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災害情報の「空振り」 丁寧な議論を重ねて

(2022年2月9日付静岡新聞への寄稿記事)

 災害を警告したり避難を呼びかける情報が出たが結果的に格別被害が生じなかった、といったケースを「空振り」と呼ぶことがある。

 気象状況が悪化したが「空振り」に伴う混乱や批判を懸念して避難指示などの発出をためらっていたところ災害が発生してしまった、といった事例は珍しくない。こうした背景もあり近年では「空振りをおそれるな」「空振りでよかったと考えよう」との指摘もある。内閣府「避難情報に関するガイドライン」にも「いわゆる『空振り』の事態をおそれずに」との記述が見られる。

 筆者もこの理念自体には何ら異論がない。空振りをおそれて情報を出さなければ、「自治体が安全だと保証している」と受け止められることも懸念される。とはいえ、警告的な情報を無制限に頻出すべきだとまでは思えない。

 1月16日未明、トンガでの噴火に伴う津波警報・注意報が各地で発表された。このとき神奈川県内では、津波の情報を告げる緊急速報メールが20回にわたり配信された地域があった。緊急速報メールは携帯電話の利用者が受信停止の設定をしていない限りは、大きな着信音とともに自動的に配信される。神奈川県内に発表されたのは津波注意報のみで、神奈川県の計画では緊急速報メールは配信されないはずだったが、設定に不具合があり、各地での予想される津波到達時刻などが発表される都度緊急速報メールが配信されたとのことである。神奈川県によれば、「複数回の配信はいらない」「海に面していない地域への配信はいらない」などの批判的な意見が753件寄せられたそうだ。

 この例は「避難情報の空振り」そのものではない。しかし、結果的に居住域で津波による被害が生じなかったとはいえ、津波注意報や到達予想時刻の情報が発表されたことは事実であり、津波予報の不確実性も考えると警告的な情報の強い伝達が「誤報」とまでは言えず、形としては「空振り」の一種ではなかろうか。

 筆者はこの出来事に対し「空振りでよかったと考えよう」と言うことはためらわれる。「空振り」にも許容できる内容や頻度があり、それは人や状況によっても異なるのではなかろうか。「おそれるな」で片付けず丁寧に議論していくことも重要だろう。

【note版追記】

 記事中で引用した神奈川県の緊急速報メールについては下記を参照しました。

 記事中でも強調しましたが、「空振りを恐れず」という理念自体には何ら異存はありません。様々な理由から避難情報の発出をためらっていたところ、実際に災害になってしまったといった話は後を絶ちませんし、危険であるということを明確に伝えていくことは極めて重要です。一方で、どのような形であれ「避難」は、それをする人に対して何らかの負担を与えるものであることも忘れてはならないと思います。

 安全地帯から、他人に対してはいくらでも強いこと、たとえば「××させるべき」といったことが言えるでしょう。しかし、自分が「××させられる」立場になったとき、それをどの程度受け入れられるでしょうか。どの程度までなら対応できる、できない、というのは、人によってもだいぶ異なるのではないでしょうか。絶対受け入れられない、という場合もあるでしょうし、この程度までなら、ということもあるでしょう。

 「空振りを恐れるな」という「理念」だけを振りかざすのではなく、「この条件下であればこの程度の頻度で避難情報が発出されそのほとんどは空振りと予想される」といった情報を整え、そうした情報に基づいて各自が対応を考えていくことが重要ではないでしょうか。

 静岡新聞「時評」欄へ寄稿した過去記事については下記にまとめています。


記事を読んでいただきありがとうございます。サポートいただけた際には、災害に関わる調査研究の費用に充てたいと思います。