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今を綴る

自分の頭の中にあることをぶちまけたかった。いつも何かを考え込んでいる人間だから少しでも空気を抜きたいと思った。息を吹き込み続け止め時を見失い風船を割ってしまう前に。

前々からこの「note」というツールには興味を持っていたのだ。大学で同じゼミになった人が使っていたし、好きなクリエーターも使っていた。けれど、怠惰な人間かつ新しいことに臆病な人間であるから、なかなか「入手」の青いボタンを押すことをしなかった。それに、やるならば継続したい。けれど言葉にするのが億劫になって臆病になってやめてしまうのを恐れていた。
木曜日の空きコマにふと思い立って例のボタンを押した。本当に何となくだったのだ。何となく今日が一歩を軽く出せる、勇気がある日だったというだけだ。
呆気なくこの場所が手に入ってしまった。自由に自分の思っていることを広げられる場所。なんて素敵なのだろう。好きなだけ自分のテリトリーを広げられて、そこにたくさんの言葉を並べていける。

よし、いざ書くぞ!という時、私は指を止めた。止めざるを得なかった。私は何を書きたかったのだろうか。言いたいこと、思っていることはたくさんあるというのに、いざ言葉に出そうとすると煙草の煙のように消えてしまう。確かに目に見えていたのにすぐに空気に溶け込んで見えなくなってしまうのだ。私は虚空に放り込まれたのだ。
こういった現象はまだ20年しか生きていないけれど何度もある。言葉にするのはとても難しい。言葉にして伝えるという行為は人間の特権なのだから、もっと言葉を使いこなしたいものだ。noteを始めたはいいものの、自分は文章を書くのが下手だ。下手というか、伝えたいことを半分も伝えることが出来なくなってしまうから苦手だ。自分の語彙力の無さを指摘されているみたいになる。陳腐な表現しか出来ない自分の文に、嫌気がさして途中で伝える気もなくなってしまうのだ。でも、ここではいくらでも遠回りして伝えてもいいのだ。誰もそれを咎めないし、寧ろそれを求めている人もいるのではないか。そう思ってここに文字を綴る。

陳腐な、平凡な、月並みの言葉しか並べられないけれど、今の自分を少しでも残しておきたいのだ。思考は瞬間的なものだから取っておきたい。小学校の頃、帰り道に家まで蹴った小石を大切に取っておくようなものだ。なんでもないものを箱に入れてしまっておく。
だらだらと何となく記録ができたらそれでいい。だってここは私だけの宇宙なのだから。

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