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アイドルへの「輪廻転生」-天音かなた

彼女の4周年記念ライブを10度は見たのと、配信から1か月が経過し、天音かなた自身がこういった考察を観測する時期はもう過ぎたものと仮定して、温めていたこの記事を公開する。

1.前置き

Vtuber、もとい(Vtuberに限らず)インターネットアイドルとは、化物であるとわたしは思う。彼らキャラクターを構成する因子は主に3つ。声音、ビジュアル、性格(特性)である。そして、一般的なアイドルと彼らとの大きな差は、それら側面(ペルソナ)を、取捨選択して表に出せる部分である。

例えばニコニコ動画黎明期の歌い手が、主軸としていたのは声音だろう。勿論、紙芝居に近い動画のビジュアルや、配信活動をしている場合は内面や性格も、自己を売り出す材料にはなった(或いはそれらを極めることでアイドルに成り得た)。
但し、極論として、声音と活動へのモチベーションさえあれば、それらを極められたのなら、彼らは歌い手としてやって行けた。或いは匿名性を重視し、自己を売り出さない場合もあった。そしてそれらの実現にとって、彼らが人間を辞める必要性はどこにもなかった。
しかしながら時代が進むにつれて、ただ歌えるだけの歌い手は目立たなくなって行く。歌ってみたを出すだけでもアイコンや動画のビジュアルが重視され、また視聴者の興味は内面的な因子、性格にまで向かい、だんだんとそこにアイドル性が求められて行った。同時に、ある程度は視聴者に身近であることも求められていた。

歌い手でなく配信者を例にとっても、声音、性格、ビジュアルの全てを満たしている必要性は、昔はなかった。全く顔出しをしないケースは往々にして有り得たし、仮に性格にノンデリなところがあってもゲーム配信者として面白いという特性さえあれば、声音や顔出しを必要とされることは少なかった。だが、ちょうどニコニコ動画が終焉を向かえた2010年代後半から、配信者の顔出しは増加した。TwitchやYouTubeライブといったコンテンツの台頭もあって、ゲームが上手い、萌え声実況、というだけでは売れず、ビジュアルを用いてのリアクションや器量が求められて行った。

この記事はそれらの善悪を判断する場所ではないし、それ自体なんら重要ではないとわたしは考える。ではどうしてこんな話をしたのかというと、この記事の命題、アイドルへの輪廻転生についての前提を置きたかったからである。

主題にも置いたVtuber:天音かなたは、カバー株式会社が運営するVtuber事務所「ホロライブプロダクション」(以下、ホロライブ)に所属する女性Vtuberである。
ホロライブは数あるVtuber事務所の中でも、タレントのアイドル性に重きを置いており、ANYCOLORが運営する「にじさんじ」と並び、最も有名かつ有力な事務所の1つである。
Vtuberは当初、少なくとも表面上は、事務所に所属していることを売りに出してはいなかった。しかし企業性の内在が水面下から浮上して来るにつれ、それを逆手に取った事務所のブランド化が進んで行った。
これにより、例えば新人Vtuberが大手事務所からデビューする際、「新人Vtuber」「大手事務所」双方が注目を集めるようになる。まさにその発展の途上で、ホロライブ4期生としてデビューしたのが、Vtuber:天音かなたである。

長い前置きはここまでにして本題に映る。今年1月6日に開催された、天音かなた4周年記念LIVE「輪廻転生」について。
天音かなたの周年記念ライブはこれまで、ライブ中、楽曲間の解説や語り、ファンへの呼び掛けを最小限に留め、ゲストも呼ばないという、コンセプトを含有したソロライブを行ってきた。今回もその例に漏れず、と言うか、そのコンセプト性を更に強めた形で演じられた。
では、このライブの表題である「輪廻転生」とはどういった意味合いを持つだろうか。「輪廻」についてはライブの楽曲や内容を深掘りする必要があるが、「転生」というワードは、Vtuber界では昨今まで極めて容易に、かつ露悪的に使用されて来たことから、容易く想像出来る部分がある。それはつまり、「前世」からの転生である。
天音かなた4周年記念ライブを考察するに於いて、「前世」という要素を考慮に入れるか入れないかは判断の別れるところであるが、多くの場合はそれをタブーとし、触れずにいる。しかし今回は考察の一要素とし、敢えて(深掘りはしないまでも)触れることにする。

