武庫之荘とゲームの思い出

これを同じ世代の同じような場所で生きた人間が検索でたどり着く事を願ってこの文章を書く。

自分がかつて住んでいた兵庫県尼崎市の武庫之荘という場所には40年以上の大昔にゲームセンターが2件あった。その2つは阪急武庫之荘駅より南にあり、その1つがアーバンという名前の店だった。
そこには子供の頃よく通った。あの頃を彩ったアーケードゲーム、タイムパイロット・ドンキーコング・ポッパーロボ・ストラテジーX・マリオブラザーズ
どれもアーケードゲーム黎明期の名作だ。
メインの客層は高校生~大学生で、子供の自分からすればかなり大人びた場所だった。この当時小学3年生くらいの頃だったのでワンプレイ100円という資金をなかなか捻出できずひたすら人のプレイを後ろから観ているだけだった。いつか大人になったら思う存分アーケードゲームで遊んでやる。そう思っていた。学校でもアーケードゲームの話題で盛り上がり、テレビゲームというのが最先端のクールな文化だったのだ。

しかしある日突然このゲームセンターは何の前触れも無しに閉店したのだ。この店だけではない、先に触れたもう一軒の店も閉店した。当時は非常に困惑したのだがその理由が武庫之荘のゲームセンターやパチンコを禁止するという条例によっての閉店だった事を知ったのはかなり後になってからの事だった。
こうしてアーケードゲームに飢える日々を過ごす事になったのだが、武庫之荘より南の立花という地区にゲームセンターが2件あるという情報を聞きつけた。
早速そのゲームセンターに行こうと思ったのだが、当時の子供にとって自分のテリトリーより外に出るというのはかなり勇気の要ることだった。見知らぬ土地にまで自転車で遠出するというのが勇気を要した。それでも勇気を出して立花まで遠征しサンシャインとジョイ立花という2件の店にまで辿り着いた。両方とも1プレイ50円の店でかなり賑わっていた。サンシャインは当時店の中でフライドポテトやコロッケといったスナック類を売っていてゲームで遊びながら食事が出来た。ジョイ立花はセガ系列の店でセガのゲームの入荷が早かった。
この2件の店にはかなりお世話になった。高校を卒業するくらいまで毎週のように通った。サンシャインではヤンキーの兄ちゃんに「お前、これやるわ」と言われフライドポテトを貰った記憶がある。
この2件のゲームセンターにあったゲームは黎明期を過ぎハードウェアの進化で多彩な表現が出来るようになった全盛期でもある。初めてステレオサウンドを搭載したゲーム「沙羅曼蛇」や三画面の「ダライアス」やムービング筐体の「アウトラン」どれも初めてみた時は度肝を抜かれたと同時に『こういうゲームが家で出来たらなぁ…』と想像するのであった。
しかしこの時期のゲームは難易度が高かった。黎明期の頃の牧歌的なゲームではなく、なんというかメーカーの殺気が迸っていて、100円玉をあっという間に吸い取るような強烈な難易度のゲームばかりでだんだんとついていけないという感情が湧き上がった。絵は綺麗だし音楽も最高なんだけどゲームが難しすぎる。この時代のアーケードゲームへのジレンマ。

残念ながら阪神・淡路大震災によりこの2件は被災し店舗が破壊されジョイ立花はそのまま閉店、サンシャインは仮店舗を作り営業を継続した。その後はフェスタ立花に移転し2014年頃に閉店した。

もう今では武庫之荘や立花にかつてゲームセンターが栄えたという痕跡すら残せず綺麗さっぱり消え去った。今の新世代の人間らはそういう歴史も知らずに武庫之荘という町で生きているのだろう。10年や20年もすれば町なんてガラリと変わるもので、その歴史をアーカイブしないと永遠に失われたままになる。こうして武庫之荘の歴史をネットに書き記すのも40年前の過去をアーカイブする目的である。もし同じ思いでをもった人間がこれを読んでいたら是非なにかコメントして欲しい。

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