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初恋

きみの顔を見なくなってもう十年くらい。猫みたいなアーモンド型の目とか、小さすぎる気のする鼻とか、少しだけ立ってて大きく見えるけど形の良い耳とか、むっとしたような口とか、ひとつひとつの形は覚えているのにはっきりとしたきみの顔が思い出せません。なんだか、微妙なできあがりの福笑いみたいです。きみを見ていた教室の空気の匂いや温度は覚えているのにきみの顔はよくわからないのです。不思議なものですね。あんなに見ていたはずなのに。
きみの顔の記憶をどこにしまったか分からないまま過ごしていた時に、きみから手紙をもらいました。そこには、あの時と変わらないきみが私の知らない人の隣で幸せそうに笑っていました。ああ、そうだ、こんな顔だったと思う同時に、きみの笑顔にしっくり来ない感じもしました。

手紙できみの顔を見てから、きみと同じ教室で過ごした高校最後の一年間を思い出していました。きみと私はそれまで面識はなくて、その一年も特に関わることはなく卒業になったね。私はバドミントン部に所属していて同じ部活の子達と過ごしていたし、どちらかと言えばきみとは反対のグループだったと思う。きみは学生特有のグループというものには入っていなくて、誰とでも仲が良いけれど、誰とも仲良くしていなかったよね。当時の私にはそれがとてもかっこよかったんだ。何となく、一人になるのが怖くて、何となく誰かに合わせて好かれようとしていた。
そんなんだったから、きみと一年間で話したのは両手で数えられるくらいだったように思います。でも、あのクラスの中できみを一番見ていたのは私だったし、私を見ていたのはきみだった。それは確かなのです。

あの頃私には高校二年生の時から付き合っている人がいました。その人に、ファーストキスも処女もあげました。少し束縛が強かった気がするけど、私を愛してくれていると感じることが出来て嬉しかったです。けれど、初めての恋人のはずなのにその人の顔は思い出せないのです。ひとつの形すらも分かりません。名前ですらも朧気です。高校2年生で初めて恋人ができたという事実を覚えているだけなのです。
多分それは、きみのことをずっと見ていたからなのではないかと思います。教室にいる間、私はずっときみのことを意識していました。いつの間にか視界の端に常にきみがいた。休み時間に友達と話している時も、いつの間にか騒音の中からきみの少し低めの声を聞き漏らすまいとしていた。それで、友達の話をよく聞いていなくて「ちゃんと聞いてる!?」と何回も怒られてしまって。
そうしているうちに、意識的にきみを探すようになりました。私がきみを盗み見していることを悟られないかと、どきどきしていた。きみの一部が目に映る度に、きみの声の波が私の鼓膜を揺らす度に、私は鼓動が少しだけ速くなるの。でも、私はそれを気のせいだと思うようにしていた。

朝、教室に入る時私は目をきょろきょろさせてきみを探していた。きみがいつも私よりも早く教室に来ることを知っていたから。
私が日直で早く登校した時にそれを知りました。きみは机に座ってぼーっとしてた。水族館で大きな水槽を泳ぐ魚を眺めるみたいに、窓の外を見てた。きみには本当に魚か何かが見えていたんじゃないかな。私が教室に入ると、形のいい眉を少しだけ動かしてから「おはよう」と言った。それから十分くらい二人で話したね。きみはあの日のことは覚えているかな。きみが朝早く登校するのは、朝の空気が好きだからだと聞いて、少しだけ私も朝が好きになりました。その後すぐに、他のクラスメイトが登校してきたから会話は終わってしまった。もっと話していたかったけど、他の人がいるのに話すのは違うなと思った。多分きみもそう思ってた。
私にとってあの十分間は、箱の中にしまうべきものなのです。教室に入ってきた青く透明な風や、朝の眠気、きみのまつ毛、きみの声、全て覚えてる。あの立方体の空間は私ときみだけのもので、内緒事なのだ。

いつからかきみと目が合うようになりました。私はすぐに目を逸らしてしまっていたけれど、たぶんきみの目は私を捉えたままだったよね。きみに見られていると思うと、上手く息ができない感じがした。重い布団が身体に乗っかっているような、心地の良い拘束感がそこにはあった。

きみと目を合わせるだけの友達と言っていいのかわからないほどの関係が続いて、そのまま卒業になってしまいました。卒業式の日すら話すことはなく、連絡先くらい聞けばよかったと後悔しました。私たちは大学へ進学して、きっともう会うことはないのだろうと思いました。私はきみがどこの大学へ行ったのかすらも知らなかったからです。
けれど卒業後一度だけきみに会ったのです。あれは大学二年生の夏休み直前のことでした。私は当時付き合っていた人と、期末試験が終わったことを祝して夜の街へ繰り出しました。二軒目へ行こうと、歩いている時に君とすれ違ったのです。人混みの中で、直ぐにきみがわかりました。
きみは恋人らしき人と腕を組んで歩いていました。瞬間私は、真っ暗な海の底に一人沈められてしまったような感覚に陥りました。けれどきみと目が合って、酸素が満ちた世界に引き上げられました。きみは少し傷ついた顔をしました。あるいは私がそう思いたいだけなのかもしれません。
おそらく三秒にも満たない短い時間のことです。私たちの再会とも言えない再会はこれで終わりです。それ以来きみと会うことはありませんでした。

あの再会から、七年経ちました。私は大学を卒業して、就職して、結婚しました。来年子供も生まれます。私はとても幸せです。ただ、あの頃きみと同じ空間にいた日々を少し懐かしく感じただけなのです。
あの頃は気付かないふりをしていたけど、私はきみに恋をしていました。恋心が曖昧な時期だったし、きみは私と同じ女性だったから、見て見ないふりをしていた。けれど、大人になって、愛する人と結婚をした今ならわかります。あれは確かに恋でした。
きみの結婚の知らせを受けてとても嬉しかった。きみはきっといい家庭を築いていくのでしょう。

きみが幸せなことを願います。

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