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からまった紐は、いつか解けるのだろうか。

山椒の収穫を8月に終え、柿の摘葉(太陽の光が柿の実にさしこむよう葉を摘む作業)や、柿の枝とり(余計な枝が多いと、陰になって大事な実が落ちる可能性があるため)をしていると、もう柿採りの時期がやってきた。


柿採り初日を次の日に控えた前日のこと、山椒の「採りかご」を片付けていないことに気付いた。

ただの「片付け」だけど、何とも面倒な作業で、「今しないといつするの?」との問いに、「いまでしょ!」と答えがこだまする。
(田舎は、流行が10年遅れてくるっていうのは、ウソで、これくらい、勢いをつけないと、身体が動かない💧)


仕方がないので、まだ朝が早いうちに、とりあえず「採りかご」から、肩紐(かたひも)を取り外す作業にかかった。


肩紐と、かごをつなぐ「ロープ紐」は今期限りで新しいものに変えるので、ハサミでちょん切ってもいいのだけども、なんとも細かなゴミが散乱するのはちょっと・・・と、後ずさりする自分がいるので、全部、手で紐解くことになった。

太陽がまだ昇らない、朝早い時間。

その日は、コレだけは済ませようと決めていたので、どうせなら、暑くならないうちにととりかろうと意を決した。


おつかれさま 「採りかご」&「肩ひも」ってな位に、さすがに1カ月間ほぼ毎日使っていただけあって、「採りかご」は山椒の油でギットギトだし、「肩ひも」もくったくただ。


かごと、肩紐をつなぐロープ紐は、かごを使う人が銘々、自分の使いやすい長さを調整しているために、さまざまな結び目がつくられている。


「採りかご」から結び目をほどこうにも、結び目もいろいろだし、なかには紐の先がバサバサになっていて、奇妙にこんがらがっているものもある。


結び目を、ひとつひとつ、ほどく作業は、一筋縄ではいかない。


結び目をじっくり観察したうえ、ここぞというポイントをみつけて、わずかに紐が緩むまで、指先に力をいれる。


なんども固すぎて諦めようとするが、緩めないことには紐はとけない。


それでも、諦めないで力を入れ続けると、わずかに紐がゆるみ始める。


ゆるんだわずかな空間から、紐を手繰り寄せると、スルスルスルと紐は抜け、結び目は解けた。


結局、ハサミで切っちゃおうかと諦めかけたものも全部、根気の作業のうえ、片付けた。


さいごの「採りかご」の紐の結び目を解いたとき、ふと脳裏をよぎった。


結び目が解けたように、絡まった紐はいつか解けるのだろうか。


たとえば、娘のこと。

どうやら社会人一年目というだけあって、社会人生活は、順風満帆とはいかないようだ。

もしかすると、これから先、私の意から反するほうへ、進んでいくのかもしれない。

自分の思いのままに、娘を動かそうとは思わないけど、紐は絡まったままだ。


たとえば、実家のこと。

最近になって、珍しく電話がかかってくるなと思えば、何ともこんがらがっていることで、なかなかほどけない。

つぎはいつかかってくるのかと思うと、気が重い。


だけど、絡まっていると思っているのは、私だけなんだと気付いた。


別に、娘は娘でやっていくし、実家は実家でどうにかなるのだろう。


今回のように、力を入れて、絡んだ結び目をほどこうとせず、肩の力を抜いて、自然にどうにかなることを待つことも大事かもしれない。


空気が澄んでいるせいだろうか。

頭の中が整理されたところで、つぎは、山椒の「採りかご」洗いに徹した。


ママレモンで、たいてい山椒の油は落ちるが、ブラシで相当こすらないと落ちないものもある。


足を踏ん張りしゃがみ作業で、「かご」を洗うこと、1時間。


やっとのことで、全部の「かご」を洗い終えた。


「かご」は元のピッカピカの状態へ戻り、来年の山椒採りを待つだけになった。


だけど、終わると、膝はガクガク、足はジンジン、ヘロヘロの状態だった。

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