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本選びのポイント① 【 #一部公開中 】時間がない人が学び続けるための知的インプット術

『時間がない人が学び続けるための知的インプット術』のうち、第2章「よい本はこうして選ぶ」の「本選びのポイント①」をご紹介します!
(更新が遅くなってしまいました…)

本選びのポイント①「目次」「前書き」「解説文」を見る

さて、これまでは、新刊書店や古本屋など様々な書店とどのようなつき合い方をすればいいのかということを中心に述べてきました。
そこで、ここからはいよいよ、実際にどのように書店で本を選んでいけばいいのか、ということについて考えてみたいと思います。

もちろん、書店で本を選ぶときには、基本は自分が今必要とする本や、面白そうだと感じた本を選んでいただければ結構です。
しかし、書店で短時間立ち読みするだけでは、類似の本が数多く並んでいる中で、いったいどれを選んだらいいのか簡単には判断がつかないものです。

そんなときに、ある本を買うべきか、それとも、やめておくべきかを判断する手がかりや目安として利用できるものがいくつかありますので、ここで、それらについてご紹介させていただきたいと思います。

そうした手がかりの一つとして利用したいのは、やはり目次と前書きです。目次と前書きを読めば、その本のだいたいの内容は理解できますので、その本を買うか買わないかを決める最も重要な判断材料になると言えるでしょう。

実際、読書家として有名なフランス文学者の鹿島茂氏も、前書きや目次を読むことがいかに大切であるかということについて、次のように述べています。

また店頭での本選びは、ざっとでも全体に目を通すことができるのが大きな強みです。腰巻きのキャッチ・コピー、裏カバーに書かれている内容紹介、著者(訳者)の前書きおよび後書き、それに目次も重要な情報源です。
なかでも、人文系の本選びの大きな目安となるのは前書きです。というのも、前書きというのは、問題設定の部分なので、もし問題の立て方がつまらなければ、その本は必ずつまらなくなるからです。反対に、問題設定の仕方がユニークであれば、期待はもてます。ですから、前書きだけはざっと目を通したほうがいいと思います。そのほか、目次というのも、かなり正確に内容を反映しますから、ここもしっかりと眺めたほうがいいでしょう。
(『成功する読書日記』、文藝春秋)

また、前記の松岡正剛氏(本文134ページ)は、本選びの過程において、特に目次を読むことの重要性を強調しています。
松岡氏は、「ぼくのばあいは、書店で手にとった時点で、本をパラパラめくる前に、必ず目次を見るようにしています。買う買わないはべつにしてね。せいぜい一分から三分ですが、この三分間程度の束つかの間をつかって目次を見ておくかどうかということが、そのあとの読書に決定的な差をもたらすんですね」とした上で、前掲書の中で次のように語っています。

これはぼくが「目次読書法」と名付けているものですが、目次を見て、ごくごくおおざっぱでいいから、その本の内容を想像するということが大事なんですね。わずか三分程度のちょっとしたガマンだから、誰でもできる。そうしておいて、やおらパラパラとやる。
そうすると、目次に出ていたキーワードから想像したことと、その本の言葉の並びぐあいとの相違が、たちまち見えてきます。想像にまあまあ近かったところや、まったくアテがはずれたところが、すぐに見えてくる。一ページ目から読むのは、そのあとでいい。

このように、目次と前書きに目を通せば、その本のおおよその内容は分かりますが、これに加えて、もう一つお勧めしたいことがあります。それは、本の巻末にある解説文を読むということです。

もっとも、こうした解説文があるのは、基本的には文庫本だけです。しかも、文庫本でも解説文があるのは、有名な小説や、単行本として一定の評価の定まったものだけで、すべてについているわけではありません。

しかし、たまたま皆さんの目に留まった本が文庫本で、その巻末に解説文が書かれている場合は、ぜひお読みください。そうした文庫本の解説文の中には、その本の著者や内容についての情報はもとより、その本がどういう時代背景の、どういう状況のもとに書かれたのかといったことについて、簡潔明瞭にうまく解説されています。

たとえば、現代社会の姿を鋭い視点で分析した、オルテガ・イ・ガセットの『大衆の反逆』(ちくま学芸文庫)という有名な本がありますが、これを翻訳した神吉敬三氏は、巻末の訳者解説で、オルテガの主張を次のように見事に要約しています。

