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距離と戯れる

Noteの記事としては、半年ぶり、とインターバル(距離)を経たが、この間、ずっと寝ていた訳でもなく、国をまたいだお引っ越しやら、本業におけるいろいろやら。
ちなみに、新しいおうちは、海の見えるバルコニーで、仕事ができること、を最優先に探していたのだが、ようやく念願かなって、ほぼ毎日、海を眺めて、こう、仕事をしている、いや、ぼーっとしている。
(正確にいうと、海の前の樹々があるので、海は端っこの方にかろうじて見えるだけだけど…)

ワンルームタイプのアパートの一室で、それも広くはないのだが、バルコニーの外壁ガラス手すりの前に、ハイカウンター(バーカウンターみたいな、高さ100cm程度のテーブル)、バルコニーに面したガラス扉(一応、フルオープンにできる3連引き戸)前に、ワーキングテーブル(幅200cm)、その後ろにソファー、さらにその後ろに、またハイカウンターのダイニングテーブルをレイアウトしているのだが、これを全部、海に向けて配置した。つまり、家具、ハイカウンターテーブル、ワーキングテーブル、ソファー、ダイニングテーブルが、4層平行になっている、一方向デザイン。
それだけ、とにかく海に向くことに徹底した。

逆に、一人暮らしのこの住居の中で、他にどこを向くのかわからない。
往々にして、大型テレビを購入して、テレビに向かってソファーを配置したり、壁にそわして仕事用の机を配置してその壁に、カレンダーやら仕事のメモを貼り付けたりすることも多いようだが、一人の空間で、そんな目の前のオブジェクトに相対するなど、無粋極まりない。

とにかく、バルコニーから、外に相対したかった。
でそのバルコニーの外が、向かいのマンションだったり、チカチカうるさいネオンサインだったり、てのも、なんだか、いずれ飽き飽きする風景であり、ずっとずっと遠くまで見通せて、視界の先、はるか遠くで、何かがあるらしい、そんな、1 wayな視線を確保したかった。
言ってみれば、普段の生活の中に、リミットレスな距離(対岸が見えない、見えても何キロ先なのかも定かではない)を確保したかった、ということだ。

もともと、対人、対社会の距離感に苦労して生きてきたゆえに、何かとフィックスされた距離の中で生きることに自信がなく、距離からの開放を求めていた、とも言える。

極めて眺めがよく、快適なため、もはや仕事場に行くより、WFHの方がはかどるなぁ、とうそぶいたこともあるが、正直にいうと、実は、あまりにも眺めが良すぎて、遠い彼方を見つめるうち、遠い先の将来のこと、中くらい前の甘い思い出の数々、いろんなことに想いが飛んでしまい、あまり仕事にはならない。
とは言え、距離がテーマのこの、Only Distanceをゆるく再開するには最適の場所。

  • 書く、ということは、どういうことか?

  • 一体、誰に向けて書いているのか?

  • 伝わる、ということはどういうことか?

  • 簡単に伝わることが目的なのか?

  • あるいは、簡単には伝わらない、あるいは書き手が伝えたいと一義的に思っていることは全く伝わらないけど、書くこと・読むこと・断片的に目に入ったテキストを切り取ることによって、ふと頭に思う浮かんだ別の事象に想いを馳せることこそが、実は貴重な体験なのではないか?

視線の彼方が開放されたが故に、宙ぶらりんに揺れ動く眼前の距離を見ながら、改めてさまざまな「距離」と戯れる、今日この頃。

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