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②『おおつちありがとうロックフェスティバル』実行委員長・岡野シゲオの大切な1曲

「①ありフェス実行委員長・岡野シゲオを育てた街はやっぱり…!」から続く】

では、シゲオさんにもアーティストたちと同じ質問を続けていきますけども。大切な1曲を挙げてもらうとしたら、何でしょう?
ありフェスの話に繋げたいところなんですけどね、本当は(笑)。これ、分かります(とCDのジャケットを見せる)?「運命(SADAME)」(1990)っていう曲。僕は実はね、チェッカーズの大ファンなんです。

ちょっと話が長くなりますけど、『GO』(1987)っていうセルフプロデュースのアルバムで第二期チェッカーズが始まりまして、その後の『OOPS!』(1990)っていうアルバムの頃から92年・解散までのチェッカーズが大好きなんですよ。おそらく日本で一番最初にクラブミュージック・ダンスミュージックを取り入れたバンドがチェッカーズだと思うんですよね。8ビートだったのが16ビートになって、ダンスミュージックから最後はファンクとかジャズまで行っちゃうスーパーバンドなんですよ。今、バンドをやってる子たちはトライしてみてください(笑)、演奏が難しくて多分びっくりすると思うから。
スタイル的にも当時、ブルース・ウェーバーのTシャツをメンバー全員で揃えてテレビに出たりとか、最後には全員がコム・デ・ギャルソンを着てますからね。そんなバンドは当時、いなかったんですよ。とんねるずのバラエティとかにも出て“イエ〜イ!アイドルです!”みたいにやってましたけど、それをも楽しんでやってるような人たちでしたからね。
少なくともわたしは、チェッカーズに対して音楽的にそういった見方はしてなかったですね。そんな「運命(SADAME)」という楽曲に出会ったのは?
高校生の時だなぁ、ギターのリフとコーラスに“ヤバいな、この歌!”って。俺、震災の時もチェッカーズを聴いてたの。3月11日の夜も携帯の電池も無くなって、電池が残ってたiPodで聴いてた。あとショーケンも(笑)。 
で、(最初に見せたCDジャケットの)『THE OTHER SIDE』(1992)はいわゆるシングルではない曲を集めたアルバムですけど、「運命(SADAME)」のリミックスバージョンがこのアルバムにだけ入ってる。チェッカーズって総合力が高いですよね。音も構成も、 キャラもビジュアルも。踊れ、って言えばみんな踊れるし。
話が熱い(笑)!でも、震災の時も聴いていた…というのはグッときます。
ありフェスがらみで1曲お話しすれば、やっぱりNorishige(ノリシゲ)の「歩きましょう」ね。(大槌の)後輩でもあり偉大なアーティストだけど、何を抜きにしてもすごい歌だと思います。

「歩きましょう」は歌詞で映像が浮かんでくるような曲だと思うけど、俺は歌詞がなくて楽曲だけでもこの曲は聴ける。そもそも、ありフェスを始めてからは“熱くてメッセージ性のある曲が好きなんでしょう?”って言われたりもするんだけど、俺はぶっちゃけ、歌詞がなくてもいい人で。ギターでありピアノであり、曲そのものが好き。だから人生で一番聴いてるのって映画のサントラじゃないかな?
わたしにはない感覚で、おもしろいです。ありフェスのお話にも及んだところで…
ありフェスって、実行委員のメンバーが心を込めて、命を削って作ったイベントなんですよね。ありフェス・大槌に来てくれたアーティストが実行委員は本当に本当に大好きで、毎日、曲を聴いてたの。実は俺がその辺の音楽をほとんど通って来なくて、ありフェスで初めて…っていう感覚だった。 でも震災前から彼らはそういう音楽が大好きで、酒飲んではそんな話ばっかりしてた。 だから、うちのメンバーからしたら“本当に来てくれたよ!”っていう感じだったと思います。
そもそもありフェスを始める時、“フェスってどうやるの?”から始まって、アーティストと繋がりなんかも当然、全然ないわけですよ。だから、来て欲しい人のライブにチケット買って行くわけ、(津波で流されて)家もないヤツらが。ライブ終わって出待ちみたいなことをして、“ウチのフェスに来てくれませんか?”って。まだちゃんとフェスが出来るか分かんない時から(笑)頼みに行ってました。それしか方法がなかったし(笑)、それが今につながる出演者の方たちなんですよ。だから普通のフェスとは一線を画すんですよね。情熱とかパッションとか、そういう言葉を結構使いますけど、本当にそれで運営できているフェスで。