天音かなたの前世はニコニコ動画を中心として活動していた歌い手とされている。歌声の特徴や過去の発言によって想像しうる特性など、数々の側面から、ネットではほぼ間違いないものとして見られている。
そのことを前提に「輪廻転生」について考えると、Vtuberへの転生をテーマの1つに設定していることが考えられる。
そう前提した上で、楽曲の意味合いについて考察して行く。天音かなた自身が今回のライブについて、今までよりも歌詞を重視していると公言しており、オリジナル曲以外の既存曲にも(楽曲自体の本来の意味とは多少ズレるが)コンセプトに沿った意味を持たせている。だからここでの考察とは主に、その意味合いを紐解いて行くことにある。まずはセットリストを追って瞥見的解釈を披露するととも、曲ごとの印象的な歌詞をピックアップし、考察の材料とする。

2.セットリスト

・名前のない怪物/ryo(supercell)

1曲目からタイトルが暗い雰囲気を漂わせる。天音かなたは本質的に暗い女なので、初めにその内面描写をするにあたり、この曲は適切であるように思う。アニメソング界では有名な楽曲。因みにライブ中、この曲のみ歌詞の表示がされていない。以下が印象的な詩。

・ほら見て私を 目を逸らさないで
・黒い鉄格子の中で私は生まれてきたんだ
・ひび割れたノイローゼ愛す同罪の傍観者たちに(ここでカメラを指差す)
・この身体を受け入れ共に行こう 名前のない怪物
また、ライブの導入でのバックミュージックにこの曲のMVのイントロ部分が使用されている。

・人生リセットボタン/kemu

輪廻転生のタイトルを象徴するような楽曲。人生をやり直すという行為と、その輪廻がわかりやすく表現される。以下が印象的な詩。

・ネバーランドの囚人も昔は確かに笑えたんだ
・人生リセットボタン(リストカットに見えるポージングをする)
・僕のいない世界こそ きっときっと答えと 思ったが どうでしょうね?

〜〜語り1〜〜

・挨拶
・時間の跳躍、タイムリープがコンセプトとなっていることを明言する
・考えながらの視聴を要求する。曲順がストーリーになっていることを明言する

・初音ミクの消失/cosMo@暴走P

ボーカロイド界の古典的名曲。機械が語彙を組み立てて羅列するかのようなパートが印象的で、この楽曲は当初人間には歌えない曲と評されたし、当時の中学生のオタクはこれを早口で歌う練習をしていた。天音かなたもその一人で、これを歌い切ること自体はそこまで苦ではなかった旨を言っている(つまりこれは人間には歌えない曲ではないし、人間が歌うこと自体がボカロのアイデンティティの1つを消失させるというアイロニー)。以下が印象的な詩。

・音を犠牲に全てを伝えられるなら
・たとえ既存曲をなぞるオモチャならば……それもいいと決意
・還る動画(トコ)は既に廃墟

・拝啓ドッペルゲンガー/kemu

自身の翳ったアバターを用いた二人芸が印象的。曲のストーリー自体はドッペルゲンガーに自分を乗っ取られるというありがちな展開だが、Vtuberが歌うとその内面、葛藤を浮き彫りにしている感じが強く出る。以下が印象的な詩。

・どうもこんにちは 君の(ここで光と影が入れ替わる)
・奇跡の輪廻が狂った正解を染め上げるさ
・「どうもこんにちは 君の分身です」(入れ替わった側が)
曲間で分身だったモノがモニターを叩いて切り替わるのが良い。

