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49 名古屋城(Nagoya Castle)

はじめに

名古屋市の中区本丸にあるのが、名古屋の象徴的存在である名古屋城です。一度は見たことや聞いたことがある人も多いことと思います。今日の教育コラムでは、この名古屋城の特徴や歴史的な背景、そして、現代的な課題についてにもふれながらお話してみたいと思います。

金の鯱(しゃちほこ)

名古屋城の天守閣の屋根の上には1対の飾りがついています。それは、名古屋のお土産などのイメージキャラクターにもたびたび登場する鯱鉾(しゃちほこ)です。「鯱」と漢字一文字でも表しますが、この漢字、魚と虎という字が組み合わさっているのがわかりますでしょうか。実は、文字通り鯱鉾の姿そのものを表しているのです。
鯱は、城の屋根などに付けられる飾りです。 想像上の生き物です。頭は龍または虎とも言われ、胴体は魚だと言われています。尾びれの部分が空を向いているような姿がとても印象的です。この反り返っている形が、鉾(ほこ)のようにそそりたっているため、鯱とほこで鯱鉾(しゃちほこ)と呼ばれるわけです。鉾(ほこ)は、ちなみに「ほこをおさめる」の矛と同じように両刃の大剣に長い柄が付いたような武器です。
この鯱を金箔で装飾したものを金の鯱と呼び、名古屋城のシンボルともなっているわけです。そのため、名古屋城は別名金鯱城(きんこじょう)とも呼ばれます。こうした災害や人災から城や建物を守るという考え方は鬼瓦や鬼面瓦といったものにもみられる考え方です。

尾張名古屋は城でもつ

よく耳にするこの言葉ですが、「伊勢音頭」の最初に出てくる歌詞です。この伊勢音頭ですが江戸時代に流行ったものです。もともとは、伊勢国で唄われて全国に広まりました。この最初に「伊勢は津で持つ津は伊勢で持つ尾張名古屋は城で持つ」というフレーズが出てきます。
伊勢、今の三重県には「津」という港があり、伊勢神宮への参拝客などがたくさん、津の港を利用するためその周辺は多くの人々で栄えていました。一方、名古屋は城が新しく作られたばかりで一目見ようと多くの人で賑わっていました。そんな当時の様子をうたったのが、このフレーズなわけです。

城の姿

名古屋城の歴史は、江戸時代に徳川家康が全国の大名を総動員してつくったころにさかのぼります。1610年から築城が始まりました。このころは大阪の勢力に目を光らせる必要があるころでした。名古屋城は、当時の最高水準の築城技術を集めてつくられました。五層五階の天守は当時とすれば史上最大級でした。いかに徳川家康が力をもっているかを示すという意味もあったのです。
安土城で天主を備えた新たな城の姿を指示した織田信長は、新時代を城という姿を通して証明しました。家康もまた、名古屋城を通じて天下泰平の世に向かおうとしていた江戸幕府の権威と繁栄を示そうとしていたように思うのです。城の姿というものはそうした意味でも、容姿以外の何かを読み取ることができる対象なのです。

名古屋城の天守閣復元と差別発言

名古屋城は、2020年の完成を目標に天守閣の木造復元を進めています。すでに完成目標の年には間に合いませんが、歴史的な大事業を進めているのです。この修復計画をめぐり、ある2つの問題がおこりました。それが、身体的な障がいをもった人に対する差別発言と公の討論会にもかかわらず、主催者がこうした差別発言の停止や是正を指摘しなかったという問題です。
一部の市民のこの不適切な発言を、同じ場所で聞いていた一人にこの復元事業を中心的に進めている名古屋市長がいたことは皆さんもご存じのことと思います。
差別的な発言の内容は大変に深刻なものでした。
「エレベーターがあると、史実に忠実な復元にならない」という発言に始まり、「バリアフリーの考え方は、この再構築事業には必要ない」という内容まで述べ、障がいをもった方が我慢するべきであるという趣旨の発言にまで発展しました。また、その発言に加わった別の方が、身体に障がいのある方に対する差別的な表現を口にしたうえで、「エレベーターのメンテナンスに税金が使われることがもったいない。」という趣旨の発言をしました。問題はさらに続きます。その発言が終わると会場の一部からは拍手も起きたのです。この様子は、大きく報じられ、動画でも確認することができます。
さらに問題なのが、名古屋市長はじめ市の職員全員がこの差別的な表現や差別発言に対して一切の対応をとらなかったのです。

「尾張名古屋は城でもつ」から考える社会

新しい城として江戸時代に誕生した名古屋城、当時の多くの人々が一目見ようと街を訪れ、賑わいを見せていたのは、この城が、まさに天下の様変わりを象徴したものであったことを人々が感じていたためではないでしょうか。
史実に忠実に再現された天守閣と言いますが、使っている材料は全て同じなのでしょうか、作成に使っている道具は近代的なものではないのでしょうか。そもそも、歴史的史実にもとづいて歴史的建造物をつくるのであれば、天守閣を観光地にするなど、もってのほかとなります。天守閣には当時の認識では一般の町人は障がいがあるなしに関わらず入ることは許されません。つまり、この事業はただの復元にとどめ、立ち入り禁止にすればよいわけです。さらに、私の個人的な見解では、税金をつかって復元するのであれば、障がいのあるなしでその完成の姿を目にできないなどという現象が生じることには反対です。新しい城で賑わうためには、多様性を認めた社会の一部として復元される名古屋城が必要なのではないでしょうか。
これもあくまで私の想像ですが、きっと家康は、当時の技術でエレベーターがつけられる状況にあれば、天守閣までの直通エレベータをつけていたのではないかと思います。
名古屋市長の発言や対応は、多くの場面で波紋をよび、現代社会の課題を明確にしてくれます。私たちは、こうした問題に向き合う機会を与えてくれる市長に感謝しつつも、いつまでも色濃く残り続ける「差別」という問題に対してしっかりと認識をアップグレードしていかなければならないように思います。

討論会と自由な発言

討論会であるので自由な発言をしてよいという乱暴なルールには賛成できないというのが私の考え方です。討論会では、互いの意見を聞くことがまずは重要です。相手に対する尊重の念がなければ成立しません。
自由な発言は、差別的な内容であっても公の場や個人に対して述べてよいということではないのです。そして、そうした発言を見過ごしてはいけないということが討論会で互いに意見を交わす最低限度の条件になるわけです。
その点からいっても、今回の名古屋城の復元をめぐる討論会では、深刻な人権侵害を見過ごしたわけですから、問題となるわけです。


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