オルテガは、社会を少数者と大衆のダイナミックな精神的統一体としてとらえ、社会は少数者が大衆に対してもつ優れた吸引力から生まれると考える。つまり、社会を社会たらしめ、それを不断に推進してゆく力は、卓絶した一人ないしは少数の模範に追従したいと感じる大多数の生々しい自発的な衝動であるとみるのである。この場合の少数者と大衆の別は、いわゆる上層階級と一般大衆というような社会階級的区別ではなく、質的なものであって、少数者とは優れた資質をもつとともに自らに多くの要求を課し、すすんで困難と義務を負い、常に前進しようとする人々─つまり、オルテガのいう「真の貴族」─であり、大衆とは、自分に対して特別の要求をもたない人々、生きるということが現在の自分の姿の繰り返し以外のなにものでもなく、自己完成への努力を自ら進んではしようとしない人々である。極言すれば、社会に方向を与え、共同の計画を提示しうる真の少数「貴族」の支配と、それに従順な大衆との相互行為が社会の原動力であり、従って「社会は貴族的である程度に比例して社会となり、貴族的でなくなる程度に比例して非社会化してゆく」のである。彼はこうした基本的な判断の上に立って、現代社会を大衆支配の社会と断ずるのである。
オルテガはこう断じたあと、その大衆支配という事実の中に表裏一体となって秘められている大きな可能性と危険性を分析してゆく。

こんな素晴らしい解説文を読むと、この本を買わずにはいられなくなりますし、本の内容を理解する上でも大いに役立ちます。

実際、わたしは、この解説文を書店で立読みし、すぐ購入しました。そして、そのときに読んだ解説文のおかげで、あまり大きな苦労をせずに、この本を読み進めていくことができました。

こうした素晴らしい解説文を、もう一つご紹介しておきましょう。それは、文芸評論家の粕谷一希氏が、吉村昭氏の『ポーツマスの旗』(新潮文庫)に書いた、次のような解説文です。

『ポーツマスの旗』は日露戦争を扱った点で『海の史劇』と対を成す作品であるが、後者が日本海海戦を扱ったものであるのに対して、戦争の背後にある政治と外交を扱った点で、吉村文学としては特異な作品である。吉村文学の新領域の開拓として画期性をもっている。
吉村昭がそのながい文学生活において、政治やイデオロギーと無縁な位置から人間を見つめてきたことは、政治やイデオロギーのおぞましさ0 0 0 0 0 を強く実感していたからであろう。その禁欲を破ったのがこの作品であるわけだが、小村寿太郎という人間がその禁を破るに価する存在であったこと、その発見が吉村をして触手を動かしめたのであろう。(中略)
同時に、小村寿太郎という外交官に表現された国家意志は、単に小村個人というよりも、当時の明治藩閥政権、伊藤博文、桂太郎(かつらたろう)から金子堅太郎にいたる、うるわしくもみごとな協同作業の産物であった。藩閥政権は明らかに藩閥という色彩が濃く、講和条約ののち、日韓併合に向う日本は、帝国主義日本へと転回してゆくわけだが、この日露戦争における
政治家、軍人、外交官の水も洩らさぬ一致協力振りは、近代日本の若さと健康を象徴している。維新と文明開化、憲法制定と条約改正、四民平等と自由民権といった明治日本人の歩みは、今日から省みて涙ぐましい努力であり、多くの悲劇と矛盾を伴いながらも、「芸術作品としての国家」(ブルクハルト)ともいえる趣きをもっていたのである。

ここに引用したのは、粕谷氏の解説文のごく一部にすぎませんが、これだけを読んでも、こ
の本を読まずにはいられなくなってしまいます。
このように、文庫本の解説文には、その本の内容や特徴、あるいは、それが書かれた背景や、
その著者の他の作品の中における位置づけなど、大変有益な情報が満載されており、決して見
逃すことはできません。
その作品に関する情報という点では、目次や前書きを読むよりも、むしろ、解説文を読んだ
ほうが参考になることが多いくらいです。

もっとも、文庫本についている解説文のすべてが、このように、本の内容をうまく解説しているわけではありません。しかし、前記二つの解説文のように、解説文によっては、前書きや目次を読むよりも、はるかに本の内容が理解できることもありますので、解説文がついている場合は、ぜひ、これも合わせて読んでいただきたいと思います。


さて、このように、目次や前書き、あるいは文庫本であれば巻末の解説文を読んでいけば、その本の内容はだいたい把握できますので、その本を買うべきかどうかは、ある程度、この段階で判断することができるでしょう。

ただ、ここで、もう一つ注意していただきたいことがあります。それは、前書きや第一章の出だしの部分を読んでいるときに、その本の著者の文体や言葉遣い、あるいは、文章のリズムなどが、自分の好みに合うかどうかについても考えていただきたいということです。

特に第一章の出だしの部分というのは、その本の著者が最も力を入れて書いていることが多く、ある意味では、その本の最良の部分であるとも言えます。そのような本の最良部分の書き方に違和感を覚えるようであれば、その本を読んでいったとしても、途中で苦痛を感じることになるかもしれません。

せっかく、貴重な時間とお金を使って本を読むのですから、いくら内容的に興味を引かれるものであっても、読んでいて、著者の文体やリズムに苦痛を感じるような本はやめておいたほうがいいでしょう。


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