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ガキの喧嘩をシノギにされる。

小学5年生の時の話。

自分が住んでいた国道3号線沿いの安アパートのすぐ近所に、本業は描き文字などの看板屋だけど敷地の一角にプレハブを建てて、そこにテーブルゲーム機を数台並べて、2プレイ50円とかで遊べる簡易ゲームセンターがあった。

放課後、そこに集まって「パックマン」や「ギャラガ」や「マッピー」や「ディグダグ」や「ペンゴ」に夢中になる小学生男子たち、自分もその中の一人だった。

自分も貧乏だったけど、親が空き瓶に溜めていた小銭をちょっとずつちょろまかしたりして、なんとかゲーム代を工面しては、「かんばんや」と呼ばれていたそのゲームコーナーに足繁く通っていた。

自分が小学校に入学したのとほぼ同時期に「コロコロコミック」が創刊され、連載された「ゲームセンターあらし」が大流行。

第二次ベビーブーマーの我々は、まさにコンピューターゲームの勃興とともに成長してきたようなところがある。

とはいえ、1980年代のあの当時、ゲームセンターに入り浸るのは非行の始まりだと言われ、「ツッパリ」と呼ばれる不良少年が全国各地に急増していて社会問題となっていた頃だったから、当然小学生でゲームセンターに行くことは学校でも禁止、発覚したら先生に厳しく叱られるのは当たり前だった。

小学5年の時の自分たちの担任の先生は、頭頂部の真ん中だけ頭髪が薄くなっている、いわゆる「テッペンハゲ」で、周りを山林に囲まれた盆地のような禿頭だったことで、「イケボン」というあだ名でみんなに呼ばれていた中年のおじさん先生だった。

顔は松本清張にそっくりで、度の強い黒縁眼鏡をかけ、タラコ唇で滑舌の悪いおじさんで、生徒からの人気は全く無い。

この先生が生活指導担当で、頭が固く細かいことをくどくど注意して回っていたので、ますます生徒に疎まれていたのだった。

コロコロコミック

ある日の放課後のホームルームのような時間に、イケボン先生が厳しい表情で話し出す。

「どうも最近、学校で禁止されているゲームセンターに立ち入っているという生徒がいるらしいということを聞いた。ゲームセンターに行ったことがあるという生徒は正直に手を挙げなさい!」と。

(※鹿児島弁ですし、当然こんなに整理された口調ではありませんが、会話の内容が分かるように標準語にしています。以下同様。)

「ゲームセンターに行ったことがあるかどうか。」なんて尋ねられても、ほとんどの男子生徒は行っているに決まってる。

よくよく聞いていると、どうもその初老のイケボン先生は、テレビゲームがどういうもので、1回プレイするのにいくらかかるかだとか、そこで遊ぶ子どもたちがどれくらいお金を浪費しているのかなどということが、よく分かっていないらしいということが、うすうす感じ取られるのだった。

舐めてかかって、全員下を向き、シラを切って済むならそれでいいと思って黙っている生徒たちを前に、イケボン先生はだんだんムキになってきた。

「今から全員に一人ずつ聞いていくから、何回ゲームセンターに行って、いくら使ったか言いなさい!」

すると、最初に指名された子が白々しくも「僕は一回しか行ったことがなくて、100円しか使っていません。」と嘘を吐く。

「100円か。じゃあ、10回もゲームをやったんだな。じゃあ、罰として君は床拭き100回!」

と答えるイケボン先生。

ん?…先生、「パックマン」1プレイ10円だと思ってる?

