コリアンタウンに2ヶ月だけ。
2023年3月に、約17年の長きにわたって勤めた職場を離れることになった。
退職日目前まで次の派遣先がなかなか決まらず、面接までこぎ着けたのが一社。選択の余地は無いので4月からそこで働くことになった。
とはいえ、長期勤務での募集だったし、条件面もそれまでとあまり変わらなかったので、「これからはここで頑張ろう。」と決意を新たにした。
次の職場は留学生が日本の大学に入るために勉強する予備校のようなところで、学習教材や自社出版の参考書などの制作に携わる。
DTPオペレーターとしてのキャリアが活かせるので、こちらとしては業務内容に何の不満も無い。
場所は新大久保。それまでほとんど馴染みの無かった街だ。
2000年代の韓国ドラマやK-POPのブームで韓国人街としてますます発展し、近年は多くの観光客も訪れる人気スポットとして注目されている新大久保。
勤務地の下見に行った日、JR山手線の駅を降りてみたのも初めてで、「テレビの街歩き番組などで観て知ってはいたけど、今こんなことになってるんだ〜!」と、その賑わいぶりに驚いた。
なんとなく韓国料理店が多く立ち並び、焼肉や韓国家庭料理が食べられるところがたくさんあるんだろうな…くらいに思っていたが、予想以上に韓国コスメの店が多く、プリクラの大型機を設置した店や、食べ歩きに特化したフードを売っている店に長蛇の列が出来ていたりして、若い女性向けの流行発信地となっている現在の状況を目の当たりにした。
これからここに毎日通うのか。それはそれでいろいろ刺激を受ける日々になりそうだ…という期待も持てた。
職場は、その会社…というか学校は規模も大きく、あちこちに教室を構えているのだが、実際に自分が勤務するところはビルの1フロアのパーテーションで区切られた一角。
そこに8名分くらいの机が並べられ、書棚に囲まれてやや窮屈な部屋。事業部として少人数ながら、学校業務のあらゆることに対応しているらしい。
学生募集や授業実施など、運営を任されている部署は他にあるようで、この事業部では、全教室統一の一斉試験の開催を企画、その試験問題の作成が主となった。
問題集や参考書なども自社で出版し、専門の書店まで構えて販売も行なっているので、制作のためのDTP作業はかなりの量がありそうだ。
さらに、教室に貼る注意事項のポスターや、教員の名刺、教材の販促チラシなども、その都度作成を依頼される。
そこにDTP担当は自分ひとり……一人?
他のみなさんは?と尋ねると、試験問題作成の担当者として、国語や社会科担当が二名、数学担当一名が常勤し、物理担当の方などが週2〜3日出勤してくるらしい。あとは事務と学生アルバイトが一名ずつ。
作業用のMacが1台用意され、「ここに座ってください」と。「指示は隣の席の事務担当の女性からもらってください。」と。
基本的に過去に出版した問題集や、既に実施済みの試験問題&解答のデータがサーバーに保存されており、改訂して本年度版を作成していくという流れなので、元データがあって赤字の入った指示書があれば、作業するには不都合は無い。
この環境にさえ慣れれば、いずれ自分のペースでじっくり仕事できるだろうと思っていた。
しかし実際作業していくと、「これは昨年の数学Ⅱの問題集で、何ページから何ページまでを修正してください。それが終わったら、今度は物理の問題集の本年度版を作成。それと並行して明日教室で使う○○先生用の小テストを何部出力してください。」という感じで、引っ切り無しに依頼がくる。
その度に、過去のデータはどういう作りになっているのか、中身を確認して、今回の変更箇所はどう影響するかなどを考慮しつつ、修正作業を行なっていなかくてはならない。
それをいろんな教科のいろんなパターンの書籍の形式に応じて、一人でおこなう。
問題なのは、前任者からの引き継ぎがされていないことだった。
4月最初の月曜に出勤した時には、すでに自分の席は空けられていて、そこに前任者の姿は無く、3月で退職されていると。
「アプリケーションのインストールとかも大丈夫ですよね?」と面接の時に言われたのが気にはなっていたが、要は「DTP作業のためのMacはここにある。でも私らwindowsだし、担当じゃないからDTPのことはよくわからないから、そのMacを使って言われた作業ができるように自力で何とかしてくれ。」ということだったみたい。
作業環境の違いや、前回作業者のデータの作りの癖のようなものを把握して、自分が作業しやすいようにするのにも時間はかかる。
でも、「パスワードがわからないのでログインできない」とか、「フォントの契約更新を要求されている」というようなアラートが出て作業が止まる時などはどうしようもない。
それを現場の責任者に問い合わせて、「分かりました。調べておきます。」と答えをもらった時に、なんとなく「それぐらい自分で解決してよね。」的なニュアンスを感じたのが気にかかった。