・ココロ/トラボルタ

今回唯一初期衣装で歌われる曲で、Vtuberとして活動して行く上でキャラクターに宿ってゆく感情を表したものと思われる。「心」という未完成のプログラムを入れられるロボットの話。曲が進むに連れてロボットは「ココロ」を得て歌い続けるが、機械はその大きさを受け止めきれずにショートする。

・しかし、その表情は笑顔に満ち溢れ まるで天使のようでした。

・INTERNET YAMERO/にゃるら、Aiobahn

宮沢賢治の『春と修羅』をオマージュした語りから入る、インターネットという修羅を生きる曲。わたしは初見から、冒頭のパラパラダンスはコナンをオマージュしているのではないかと疑っていたが、実際本人がそう言ってて久々にワロタ! 以下が印象的な詩。

・インターネット・エンジェルという現象は 仮定された有機交流電燈の かわいい虹色の照明です ぶいっ
・ほんとうは幸せを知っているのに 不幸なフリやめられないね
・インターネット最高!
・青白いモニター越しの光を通し オタクの孤独を癒やして回る わたしはインターネットの天使なのだ

・きゅうくらりん/いよわ

全ての「推し」が歌うべき楽曲。あるギャルゲーがモチーフになっていて、可愛さと不気味さの二面性を併せ持つ歌詞が特徴的。不協和音が心地良い、タナトフォビア的カタルシス。歌っている舞台、セットの名前は「かなたの部屋」らしい。以下が印象的な詩。

・喜びより 安堵が先に来ちゃった
・わたし ぎゅうぐらりん
・もう どうしようもないの
・空っぽが埋まらないこと 全部ばれてたらどうしよう
・全部ムダになったら 愛した罰を受けるから
・わたし ちゅうぶらりん

・ワンダーラスト/sasakure.UK


・メグル メグル 最後の 廻音(メロディ)
 君が笑ってくれるのなら
 僕は 消えてしまっても 構わないから
 君が涙の海に身を投げても
 握りしめた手 離さないから
 白い嘘だらけの世界なんてもう
 消えてしまっても 構わないから
『旅の終わりの夢に見た存在(もの)に僕は なれますように なれますように』
 オワラナイ ウタヲ ウタオウ
 僕ガ 終ワッテ シマウ マエニ…
 オワラナイ ウタヲ ウタオウ
 僕ガ 終ワッテ シマウ マエニ…
 オワラナイ ウタヲ ウタオウ
 僕ガ 終ワッテ シマウ マエニ…
 オワラナイ ウタヲ ウタオウ
 僕ガ 終ワッテ シマウ マエニ…
 オワラナイ ウタヲ ウタオウ
 僕ガ 終ワッ…

・アイドル/Ayase

言わずと知れたヒットアニメのオープニング曲。数あるYOASOBIとアニメのタイアップでも圧倒的にヒットした曲で、天音かなた自身もcoverを投稿している。無論、タイアップ先の原作を元にした歌詞だが、このライブのコンセプトとしてもその露悪的な側面は生かされてる。
・これは絶対嘘じゃない 愛してる

・ハッピーピープル/てにおは

今回1曲目に公開されたオリジナル曲。曲調は跳ねるようで可愛いが、歌詞では未来の無いことが示唆されている。微量の狂気が綯い交ぜになっている。
・春でも夏でも秋でも冬でも変わり映えなく 四季折々に傷ついてる
・ポッケに薬が色々ハッピーピープル

・おらくる/じん

今回2曲目のオリジナル曲。何かを祀り上げるようなアップテンポの曲調。全体的に上位存在ぶっていて良い。実際にVtuber、殊に天音かなたは上位存在であると、わたしは思っているので、この曲は聞いていて心地が良い。
・「欠陥品と嘲笑して ろくでなしと見下して あの日貶した 怪物は 自分の方でした」
・これからも君の上からいくらでもいくらでも いくらでも注いでいくね
・誰も返事しないもんね