それに気付いてからは、みんな平気で嘘を吐く。何十回もプレイして、1日に何千円も突っ込んでお小遣いが無くなってヒーヒー行ってる連中が大半なのに、

「僕も使ったのは50円だけです。」「僕も1回しか行ったことがありません。」

と、トボける男子生徒たち。

その中に「ヘラコー」と呼ばれている色白の少年がいた。

ヘラコー君は、自分なんかからすれば比較的裕福な家の子で、ゲーセンにも毎日のように入り浸っていたが、親の財布からこっそり1万円とか抜いて、仲間うちでも特に金遣いが粗いことで有名な奴だった。

そのヘラコー君に、イケボン先生が「君は? ゲームセンターに行ったことがあるか? いくら使った?」と詰問されている時に、いけしゃあしゃあと「僕は行ってないです。ゲームなんてやったことないです。」と答える。

その答え方も堂々としていればまだいいんだけど、明らかに追い込まれて苦し紛れに嘘を吐いているのがバレバレな態度だったものだから、イケボン先生も追及の手を緩めない。

「本当か? 行ったなら正直に言いなさい。ゲームセンターには行ったことがないのか?」

「い…行ってないです。」

「ゲームは? ゲームをやったことは本当にないのか?」

「い…1回も無いです。」

「正直に認めないと、この帰りの会は終わらないぞ。みんなが正直に答えるまで帰れないからな。」

あまりにも白々しいそのやりとりを聞いていて、自分はそわそわした気分になり落ち着かなくなってきた。

「ばかだな、ヘラコー。ここは『1回しか行ってません。』って最低限認めたら、それ以上追及されることはないのに!」

と思ってイライラしてきた。だって何万もゲーム代を浪費してるくせに、まったくやったことありませんってのは無理がありすぎるんだもん。

それでつい、「先生。僕はヘラコー君がゲームセンターに入ったのを見ましたよ。1回は行ったことあるんじゃないんですか。」みたいなチクリをやってしまった。

それでも内心「ヘラコー、ここは一旦引こうよ。」という気持ちで、むしろ助け舟を出したつもりでいて、後で話せば分かってもらえるだろうと考えていた。

その場は「ほら、行ったことあるんじゃないか。最初から正直に言いなさい。」ぐらいのお咎めで済んで、あのまま頑なに認めなかったら、もっと厳しく追及されていただろうから、結果的に良かったんじゃんと思っていた。

ところが、その帰りの会が終わって放課後、「てめえ、よくもチクリやがって。」と逆恨みしたヘラコーにトイレに連れ込まれて、鼻血が出るほど殴られたのだった。

「いや、あのままシラを切り通せるわけなかったじゃん。1回だけやりましたって認めたほうが、あの場は切り抜けられたんだよ。」と言っても聞く耳持たず。

トイレに引っ張り込まれた時に、解禁シャツの胸元は破れ、ボタンが数個弾け飛び、白いシャツには赤い返り血が付いた。

「なんだよ。チクったこっちだって嫌な思いしてんのにな。」と、やるせない気分で帰路に着く。

血が付いたままのシャツを洗濯カゴに放り込んでいたら、仕事から帰って来た育ての母がそれに気付く。

ただでさえ物を失くしたり壊したりすることを許さない吝嗇な育ての母だ。制服のシャツを破いて帰って来たなんて許されるわけがない。

でも自分としては、自分の不注意で破ったわけではないので、こういう目に遭ったんだということを報告せざるを得なかった。

その晩、たまにアパートに顔を出す自分の親父が帰って来た。

育ての母から、どうもこういうことがあってシャツを破られて帰って来たのよという話を聞く親父。

ただ、ジゴロでヤクザな親父としては、シャツを破いて帰ったということよりも「お前、それで殴られて殴り返さずに黙って帰って来たのか?」ということのほうが気に掛かる。

それで自分もその日あった経緯を細かく説明することになった。

「告げ口したっていう後ろめたさがあったから、やり返しはしなかったけど、むしろそいつを助けてやろうと思ってやったことで…。」

と自己弁護していたら、予想以上に親父が「なんだ、それじゃお前は悪くねえじゃねえか。苦しい嘘を吐き続けるそいつが悪いんだろ。なんでお前が殴られないといけないんだ!」と、親身になって一緒に怒ってくれた。

