見出し画像

災害への備えは人それぞれ 個々に必要性考えて

 既にブログにも掲載しているものですが,2020年3月26日付静岡新聞「時評」欄への投稿記事です.防災の「ノウハウ・ハウツー」というやつが嫌いなんだ,ということを回りくどく書いた記事です.後日談として,記事執筆時に考えたことも追記しました.写真は静岡市清水区内にある津波避難用人工高台「三保命山」.

災害への備えは人それぞれ 個々に必要性考えて

 取材や講演の際などに,「防災のため住民が備えておくべきものは?」といった質問を受けることがある.筆者は「身近な備え」は専門でないので,「詳しくありませんが」と前置きした上で,「自分にとって必要なもの,使えなくなると困るものを用意しておけばよいのでは」などと答えるようにしている.

 このように答えると(おそらくは筆者の思い込みだろうが)「期待外れ」といった様子の反応を見るような気がする.更に想像を逞しくすると,「○○という防災グッズが有効です,□□災害の教訓では△△が役立ちました」のような「ノウハウ」を聞きたかったのかな,などという気もする.少し申し訳ない気分にもなるが,自分自身があまり重要だと思っていない話を,人にお勧めはできない.

 「自分にとって必要なもの」は,人により様々だと思う.「乳幼児がいる世帯では子ども用おむつの必要性が高いが他の世帯では必要ない」などはわかりやすいだろうが,そう単純な話ばかりではない.備蓄食のように誰もが必要としそうなものでも,実際に自分が食べたいもの,食べられるもの,など具体的に考えていけば,誰もが同じものを備えれば良い,とはならないだろう.あるいは,災害用備蓄食(災害用のグッズ全般かもしれないが)は,量や質の割に高額なこともよくあるが,高額品を揃えるか,なにか他の方法を講じるか,このあたりも人によって考え方が分かれるところだろう.

 「必要なもの」も,それをどう保管するかという問題もある.これは人それぞれの住まいの様子によっても話が大きく変わるだろう.保管に便利だからと地下室に備蓄していたら,急な浸水で備蓄品が真っ先に使えなくなった,などということもあるかもしれない.備蓄を考える以前に,その地域で起こる災害について知っておくことも必要だ.

 災害への備え方は,どのような人が,どこで,どのように暮らしているか,まさに人それぞれだろう.「正解」が何かはそもそも難しく,仮に「正解」があったとしても,それを実際に実施し続けることができるかという問題もある.目新しい「ノウハウ」を求めるのではなく,自分自身のこととして,具体的に考えてみることが重要だろう.

[note版追記]何を書くか迷った原稿

 この記事を執筆したのは2020年3月中旬.新型コロナウィルス感染症の流行に関する緊張感が相当程度に高まっていたときでした.筆者は感染症については全くの素人ですが,危機管理的なことについては「専門家」であるように受け止められやすい立場にあると思っています.ただ実際には「危機管理」についても専門性があるとは言えません.

 いずれにせよ筆者は,社会的に関心が持たれていることに対して、自分の専門性のないことについて,適当なことを言うのは厳に慎むべきと,日頃から考えています.執筆時にいろいろと考えましたが,新型コロナウィルス感染症の流行について直接言及することは,やるべきではないと思いました.

 しかし,いわゆるコロナ禍のなかで,いろいろとおもったこと,感じたことはありました.なにを書くべきかは迷ったのですが,この原稿では,当時色々と思ったことの中で自分の専門に関する話として,災害対策には一つの「正解」がないことがしばしばあること,「正解」や「ノウハウ」というものに対する社会的なニーズは高いものの,それに対する一般解を適当な思いつきで示すことは,やるべきではないと考えている,という趣旨の原稿にしました.

 「これはコロナ対策にも通ずることで,○×すべきだ」などと言うつもりは,当時も今も毛頭ありません.コロナ禍の状況下で,自分の専門に関わることで「思ったこと」を述べただけです.


記事を読んでいただきありがとうございます。サポートいただけた際には、災害に関わる調査研究の費用に充てたいと思います。