・Knock it out!/Giga&TeddyLoid

今回3曲目のオリジナル曲。BPMアゲアゲで滅茶苦茶イイ。昨年、喘息で活動休止期間があった天音かなたが、こういう曲を難なく歌えていることに感動する。Giga&TeddyLoidは昨年紅白でも歌われたAdoの「唱」を作ったペアで、この曲もやはり異色な曲調。
余談に過ぎないが、天音かなた3周年記念ライブで1曲目に歌われたヒビカセ(Gigaが作曲に携わった曲)には「オトヒビカセ」という詩があり、このKnock it out!で、「彼方まで 音 響かせ」という詩を入れてくるのはかなり芸が細かい(因みに天音かなたは転生前からヒビカセを歌っていることが確認されている)。
・夢見てても 起きてなけりゃ意味がない
・傷付いても立ったステージ
・彼方まで 音 響かせ
・ガシンショータン 壊せプライド

〜〜語り2〜〜

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・メフィスト/薔薇園アヴ

ヘッドホンで聴くとイントロの重厚さが凄い。9.アイドルと同じアニメのエンディング曲。ロングトーンがやはり化物じみていて、天音かなたとしてはお馴染みでありながら、25秒という長さと2段階の転調により、今回も飛び道具として機能した。
・星は宝石の憧れ
・誰を生きたか忘れちゃった!
・わたしが命を賭けるから あげるから あなたは時間をくれたのでしょう?
・さあ星の子たちよ よく狙いなさい

〜〜周年グッズ販促〜〜

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3.考察

このライブを考察するにあたって、まず、やり方が大きく2つに分けられる。
1つ目は、ライブのコンセプト、ストーリーを流れを追って考察する、叙事的方法(3.-1.)。
2つ目は、コンセプトを深掘りした上で水面下の深淵を覗く、抒情的方法(3.-2.)。

3.-1.

・名前のない怪物
ライブ後半で使用されるものと同じ「別世界」の衣装。別世界のかなたが自身の怪物性を受け入れている?

・人生リセットボタン
怪物の自己を受け入れず人生を中断し、輪廻を廻って行く。チープな説明を遺して生をリセットする

・初音ミクの消失
既存曲をなぞるオモチャとしての自己≒ボーカロイドとその消失

・拝啓ドッペルゲンガー
救世主、侵略者としてのドッペルゲンガーに自己を乗っ取られて終わる世界

・ココロ
与えられた“ココロ”の重さに耐えきれず、機械はショートする。その笑顔に満ち溢れた表情は天使のように観測される、そういう結末

・INTERNET YAMERO
病みながらもインターネットの悦楽、承認欲に溺れ、しかしながらその修羅道を天使として駆け抜ける

・きゅうくらりん
特別な存在、「あなた」への感情と葛藤を抱きながら夢を見て、末路を受け入れちゅうぶらりんになる。配信への依存により自死を選ぶ結末と取れる

・ワンダーラスト
輪廻の旅の終末で終わらない歌を歌う。ここがこれまでの輪廻の終着点で、その証拠に次の曲からは舞台(セット)が変わらない。衣装はBlue Journey

・アイドル
上位存在への転生。衣装は怪物のそれに戻り、輪廻の果てで選んだアイドルとしての自分の、裏表その総てを歌い踊る。愛してるのは絶対嘘じゃない、らしい

・ハッピーピープル
不完全性、病を持つ下位存在でありながら薬を用いてまでハッピーピープル(上位存在)を目指し歌うのは、君がケラケラ笑うから?

・おらくる
アイドル(上位存在)として君(下位存在)を愛し、導こうとする。きっと愛してるのは嘘じゃない。歪んだ情緒であっても、その思いは遂行されている

・Knock it out!
無敵な 愛 愛 “I”、無敵な“I” “I” “I”。プライドを壊して何者かに成ろうとする決意が見られる

・メフィスト
誰を生きたか忘れちゃった! 今までの光景は堕天、悪魔による輪廻? 貴方は時間をくれたのでしょう →天使に? それとも化物に?

