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ISOLATED HUMANISM

焼夷弾が雨のように降り注ぐ中、死体まみれの街を必死に家族と逃げ生き残った母。ヘリコプターから機関銃の乱れ打ちにあい、爆弾工場に学徒として駆り出され、誤まって手榴弾が爆破し親友が死んでしまった父。今はもう両親共に他界してしまったが、戦争の恐ろしさは子供の頃からすり込まれ、何があっても戦争はしてはいけない。平和である意味を心におきながら生きなさいと言われ続け育った。特に人生の強制的なレールを引かなかった両親からの唯一の大切な教えは世界平和だったのかも知れない。

そんな教育によって形成された人間性からか、きっと何かが変わるはず!くらいの勢いに任せて生まれ育った街を飛び出した。行き着いた場所は人種のるつぼで文化が栄えまくっていた90年代初頭のニューヨーク。

最終的に20代の7年間を過ごし、日本人でありながら海外で暮らし世界が平和である実感を噛み締めながら、好きな音楽に没頭しまくった。起きてはターンテーブルに向き合い、レコード屋でレコードを掘りまくり、家に帰ればまたターンテーブルと向き合う。どんな場所でもDJをしていいよと聞けば100枚のレコードが詰まったジャラルミンケースを引きづり回し、外国人のDJ達とグルーブ勝負で戦いまくった結果、気付けば浮世離れした仕事が生業となり、今では50歳という人生の半ばを超えた時間を過ごしてしまった。

個人的には必要以上に熱量が高かったのは確かで、常にわがままな自分を支えてくれる仲間達やサポートしてくれる人々のおかげで、ここまで歩んで来られた事実は感謝でしか無いし、好きな仕事でご飯が食べられる恵まれた人生であるのは間違いない。

しかし、思いも寄らないタイミングでこんな悲惨な時代が突然訪れてしまった。国からは不要不急の外出を自粛するよう要請され、家から出られず友達にも会えない。消毒液に塗れながらマスクで顔を半分隠し人と距離を取る。かたや SNS上では互いを罵り合う目を疑うような醜い言葉が飛び交い、メディアは政府にコントロールされたプロパガンダ一色。自粛警察なる如何にも日本人の陰険でネガティブな部分が見える人々が登場。数ヶ月前にこんな世界が訪れるなんて誰一人として想像もしてなかった。

もちろん人が集う場所が職場である DJの自分は、生きる目的すら失いかける状況だったし、自分は今まで何をやっていたんだと自問自答する日々が続く。コロナ禍が訪れて自分もいつ死んでこの世から消えてしまうか分からない。幼き頃の初めての記憶から今までの人生の記憶が走馬灯のように頭の中を高速にグルグルと回り始める。世界中の人々が悩み苦しんでいるのは当然の現実で、ダンスフロアーに叩きつけるような音楽を継続してきた自分には、音楽でこの世の人々を救えないし、何も出来ないと半ば投げ出すように諦めていた。

でも、この現状を打破して落ち込む思考なんて無駄で前に進んで行くしか無いだろ!!と叱咤激励してくれる強い意志を持つ友達が周りに沢山存在してくれて、光が少しづつ差し込み、心が救われ始めた。同時に今までの当たり前だった過去はリセットして新しい考え方を持たないと、次のステージに進めない現実も受け止めないといけない。もう年内人前やクラブで以前のように DJをする機会は来ないとも腹を括っている。でも、この状況でも少なからずやれる事はあるはずだと考え、自分と向き合う貴重な時間になっていると心に受け入れた。

では、自分のマインドセット、思考の行き先を何処に設定するべきか?熟考し続けると、リモートで人と話す日々の中で気付いたのは、現実的にリアルに誰かと会って話していた時よりも、遠隔上で人と向かい合う今の方が、不思議とその相手の人間性が前よりも顕著に見えるようになった事だ。そして本当に自分を必要としてくれる人が明確に誰なのかと心に刺さり続けた結果、隔離された状況で自分の本来の人間性を違った形で表現するしか無いと悟った。天から自分に導かれた答え、ISOLATED HUMANISM。下らない事でも有り難い話でもこのブログに自分が生きてきた経験や軌跡を書き留めてみる。それが自分の本来の人間性であり、次の世界平和へと繋がると信じて。

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