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漫画の「勝てる」戦い

かつて手塚治虫はトキワ荘の若手作家らに「音楽は都はるみだけじゃない、クラシックとかもっと沢山色んな物を聴くべきだし映画も小説も、とにかく沢山の物に触れなさい」と言った。
これって要約すれば「この世にはパクれるネタがゴロゴロしているからどんどんパクって漫画に取り入れろ」という事だよな?
かつての漫画の世界では海外のSF小説の要素を取り入れるとか洋画の要素を取り入れるとか、そういう発想自体が無かった。そして作家の絶対数が不足していた。

つまり勝ち戦だったのだ。


漫画業界が今みたいにクリエイター過多で干上がっている世界ではなく広大な青い海が広がった世界。そこには幼児・子供向けの程度の低い物しか無い。そこに本格SFのテイストを持ち込んだりスピード感溢れる洋画アクションの要素を取り入れたり。そりゃ勝てるわな。いい時代やったねとしか言いようがない。まだ漫画も月刊誌がメインだった頃、絵だってもっと簡素で良かったし殺人的スケジュールに忙殺される事も無かった。
そして80年代のロリコン漫画ブームの時代も勝ち戦だった。
カスみたいな古臭い官能劇画作家らしか居ない世界に美少女絵で殴り込みをかける。女の子の裸さえ出てれば後はなにをやってもいいと言われるくらい自由だったから各々そこでメカを出したりスプラッターをやったりガンアクションをやったりと、あんな作家がアマチュアイズム丸出しで好き勝手できた時代は漫画史において存在しないのではないか?というくらいの空前の勝ち戦だった。今のロリコン漫画は編集者がしっかりとクオリティコントロールして打ち合わせの段階で「これは駄目、こうやって」と作家を制御する。もうかつての自由は無く厳格にお客さんがヌクための物をしっかり作っている。
かくいうおいらは80年代のロリコン漫画ブームを見て「ロリコン作家ってうらやましいなぁ、テキトーな漫画描いてお金になってバイク買ってコミケ行って東京で面白おかしく生きてるんだもんなー」と思った。まあ後になってその内情を知るとそういう美味しい思いを出来た作家は80年代の頃のごく一部だったみたいで、ブームが終わりそうなのを察知した人間等はこぞって青年誌に逃げ出し、それでもまだ90年代になってもしがみついていたのはしょーもない作家らだったみたいだ。90年代の頃はロリコン漫画雑誌を買ってはいたけど読者投稿目当てで自分も投稿してそれが面白くて買っていただけで掲載されている漫画なんか正直どうでも良かった。

今の漫画はよっぽど奇抜なアイディアがあるか、それとも山のような資料を集めて取材しまくって構築された重厚長大なものかのどっちかしか通用しないね。かつてのなんとなくバイクと喧嘩とヤンキーとか、なんとなく異能力を持った少年らが集まってバトルするとか、そういう惰性で売れるような物はもう通用しなくなっている。具体的に言うと80年代のマガジンのような。
1996年の名古屋のメンズコミック向けに生まれて初めての同人誌を地元の尼崎の印刷屋に持ち込んで刷ったんやが、その時に受付の態度の悪いババアに「なんやもうみんな漫画家漫画家、世の中漫画家だらけやな」と言われた。うるせぇクソババア!と思ったがこのババアの言う事はある種の真実を捉えていた。そう、クリエイターの過剰供給。漫画家志望の人間があまりに多すぎて競争が過酷になってしまっているという現実だ。90年代中頃に雑誌の新創刊ラッシュがあった。世に溢れる漫画家らの受け皿として次々に漫画雑誌が新創刊される。今の深夜アニメのように漫画マニアでも追いきれないくらい数の漫画が過剰供給された。その中の1つに創刊と同時に廃刊した伝説の雑誌「コミックジャパン」がある。他にもガンダム専門誌としてガイナックスが企画しバンダイに持ち込んだ「サイバーコミックス」なんかもあの当時のSF作家が揃っていて日本のSF漫画史を知る上で結構重要な漫画雑誌となっている。
競争過多となればその競争を勝ち抜く奴は相当な猛者だろうと思うが別にそんな事はない。ワンピースなんかも90年代から延々と続いて惰性で人気なだけだし、昔の漫画を知らない新世代が新しいジャンプの漫画なんかを持て囃しているだけで、そんな凄まじい作品が出ているわけではない。そしてSNSなんかで老害扱いされたくないから頑張ってぼっち・ざ・ろっく!の映画を観に行って絶賛したり、なんというかもう漫画なんかも過去の物をテクスチャを新しくしただけの物でもええんかもしれないな。そう考えれば一番不遇なのは90年代作家だろうと思う。新世代らに持て囃されることもなくそれどころか80年代のジャンプ漫画と比較されたりする不遇な世代…。

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