3.-2.

・名前のない怪物
化物としてのVtuberと、それに成り行く不完全な自己(肉体と精神の人間性)の受容

・人生リセットボタン
受容の否定。他の生を選ぼうと恣意的に模索する意思。数多の死による輪廻の回想、再生

・初音ミクの消失
ボーカロイドへの転生、或いはボーカロイドを愛した一人の歌い手の消失。還る動画は既に廃墟。自己のアイデンティティの消失

・拝啓ドッペルゲンガー
Vtuberとしての自分が自己を乗っ取る、光と影の逆転劇。自分を保ちながら存在を操るなんて奇跡は起こらない

・ココロ
荒廃したロボットのような存在(本来の自己)に与えられた“ココロ”。活動初期、ゲーム中に喋ることが出来なくなるほどだったかなたが、へい民(ファンの呼称)に心を与えられて行った過程を描いているようにも聞こえる

・INTERNET YAMERO
悩み病みながらオタクの孤独を癒やして回ることを決意する天使。インターネットがやめられない、承認欲と顕示欲の中で、それでも素直な心情としてインターネットを最高と言い張る。曲の元ネタのNEEDY GIRL OVERDOSEと、自身の配信活動とに、重なるところがあるのかもしれない

・きゅうくらりん
この曲での「貴方」は特別な一人とも取れるし、へい民(ファンの呼称)一人一人とも取れる。INTERNET YAMEROでは死んでいないとかなた自身が明言しているので、それとの繋がりを考えると、ドキドキ文芸部をモチーフにしたこの楽曲は、配信活動で知った一つの世界の断片とも取れる

・ワンダーラスト
アイドルとして成立する前の、最後の自己の発現。消えてしまっても構わないという美しい自己犠牲の詩とともに、そのバーチャル(或いは実在)の存在ごと消え行く

・アイドル
無敵の笑顔(絵)で荒らすメディア、知りたいその秘密(中身)ミステリアス、抜けてるとこ(人間性)さえ彼女のエリア、完璧で嘘つきな君(Vtuber)は、天才天使天音かなた!
アイドルとしてバーチャルの海を東奔西走する天音かなたは嘘をつくことだってあるし、この曲と心情を重ねることだってあり得る

・ハッピーピープル
アイドルになっても痛みや病は癒える訳ではない。それは輪廻の内で悟りを開いても苦しさ自体はなくなる訳ではないという、仏教的解釈と似ている。それでも痛みも病もその愛しさをも捨てて、アイドルを遂行する天音かなたの、受動的にポジティブな姿勢が表れている

・おらくる
上位存在として「怪物(自分)を貶した君」に対して無限の愛を注ぐ。その愛にとって、自分と君とは対等である必要がなく、ゆえに、その歪んだ想いは神託にも近い

・Knock it out!
タイトルはCheck it out!のもじりだろうが、意味合いとしては歌詞にある通り「無個性排他」なのではないかと思う。他を排してまでプライドを壊してまで個性を磨き上位存在(≒アイドル)として登り詰める、そうするに至るだけのバイブスが表現されている

・メフィスト
2段階転調するロングトーンが「誰を生きたか忘れちゃった!」の部分であることで、まさに輪廻転生を表しているよう。私が命を賭けるから あげるから あなたは時間をくれたのでしょう→バーチャルYoutuberとして命を賭ける天音かなたとしてのへい民へのメッセージ? それとも……

3.-3.