なんか親父には分かってもらえたという嬉しさで、「そうなんだよ。そいつ親の財布から1万円札とか抜いてゲーセンで金遣いまくってる奴でさ。それで『1回もやったことないです。』っていうのは、さすがに無理あると思ってさ。」みたいなことを調子に乗って喋っていた。

そしたらいつのまにか、「そいつの家はどこだ。名簿を見れば電話番号はわかるか?」という流れになってしまい、ヘラコー君のうちに電話をかける親父。

電話口でヘラコー君の親と「うちの息子がおたくの息子に殴られたらしんだけど…。」とやり取りしているうちに、だんだんエキサイトしてきた親父はついに、「ゴチャゴチャ言ってねえで、今すぐうちに詫び入れに来い! そっちが来ないなら、俺が乗り込んで行ってもいいだぞ、コラ!」と怒鳴って受話器を叩き付けることになった。

うわ、大ごとになってしまったな…と後悔してももう遅い。

ヘラコー君の両親はだいぶ年配で白髪交じり 。弱々しいおじさんとおばさんだったが、あえて胸元をはだけて彫り物を見せつけるようにしてちゃぶ台の向かいに座るうちの親父を前にして、正座で俯いたままブルブル震えていた。

見てて気の毒になるその様だったが、うちの親父を目にした瞬間に「ああ、もう理屈の通じる相手じゃない。」ということを悟ったのだろう、ひたすらペコペコ謝るしかできないヘラコー君の両親。

その日どういう形で話がついたのかは憶えていない。それでもその時、うちの親父が自分の味方になってくれたことで、ちょっと嬉しかった気持ちもあったのだった。

その翌日から学校で自分の周りに友達が寄り付かなくなったとしても。

背中の後ろでヒソヒソ話が聞こえて、振り向くと遠巻きに自分を指差しながら後すざりしていく数人の中にヘラコー君がいたのは言うまでもない。

この時にいよいよ「あいつの親父はヤクザだ。」という話が広まり、否定しようがなくなった。

まあ、自分は口が立つほうだったので、うちの親父がヘラコー君の両親を脅したということは伏せて、「こういう流れで逆恨みされたんだけどさ。俺はむしろヘラコー君を助けてやろうと思ってやったことだったのよ。」と言い訳したら数人の友人からは理解を得られて、一斉にハブられるようなことはなかったのは幸いだった。

…という小5の時の苦い思い出の話なんだけど、その時は「あんなことがあって、あの後気まずかったなあ。」と思っただけにとどまっていた。

しかし、その後だんだんいろんなことを理解し始めていくうちに、「いや、ヘラコー君の両親が謝りに来たあの晩、あれで済んでいたわけないよな。」ということに思い当たった。

ジゴロでヤクザな親父のことである。「うちの息子は正しいのに、逆恨みされて殴られた。それは許せん。」と義憤に駆られたうえでの行動だったわけがない。

…あれ、あの時、ヘラコー君の両親から、いくらか巻き上げてるよね。

露骨に「慰謝料いくら出せ。」とは言ってなかったにしても、ヘラコー君の両親が「今回はすみませんでした。シャツも破いてしまいましたし、少ないですけどこれで…。」と封筒的な物を差し出したとしたら、絶対受け取ってるはずだ。

自分はそういう場面を目にしてはいない。子どもの言い分を聞く時間が終わったら、「後は大人どうしで話すから、向こう行ってろ。」と追いやられていたような気がする。

そのことに後々気が付いて、ガックリきた。殴られた我が子を思ってのことじゃなかったのね。

ヤクザに弱みを握られたら、当然そこに金銭が発生する。

要はうちの親父は、ガキの喧嘩をタネにして、ちょいと脅して小遣い稼ぎをしたわけだ。

我が親父ながら、これは最低ですなあ。

でもあの時は、ほんとに嬉しかったのよ。「ああ、俺のためにマジで怒ってくれてる。」と思って。

瀧ヤクザ

(※写真は「アウトレイジ」の時の瀧だけど、この彫り物の入っている位置と絵柄が、うちの親父とそっくりだったもので。)

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