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義父の死によせて ありがとう。義父さん!

義父が、6月の92歳の誕生日を待たずして亡くなった。

息子と娘の誕生日は、月は違えど、日はおなじで、義父も息子と娘の誕生日とおなじ「日」に亡くなった。


朝6時に夫の携帯に「血圧が下がってきたので・・・」と、病院から一報をいただき、駆け付けたが、微弱に脈を打っているだけで反応はなく、手も既に冷たかった。


入院の予定期間は1カ月ほどで、その後のことは、施設に入るか、家に帰るか決まっていなかったが、期間いっぱいまでもたずに命が尽きたのは、義父の思いやりだろうか。


家に帰ってきても、義父のことを看ることが、できたかどうかは分からない。
もし、その時は施設に入居してもらうかなと、夫とも話していた。


だけど、義父は待っていてくれた。
私たちが会いに行くまで。


ここ10日ほどのあいだ、夫は看護師さんから何かしら言づけがある度に、「どうぞ、お父さまに会ってあげてください」と繰り返し、言葉を添えられていた。


1週間ほど前には、義父からの電話で「水曜日は、家族との面会日らしいな・・・」と言葉があったという。


それでも、夫は頑なに義父に会いに行こうとはしなかった。
入院して一度となしに会いに行くことはなかった。


「行ってもしゃあないやん。」という言葉の裏には、夫の複雑な気持ちが隠れているように思ったが、そんな折、看護師さんから再度電話があった。


「明日は祝日ですが、特別に面会を許可しますので、よろしければどうぞ」とのことだった。


「会っとかな後悔するよ。義父さん、ぜったい待ってるねんて」


私の言葉に押されるようにして、夫は決断したようだった。


デイサービスのキャンセルの時間も終わっていたこともあり、急に亡くなることはないだろうと踏んだこともあって、面会人数二人の枠に、夫と私が入った。


義母の認知症がさらに進むことは見て取れたので、タイミングも考えてのことだった。


「義父さん、会いに行くからよ」と言っておきながら、ずっと会いに行けていなかったので、念願かなってその日がやってきた心境だった。


大部屋だったので、病室での面会かなわず、別部屋での面会のはずだったが、どこもいっぱいで、通されたのは廊下のすみに、ベッドごと病室から移動してきた義父のもとだった。


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