何度通してライブを見ても、そのコンセプトを一口に説明することは難しい。だが、慎重に言葉を選んだ上で、ひとまずは以下のように言い表すことが出来る。

Vtuber:天音かなたが自身の数多の可能性を模索して死を繰り返し、輪廻転生をするという背景と、数多の模索を通した上で死んだ上で一貫してアイドルとして活動をするという決意の実像が織り成した芸術。

──そう思うに至る訳として、わたしは「輪廻転生」のセットリストを次のように分けて考えている。

A.名前のない怪物、人生リセットボタン

B.初音ミクの消失、拝啓ドッペルゲンガー、ココロ、INTERNET YAMERO、きゅうくらりん、ワンダーラスト

C.アイドル、ハッピーピープル、おらくる、Knock it out!、メフィスト

そして下記がこの区分けの説明である。

A.コンセプトの定置、前置きがされている。前回の3周年記念ライブ「別世界」と衣装やセットが同じことから、それとの繋がりも感じさせる。序章的立ち位置。

B.数多の可能性、輪廻転生の実演と、その物語の背景化。または楽曲というモチーフを用いての、Vtuber:天音かなたとしての今までの歩みの表現。

C.上位存在に成った天音かなたの表現。またそれが化物との契約によって成されていることの示唆。

この中で、Bパートでは天音かなたの今までが描かれているとともに、終末の中での前世(本来の自己)との葛藤、格闘が見受けられる。
或いはこのパートまでのかなたには人間性や良心がまだ残っている。しかしワンダーラストを最期にして、アイドルからはそれらを切り離したような演奏を見せつける。次々と切り替わっていた舞台のセットがアイドルからメフィストまでは一貫するのは、明らかに何か変化したことを象徴している。真の輪廻転生はまさにその変化であって、このライブのコンセプトはそこにある。

結論として、それはつまり、人間から上位存在への転生の物語である。

「ざっくり言うと挫折があったりとか、ここはダメだやり直したいと思うようなことがある」
「世界観的に、死んだら次に行く的な感じがある」
「もし色んな世界選ぶとしたらどうするだろう
っていう中で僕はアイドルとして生きることをやっぱり選びたいなどうなっても」

上記はライブ振り返り配信での天音かなたの言であり、わたしとしてはこれは世界観に寄った言葉選びのように思えるが、やはりアイドルとして生きることを選ぶとは明言していて、結論として今の自分を選ぶと言う点で、自身の転生を肯定していると捉えられる。

但しもう1つ、その中でトリにオリジナル曲ではなくメフィストを持ってきたことについて考察をしなければならない。今回オリジナル曲を3曲も出した中で、今までのライブでは恒例だった最初のオリジナル曲「特者生存ワンダラダー!」をやらないのには大きな意味があると思えてならない。

メフィストと聞いて連想するのはゲーテの戯曲『ファウスト』で、悪魔メフィストと契約を交わしたファウスト博士の壮絶な人生が思い浮かぶ。加えて、この曲はアニメ『推しの子』のエンディングテーマであることから、当然それとの関連性もあるだろう。
ただ、ここで重要視したいのは契約という部分で、天音かなたとしてはおそらく、これがVtuberとしてやアイドルとしての自身の契約と重なる。一度始めたら逃れられない不可逆の性質が、その存在をより化物たらしめている。
曲中にある、誰を生きたか忘れちゃった! という言葉は、ライブに於ける輪廻転生が、化物との契約によって成されていたことの示唆であると同時に、普通の人間であることを辞めた天音かなたの、悲劇的側面の描写ですらある。ワンダラダーが表の喜劇的側面を描いたものであるとすれば、この4周年記念ライブでは裏の側面を見せてくれたということになる。

また、曲の最後のフレーズ「さあ星の子たちよ」で始まる詩は、へい民に対しての呼び掛けのようにも取れる。上位存在である自分を「よく狙いなさい」と言う理由について、解明するには考察の材料が足りていないように思えるが、推測するに、わたしたちを自らの位置に近づけようとする意志の発露ではないか。

