誕生日を知らない超ブラック企業勤めの青年が慶應義塾大学への進学を目指した話 ③

―2016年12月2日―

「先生、はじめまして。ダイキです。よろしくお願いします」

はにかんだ笑顔とともに頭を下げたお辞儀とともにしっかりした挨拶をしてきた。

「はじめまして、ダイキ君。今日はよろしくお願いします。早速だけど、色々君のことを知りたいから何故家庭教師をしてほしいと思ったのか教えてくれませんか。」

堅苦しい挨拶とともに彼のことを色々聞きだそうと姿勢を正し目を向けると、注文したコーヒーには手をつけず、はきはきとした挨拶を行う彼の姿勢を見て、益々彼に対しての好感を深めた。

二人の会話のキャッチボールは私からの質問から始まる。

「今は浪人生ではなく高校3年生ということでいいですよね。あと志望校と受験科目とその科目の偏差値、そして使っている参考書を見せてくれますか?」

「僕の志望校は事前に連絡していた通りで東京六大学。あと・・・偏差値ってなんですか?受験科目は英語と世界史です。」

「ん?六大学で英語と世界史???その二つで受験できるところってあった?僕が知っている限り英語と世界史だけで受験できるところはなかったと思うけど・・・いったいどこを目指しているの?」

(2016年当時だけでなく2022年現在も六大学およびMARCHという世間一般でいう有名私立大学群において英語と世界史のみで受験できる大学はほとんどない。慶應義塾大学においては英語、世界史及び小論文での入試が存在する。)

さらに私は質問を投げかける。

「質問が三つあるけどいいかな?

1つ目は、東京六大学というものは、大学野球における大学群であって受験のグルーピングではないよ。東大と他の5大学を構成する私大、さらにそれらの中でも学力的な格差が存在しているためその中のどれを目指しているの?

2つ目、偏差値がわからないとはどういうこと?

3つ目、受験科目が英語と世界史といっているけれども国語はどうしたの?」

一般受験で大学進学を目指す受験生(指定校推薦やAO入試による選抜、内部進学による入学を除いた受験生のこと)で自分の偏差値を知らないものはいないと思われる。特に東京六大学という有名大学群を目指す受験生にとって、偏差値というものは志望校を目的地とした日本の受験環境においてはコンパスもしくは地図の役割を果たす自分の位置確認のための必需品だと考えている。私が投げかけた質問に対して、非常に言いにくそうに顔を曇らせた。

「国語は日本語なので勉強しなくてもなんとかいけるかなと思っています。なので、法政とか慶應とか受けようかなと思っています!慶應なら2科目と小論文で受験できるじゃないですか。小論文はなんとかなると思うので大丈夫かなと。先生ならビリギャルみたいにもしかしたら慶應に合格できるノウハウを持っていると信じて応募しました!」

そう言い放つと同時に前のめりになりサムアップをした。

この回答を聞いて真っ先に感じたことといえば、絶望感以外の何ものでもない。

「いやいや。国語は確かに日本語だから読むことはできるだろうけど、問題を解くスキルは別ものだよ。それに慶應は確かに小論文で受験できるけれど問題見たことありますか?なんの対策も無しに受けるのは無謀だと思いますよ。」

「小論文は予備校に行ったときに先生に教わったことがあります。書き方とかありますよね。でも日本語なので何とかなると思います!」

この返答を受けて私は思った。これは絶対にまずい・・・と。学生時代からこういうことを(国語は日本語だから何とかなる)いう奴らをたくさん目にしてきたが、なんとかなった例(ためし)がない。現代文は日本語ではなく文章を読み取り論理構成を理解しているかを問われる教科であると私は認識している。これに関しては一夜漬けでなんとかなるものではなく、それまでの読書量や論理力によって明確な差が出てくるのだ。

彼の“スペック”にではなく、これから共にスクラムを組み難関大学受験挑むにあたり乗り越えるはずの壁の高さへの認識の甘さと、まるで世の中には魔法が存在しているかと信じているような考え方そのものに対して目の前が真っ白になる感じを受けてしまった。私はこれまで(学生時代含め10年以上)複数の受験生達を志望校に送り込んだ経験を持っているが、彼らは皆、志望校の受験日の最低でも1年前から志望校の科目の分析を行い、科目別の合格水準を確認したうえで何をやるどのくらい、どの程度を身に着ける必要があるのかを逆算した上で、月単位での目標と週単位でのPDCAを必死に回した結果でようやく勝ち取れたものであり、たった2か月で難関大への合格パスポートを取得する方法を残念ながら自分は持ち合わせていない。そして、おそらくではあるが、そのようなものは存在しないと思う。仮にあったとしいても、それは受験当日ものすごく運が良くたまたま正答を選び続けた並外れた運の持ち主による成功体験だと思う。よく3か月で有名大合格したとかいうネット上の声があるが、それは元々が進学校出身であったりする背景が往々にしてあると思う。私はこれまでのダイキ君とのやり取りで、かなり“やばい”相談案件だという空気を感じ取った。これがもし本業において、お客さんから受けた相談であったらこの空気を感じた段階で外れ臭が出てくるレベルである。

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