見出し画像

民生委員の痛ましい事故 まず自身の安全確保を

(2022年4月6日付静岡新聞への寄稿記事)
※写真は被災箇所付近。2022年12月筆者撮影

 昨年8月14日、長崎県西海市で73歳女性と70歳女性が用水路付近で溺死して発見された。73歳女性は発見場所近くの住民、70歳女性は73歳女性からの「怖いから来てほしい」との電話を受け訪ねた民生委員だったと報じられている。

 遭難時刻は明確でないが同日午後とみられる。当時雨脚は弱まっていたが同日未明から昼前には強い雨が降り続いており、発見された水路も増水していたと思われる。遭難状況は明確にはわからないが、自宅を離れ移動中に水路に転落するなどしたのかもしれない。

 民生委員は厚生労働相から委嘱された非常勤の地方公務員で、担当地域を持ち住民の生活上の相談に応じ、行政などの支援へのつなぎ役や、高齢者の見守りといった役割を果たしている。前述のケースは民生委員としての活動中の遭難と思われ、大変に痛ましい。筆者が調査している1999年以降の風水害犠牲者で民生委員が活動中に遭難したと見られるのは今回が初めてだが、東日本大震災時には56人の民生委員が死亡した事が知られている。

 災害にかかわるいわゆる「支援」に際し、「災害時に一人も見逃さない」という言葉を聞くことがある。これは2006年に全国社会福祉協議会が発行した「民生委員・児童委員発 災害時一人も見逃さない運動実践の手引」がその源流のようである。しかし、東日本大震災時の多数の民生委員の犠牲者発生を踏まえ全国民生委員児童委員連合会がまとめた文書では、この取組は本来「災害時に一人も見逃さないための平常時からの体制整備の運動」の趣旨だったものが、「災害発生時に一人も見逃さない」と発災時の運動であると誤解された可能性があり、発災時には民生委員自身の安全確保が最優先では、といった指摘が見られる。2006年の「手引」にも「危険な状態の中で要援護者の救援を委員自らが行なうということではありません」との記述がある。

 風水害は次第に危険性が高まるのが特徴であり、どのタイミングまでが安全かという見極めは大変難しい。風水害犠牲者の約半数は屋外で遭難しており、風雨が激しい中での屋外行動は大きな危険が伴う。いろいろと難しい面はあろうが、たとえ「支援」目的の行動でも、まずは各自の安全確保が重要ではなかろうか。

【note版追記】

文中で取り上げた、

  • 全国社会福祉協議会:民生委員・児童委員発 災害時一人も見逃さない運動実践の手引、2006

の原本は、検索してみましたが現在ではネット上では参照ができないようです。なお、「児童委員発」と「災害時」の間にはスペースが入っています。スペース無しで文字を続けて表記してしまうと、誤解を招きやすいように感じます。実際の刊行物の表紙では「児童委員発」の後が改行されて「災害時」に続いています。こちらのページの下の方で、表紙だけ見ることができます。

「東日本大震災時の多数の民生委員の犠牲者発生を踏まえ全国民生委員児童委員連合会がまとめた文書」というのは、

  • 全国民生委員児童委員連合会:民生委員・児童委員による災害時要援護者支援活動に関する指針【第1版】、2013

なのですが、こちらも残念ながら既にネット上では参照ができないようです。改訂第3版が下記から参照できます。文中で紹介した趣旨の記述は、19ページ付近に見られます。

 文中で挙げている長崎県西海市の被災現場は大変関心があるのですが、ここ2年ほど災害の現地調査を基本的に自粛し続けている状況などから、訪れていません。現場を見ずに論述するのは好きではないのですが、本当にどうしたものか。 (2023年1月26日追記:2022年12月に現地を訪れる機会を得ました)

 遭難した民生委員の方が、「災害時1人も見逃さない」というフレーズを念頭に置いて行動されていたのか、このフレーズが今回の遭難の要因となったのか、といったことは報道等を見る限りではわかりません。この遭難の報に接して、このフレーズが連想されたのは、あくまで私の感覚的なものです。

 関連情報を検索していたところ、2020年7月の朝日新聞の投書(「声」欄)に下記の記事があるのを見ました。

 民生委員のほか、消防団員も東日本大震災時に254人が犠牲となったことを契機として「東日本大震災を踏まえた大規模災害時における消防団活動のあり方等に関する検討会」の報告書(大きなPDFファイルなので注意)では「退避の優先」や災害時の活動を「真に必要なものに精査」といったことが指摘されています。また、2019年台風19号では、自主防災組織の役員の方が、活動中に河川に転落して亡くなったとみられる事例もありました。

 民生委員、消防団員、自主防災組織役員などは、「災害時に助けに行く」のがあるべき姿、のようなイメージが持たれやすいように感じます。しかし、災害時、特に風水害や津波のように、次第に危険が高まっていくタイプの現象では、「助けに行く」ことは、「命をかける」ということになる可能性があります。民生委員、消防団員、自主防災組織役員などは私たちの誰もが当事者になり得る役職であり、何か特別な訓練や装備を与えられているわけでもありません。そもそも特別な訓練や装備を備えた人々だとしても「命をかけて助けに行く」ことに対しては、極めて慎重な判断が必要になると思います。ましてや、「一般人」である民生委員、消防団員、自主防災組織役員などに「命をかけて助けに行く」事を求めることは、私は賛同ができません。

 このあたりはなかなか難しい話で、いろいろと意見も分かれるところだろうと思います。また、「こうすればよい」という正解がない話でもあると思います。あえて一言で言うならば表題のように「まず自身の安全確保を」しかないのかな、と思っています。

 静岡新聞「時評」欄へ寄稿した過去記事については下記にまとめています。


記事を読んでいただきありがとうございます。サポートいただけた際には、災害に関わる調査研究の費用に充てたいと思います。