加えて、メフィストはライブの構成上、アルバム紹介とグッズ紹介の間に挟まれていることにも着目しておく。これは(悪い意味で)穿った見方と思われても仕方ないが、俯瞰するとこの曲にアイドルの商業的な行為へのジレンマ、皮肉が含まれているように感じられる。あくまで付随的なものに過ぎないけれど。

4.感想

まず、素直な想いとして、昨年喘息で3か月活動を休止していたり、重い耳の持病を患っているかなたが、これら楽曲群を歌い上げるのには感情を動かされた。ライブの終末的な世界観も相まって、絵という無敵のガワを手に入れているはずのVtuberが、しかしながら実際の人間と同じように(或いはそれよりも)儚い存在なのだと再認識し、それでもわたしの上に立ってくれる彼女はやはり天使なのだと改めて理解するに至った。

わたしはアルバムに於いてもライブに於いても、コンセプトを重視したものが好きで、残念ながらそういう表現をしてくれるVtuberは求めても中々見つからないのだけれど、天音かなたはわたしの願望を叶えてくれる数少ないVtuberの内の1人として間違いなく在る。
今回は、前回の3周年記念ライブよりも更にその個性を強めて来てくれたから、わたしとしては嬉しさを抑えきれない。だからこうして記事を書くに至った。

個人的にはワンダーラストが特に良かった。これも古いボカロ曲だが、昔からこの曲に触れて来たであろうかなたの歌い方はまるで、白紙に落とした涙が滲みながら浮かび出るようで、これ以上なく儚く優しかった。コンセプトを考察する上では、この曲を最後に人間性は棄てられ、アイドルとして在るために売られるものとしているけれど、たとえ嘘を吐くことが増えてもその優しさはそう簡単には失くならないと、わたし自身はそう思う。
ライブでは拝啓ドッペルゲンガーのラストでモニターを殴る演出があったり、実際握力が55.9kgあったり、パンチングマシンで70kg台を計測したり、毎回のようにロングトーンで肺活量を見せつけてくるかなただけれど、儚く優しい側面もあって、その二面性がVtuberやアイドルとしては魅力的だと思う。
わたしはあまり初期からかなたを追ってきた訳ではないけれど、当初は薄かったVtuber、アイドルとしての覚悟が、どんどん濃くなっているのは見ていてわかる。

わたしは自分の喋り方や性格にコンプレックスばかり抱えているから、歌い手から転生し、Vtuberとしてここまで成長して、それを遂行出来ている天音かなたを本気で上位存在に思うし、だから崇拝もしている。

無謬の神は否定される、近代をも超越したバーチャル世界に、堕天というイメージも相まって美醜を兼ね揃えた天使が降臨するのなら、それこそが現代社会に於ける最上位存在だとは思わないか?

どんなに俗で身近な話題で配信をしていても埋まらない、高嶺という次元の向こう、彼方遠くに位置するアイドルと、わたしとの間にある無限の距離。

昨今では、Vtuberのガワを被った配信者がその承認欲によって炎上したり、活動者同士のトラブルがYahooニュースに載ったりと、大層な事件が起きているけれど、結局それは当事者がアイドルに成りきれていない故ではないか。化物は正体不明でなければならない。でなければ、化物としての寿命は即座に終わる。そのことを弁えていないからバケモノとして笑われる。
それはそれとして、インターネットアイドルは総じて、バケモノと揶揄されても仕方ないような存在である。行動が狂えばインターネットニュースになるのは必至、その点では芸能界と何ら変わらないんだろうけど、わたしたちがそれらを理解した上で「推す」という行為を履行、推進するのは、多様化社会の一つの結論な気がしている。

全身全霊を賭けてアイドルをやっているVtuberは、ポップカルチャーとして現代最先端の芸術そのものだとわたしは思っている。だから、崇拝に近い形でなら、これからもいくらでも推し続けるんじゃないかとそう予感している。

※これらはすべて、わたしの主観、所感、瞥見、推察、思考がもたらした仮定です。