この世について

いやぁ〜このところ大変本を読みました。
アホがこんなに本を読むとは思いませんでした。

私が本を読むということは、友人や親にメンタルの不調を心配されたりする程度には異様なことであります。

もちろん読書家の皆さんと比較してしまえば、私などの読書量はミジンコ同然ですが、大事なのは量でも見栄でもないとだけは思うのです。

まず、ニーチェなどの実存主義、東洋哲学から大変に影響を受けました。

最近では、数学者の岡潔さん、哲学者の井筒俊彦さんの著書から大変な感銘を受けたところであります。

岡さんの春宵十話はさっくり読めるし、私にはとても感ずるところがありました。
お暇な時に是非。

そんなこんなである程度この世の認識について、私の中で考えが固まって参りました。

そしてこれは私の解釈であって妄想であり、正しいことではありません。人に押し付けるものでは到底ないし、賞賛されることでもない。
ただ自分がどう思って、それに関して調べて、更にどう考えたかというだけです。

以下、現状の考えです。



全ては、人間の認識によって形作られているに過ぎない。
厳密に正解などなく、絶対も存在しない。
科学も誤りであれば、宗教も誤りである。
反対に科学も正しいし、宗教も正しい。

各個が感覚器官と感性をもって、世界をどう切り取ったかに過ぎない。
また自らが認識しないことについて、語るべきではない。

仏教では、この世は空であるとした。
全ての認識をなくした混沌とした世界を、老子は道と呼んだりしている。

つまり、この世をどう切り取り、どう捉えるか。
その感性を磨かねばならない。
我々は常に学び、悩まねばならない。
決して世界をどう認識するか、他者に委ねてはならない。

この混沌とした世界を、認識できるあらゆる角度から、様々な正しさの主張から、あらゆる合理性の中から、できるだけ広く、できるだけ公正になるよう、各々できる限界まで、最善の切り取り方を模索せねばならない。

そして私の情緒は、私が万物にとってより良い影響を与えられる存在になることを欲している。
もちろんこれはエゴであり、単なる欲である。

私が人生を満足して終えるためには、理想を目指して模索せねばならない。

だから悩もうと苦しかろうと、考えなければいけないし、考えるための知識を得るべく、本や様々な媒体を駆使して学ぶ必要がある。

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