカケラ」が指の隙間からこぼれ落ちていく。それをすくい上げる行為こそ、魔法である。「願望を成すために世界法則を変える」そして「不可能を可能にする」魔法である(ここの魔法の表現については、そのうち「トリニティセブン」についてのnoteを書きたくなったら書こうとおもう)。放課後のプレアデスは無限で広大な可能性と広大な宇宙が対比された名作である。1話から女子中学生ポエムを連発してくるが、挫折せずに観て欲しい。

小学生の「夏休み」という真っ白なキャンバス。そして中学生の「放課後」という、真っ白ではないがまだたくさんの色を塗ることのできるキャンバス。そこに色が塗られていく瞬間が、ペンギン・ハイウェイそして放課後のプレアデスに表現されている。

子供は大人になりたいと言う。それは手の届かない無数の「可能性のカケラ」の向こう側がそこにあるからだ。
大人は子供になりたいと言う。それは手からこぼれ落ちた無数の「可能性のカケラ」がそこにあるからだ。

この夏は、ペンギン・ハイウェイを観て、放課後のプレアデスを観て、あなたの取りこぼした無数の可能性に思いを馳せてほしい。

次回は「徹底討論! 551の肉まんとジェット牛タン弁当、新幹線で食べると本当にギルティなのはどっち?」というテーマでお送りします。

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