お話、続けてください!
おおつちありがとうロックフェスティバル」って書いた名刺を作って持って行ってさ、(ライブ終わりの出待ちでアーティストに)会って名刺を渡すと“大槌”って書いてあるわけですよね。震災後の大槌で誰もが“え!?”ってなって、“わかった、行く”って。そういう人たちばっかり。
怒髪天はあるライブでお願いして会わせて頂いて。その場で“来てください”って言って(笑)、増子(直純/vo)さんが“うん、行く”って(笑)。後から増子さんに“何で最初から声かけないんだ”って言って頂きましたね。 本当にその場で即答方面(笑)で、 そんな方たちが今でも来てくれてるんですよね、SAもそうだし。
震災の年の秋、(岩手県)宮古(市)でイベントがあったんですよね(=BRAVE FIST FESTA@マリンコープDORA)。俺はそこで初めてSAを見たし、それを見て“俺らもフェス、出来んじゃん!?”っていう気持ちになったんですよね。ありがたいことに打ち上げに声をかけてもらったので、SAにはその場で“ウチのフェスに来てくれませんか?”って言って(笑)。TAISEI(vo)さんが“これは何かの縁だな!”って、その場で(出演を決めた)。

Underpath!(アンダーパス!)
MIKAの実家が震災の津波で被害を受けながらも
復興支援・応援を現在に至るまで
精力的に続けています
たらりら三陸応援復興バージョン」MVも是非
もちろん“大槌町”も出てきます
ありフェスでは子供たちと一緒に歌うのかな!?

今年のありフェスも岩手在住アーティストが多数出演🎶
現時点での出演アーティストはコチラから!

そんな中でlocofrankは、復興食堂での約束を果たしてくれたんですよね。復興食堂に今にも泣きそうな顔してやって来たんですよ、まだ震災後のひどい有様の頃。あの若い子らが“何とか力になりたい”って、俺は正直、locofrankのことを知らなかったんだけど“いつか、ありフェスにも出ます!”って言ってくれて。人気あるバンドだなんて俺は全然知らなくて(笑)、locofrankは他の出演者と色が違うから最初っから呼ぶことはしなかったんですけども、何回かありフェスをやるうちにいざ!っていうタイミングで声をかけたら、“約束を果たします!”って、来てくれたんですよね(※シゲオさんがブログに綴っておりますコチラも是非)。
そういえば…locofrankの「TOMORROW」MVは、大槌での風景も多く映ってますよね。
そうそう、俺もその映像を見せてもらってね。

宮古で行われた「POWER STOCK in Miyako 2013 」に俺らは出店してて、終わって片付けをしてたの。そしたら若い男の子3人が片付けてる俺らをじっと見てて、“覚えていらっしゃいますか?”って声をかけてきて。俺は申し訳ないけど最初、“誰だ?”って思ったんだけど、実行委員が“ロコだよ!復興食堂に来てくれたlocofrankだよ!”って。そこで改めてちゃんと、ご挨拶をさせてもらって。
locofrankはラインナップ的に毛色が違うって思った方もいるかもしれないんですけど、ちゃんと筋書きがあってありフェスに登場してもらってるんですよね。若い部類に入る彼らが、大槌町に興味を持ってくれるなんてね。彼らもこんな田舎町に行ったことを忘れないでしょうね、良くも悪くも(笑)。
出演者がらみのお話では、かつてわたしが怒髪天にインタビューした際、“ありフェスに来てくださってありがたい”旨の話をしたら逆に、“翌日に機材車で帰る時、段ボールいっぱいの野菜を積まされて帰った”という話を聞いて。そんなフェス、あります(笑)?
はいはい、それは怒髪天の大ファンで野菜を作ってるウチのスタッフが朝、根こそぎ収穫して“持ってってください!”って。はい、これもね、本当の話です(一同笑)、東梅っていうヤツなんですけど(笑)。

岡野シゲオ
2012年から岩手県大槌町で開催されている
おおつちありがとうロックフェスティバル(通称ありフェス)
実行委員長
おおつち ありフェスRADIO ラストエディット」等
ありフェスにまつわる様々な発信も自ら行っている
映画が大好き 趣味はランニング

【「③岡野シゲオにとっての大切なことば」に続く/5月24日公開予定】

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