その事業部の部長、現場責任者というのが30代半ばくらいの女性で、面接を担当してくれたのもその方だったのだが、外見は小柄で可愛らしい感じでも、エネルギッシュで仕事をバリバリこなすタイプ。
とにかく忙しい人で、「今日はあそこの教室に行って諸問題を解決してから出勤、午後は来月開講する新教室の準備に…。」と動き回っている。
来客と別室で会議ということも多くて自席に座っている時間も短い。しかし、あらゆる問い合わせの電話はその○○部長宛にかかってくるので、他の方が作業の手を止めて電話を取り「折り返しこちらから連絡を…。」と応対している。
国外出張中であることの多い社長宛の電話もその部長が代理で応対していたので、あれもこれも全部その部長の判断を待ち、指示を仰がなくてはならない。
結局、その部長にいろんな権限が集中しすぎたんだろうね。
やっぱりどうしてもワンマンなところが出てくるのは仕方がないのか。それにしても本来のその方の性格的なこともあると思うのだが…。
つまりは、自分の言うことに従わない人は、切って次の人に替えてしまおうとする人だった。
前の派遣会社との契約を終了し、この新大久保の現場は別の派遣会社に登録して初めて紹介された仕事となる。
担当営業も若い女性だったが、その女性部長とは旧知の仲らしく、他の要件でも度々来社することが多かったようで、自分の様子も見に来ては「どうですか。慣れましたか?」と声を掛けてくれていた。
「いやあ、忙しいですけど、何とか頑張ってます。」と答えてはいた。
4月・5月と勤務し、ようやく職場の雰囲気にも慣れてきたかなという頃に、契約更新の連絡がきた。
自分としては最初の1ヶ月を無事乗り切って、5月からは長期勤務として本契約されたと思っていたので、当然契約更新されるものと思って、「引き続きよろしくお願いします。」と返答していた。
週末、自宅で担当営業からの返信メールを開いた時には、思わず声が出た。
「先方様が契約の更新を望まれていないようです。」
は?
俺、クビになっちゃった!
派遣会社が言うには契約開始が4月1日からでないので、1ヶ月フルで働いたとみなされるのは5月の契約からだとかなんとか(4月3日から出勤しているのに、それもよくわからない言い分で腑に落ちないんだが)。
なので、試用期間のうちに先方が本契約するかどうか判断した結果なのだというが。
特に大きなミスをやらかした覚えもないので、更新されない理由を派遣会社に尋ねてみたが、
「もう少し自分から率先して仕事される方を希望しているとのことで…。」
と電話の先で言葉を濁しながら答えるのみ。
考えられるのは、新規に書籍を発行することも計画に入っていたから、もう少し若い人のデザインセンスを求められていたのかもしれないということ。
でもそれは面接の結果、50歳過ぎでデザイナーというよりオペレーターよりのおじさんを雇った時点で予想できていたことじゃん。しかも、その時点ではまだ全く新しいデザインでの書籍は制作に着手してもいなかった。
あれだけ「あれやれ、これやれ。次はこれやれ、あれもやれ。」と指示されて、努めて対応したつもりだったが、「もっと率先して?」。
納得がいかないことも多かったけれど、先方がそう言うなら仕方がない。
終わった今となって想像するに、おそらく自分が勤める前にも何人も試されていたのだろう。
そしていろんな理由で、すべての決定権を持っている女性部長の一存で次々とクビを切られていったのであろう。
だから既に前任者不在で、引き継ぎなしで、いきなり業務に当たることになったのだろう。
17年勤めた職場から、次に長期勤務できる先として期待していたが、わずか2ヶ月で新大久保に出勤することは無くなった。
前の職場では仲良くしていた派遣の仲間などもいて、時々飲み会をやったりしていたので、その後も付き合いは続くものだと思っていた。
辞めて間もない頃は、LINEなどもやり取りして、「新しい職場はどう?」と尋ねられたりしていたので、「新大久保はなかなか面白いところです。暇をみて美味しい韓国料理店などを開拓しておくので、今度みんなでサムギョプサルでも食べに行きましょう。」などと誘ったりしていた。
本当にそういう機会がくるかもしれないと思って、休日にも新大久保まで韓国料理食べに行ったりしていたのだが。
結局、いつの間にか前の職場の人たちとのやり取りも途絶え、「ここで今度飲み会やろうかな。」と目星を付けておいた店に行くことも、おそらくないだろう。
若い頃のように、一度友だち付き合いができてしまえば、頻繁につるむということもないので、一旦疎遠になるとそれっきり。
新しい出会いがあっても、また前のような近い人間関係が築けるとは限らないわけで、むしろ積極的にこちらから近付いていくことに気後れするようになる。
「リセットする」ことはリスクの方が大きいだなんて、これも50過ぎてからようやく気付いたことの一つである。
なーんか、残念だけどね。
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