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わたせせいぞうの絵の中に入りたかった。

「コロナ鬱」とひと言で言ってしまうと、何もかもをコロナのせいにして、いろんなことからただ目を背けているだけと受け取られかねないが。

実際、ただ今現実逃避真っ最中

感染症の怖さ危なさを甘く見ているつもりはないのだが、明日自分が発症してしまうかもという危機感には欠けているかもしれない。

それよりは行き場を失ってじわじわ壁の隅に追いやられていくような閉塞感を感じて、このままでは精神的に参ってしまいそうだという心配が日に日に大きくなっている。

もともと悲観的というか厭世的な考えの自分なので、「どう考えても世の中悪くなっていく一方で、さらにどんどん加速している。」という慢性的な絶望感の中で暮らしている日々だが、いよいよ「取り返しのつかない酷い状況に身を置かざるを得ないことになる前に、ある程度のところで人生に見切りをつけたい。」という思いが強くなっていく。

どうしても悪い方へ悪い方へ考えが進んでしまうので、「あ、これではヤバイ。」と気付いたら、すぐに思考停止して現実逃避するように努めている。

そんな中で、最近読んでいる(…というか、ほとんど眺めているだけ)作品が、わたせせいぞう先生の「ハートカクテル」

BOOK OFFで買い集めた大型カラー判を数年前にスキャン業者に出してPDF化したものを、Kindle FireとiPadに入れて、それをオメガトライブを聴きながら読んでいる。

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ノスタルジーに浸るおっさんと嘲笑されても仕方ない。実際そうなんだから。

ただ、「あの頃は良かった。あの頃の俺は幸福だった。」と懐かしんでいるわけではない。

「ハートカクテル」のカラフルな絵や、オメガトライブの爽やかな80'sサウンドは、自分の楽しかった経験の記憶と結び付いていることはない。

むしろファンタジーとしての「わたせせいぞうの世界」に身悶えするほど憧れても、自分には縁の無い夢の世界だと諦める毎日だった、あの時の苦い思いが蘇ってくるばかりだ。

それでも生活苦からは抜け出せた平穏な現在の自分から見ても、「ハートカクテル」の中には、あらためて憧れてやまない「豊かさ」が詰まっている。

デザインされた様々なアイテム。アメリカナイズされたライフスタイル。太陽の光や風を感じるロケーション。ジェントルマンやレディであろうする清潔感のある登場人物。洗練された音楽と酒と煙草が欠かせないナイトスポット。細かい心の機微に富んだ恋愛模様。交わされる小粋な会話…。

これらを「バブル期の絵空事」として笑い飛ばしてしまえる人は、よほど今華やかで充実した生活をされているのだろう。

自分はこれを過去の遺物として片付けてしまえない。

「人生ってこうあるべきじゃなかったのかい?」…少なくともこんな暮らしを望みながら生きていくことは許されていたはずだった。

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今さら「ハートカクテル」の中の登場人物のような暮らしを現実にするのは(…いや、できるものならしたいけど)無理だろう。

たとえ金銭的にとても余裕があって、災害もない海辺の街に居を構え、芝生の庭には犬がいて、物質的に何不自由なく、毎日ワイングラスを傾けながら、美味しい食事を楽しめるような暮らしが可能になったとしても、「この幸福な日々は永遠に続く」と信じて安眠することは、不可能だ。

現実はあまりに殺伐としていて、荒んだ人の心が引き寄せる暴力や裏切りで、いつ酷い目に遭わされるかわからない、悪意に満ちた世界が目の前に広がっている。どこまで逃げても逃げ切れることはできそうにない。

世界の秩序は不可逆的に崩壊に向かっている。

「そんなの今に始まったことじゃない。今よりマシに見える時代でも、その時その時で個人生活に関わる問題も山ほどあった。明日どうなるかわからないのはいつでも一緒なんだから、何が起きても対処できるようなタフさを身に付けるしかないんだ。弱音なんて吐いていても誰も助けてくれないぞ。」と説教されたとしたら、おそらくその通りなのだろう。

ただその現実をサバイヴしていくために身に付けなければならないタフさというのは、「少々のことにはいちいち凹まないでいられる鈍感力」、「先のことをあれこれ考えずに済む視野の狭さ」、「他人を押しのけてでも自分が得をするために前にでる我の強さ」などを要求されることだというのが、分かっていてもなかなか受け入れられずにいる。

「恋愛などにうつつを抜かしていられた時代の甘っちょろいファンタジー」への憧れがやまないのは、そこには「想像力を働かせる」余地があるからだ。

「ハートカクテル」や、あだち充の漫画を読み、ウディ・アレンやジム・ジャームッシュの映画を観て、セリフにはない心の声や、コマやカットの間に何が起きたかに想像を働かせることで、他人の心情を推し量り自分がどう振る舞うべきかを決める力を養ってきたつもりだ。

「みなまで言うな。口に出すと無粋だぜ。」というキザな美学が絶滅しかけている、下衆の勘繰りが声高に正当化されるこの現在を、生き抜くために想像力を殺すぐらいなら、自分は座して死を待つ。

「ナイーブぶってても何も解決しない。いいおっさんがセンチメンタルになっているのなんてみっともない。」と言われても、もう今さらこの性分は変えられそうにないんだ。

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そしてまた現実逃避。

自分がもし世界の代表として、圧倒的な力を持つ宇宙人と交渉する役に就いたとしたら、「おおむね人類の滅亡に同意」するでしょうな、とか。

人口が増えすぎてしまったので、「盲導犬以下のモラルしかない人間は淘汰することにします。」と決められたとしたら、たとえ自分がそこに含まれることになったとしても甘んじて受け入れるだろうな、とか。

しょうもない妄想に耽ることで、なんとか心がカチカチに固まってしまわないようにしている日々だ。

処刑台の上で最後は「ああ、俺が思ってたよりももっと、レトリバーは賢かったんだなあ。」と笑って死にたい。

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