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2021年7月3日静岡県熱海市での土石流災害について(第9報) 死者・行方不明者数の規模

 熱海市の土砂災害に伴う死者・行方不明者として総務省消防庁から発表される数は、7月11日に死者と行方不明者の合計が27人となって以降、発表の都度若干増減しつつほぼ変わらなくなっています。①発見されて身元が判明した方、②発見されたが身元が判明しない方、③発見されず行方がわからない方、の合計値となるため一時的に②と③が重複するケースが出るため若干増減するものですが、合計はこのまま27人となる可能性が高いのではないかと思います。大変痛ましいことです。

 死者・行方不明者27人という人的被害の規模について検討してみました。なお、消防庁の資料は「令和3年7月1日からの大雨による被害」としてまとめられており、熱海市以外に神奈川県小田原市で行方不明者1人が示されていますが、ここでは熱海市での27人を対象に検討します。以下、極めて長くなります。

1つの災害事例における死者・行方不明者数としての規模

 筆者が詳しく調べている1999年以降の風水害で、直接死者および行方不明者の合計が27人以上となった事例を抽出すると下表の16事例となります。概ね毎年1回程度はみられ、27人が極端に多い規模とは言えません。

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 しかし、上表の死者・行方不明者はいずれも、複数の市町村内、あるいは同一市町村内でも複数の地区で発生したものです。今回の熱海市での27人は、1箇所で発生した土石流のみで生じた災害である点が大きな特徴であり、そのように捉えると、しばしば見られる規模とは言えない可能性が出てきます。

 なお、「1箇所で発生した土石流」というのも厳密な定義はなかなか難しい面があります。ここでは「1つの渓流(小流域)で発生した土石流」と考え、まず土石流という土砂移動現象としての規模を考えてみます。

外力(現象)としての規模

 「大雨」や「土石流」は、それ自体が災害ではありません。それらは外力(Hazard、現象)であって、外力が人間社会に作用して被害が出ると災害になります。大きな外力が作用すると大きな被害が出るとも限りません。外力(現象)の規模と、災害(被害)としての規模は、分けて考える必要があります。このあたりはよく言っていることですが、最近では下記に書きました。

 今回の熱海市伊豆山での災害の外力となった現象は、大雨と、大雨をきっかけとして生じた土石流でしょう。土石流、がけ崩れ、地すべりなど、土砂災害をもたらす現象を土砂移動現象と言いますが、土砂移動現象の規模を端的に示す指標としては土砂量(あるいは生産土砂量とも)があります。これも細かく考えると定義はいろいろなのですが、得られる資料に従って考えます。

 土石流は流下する間に側方・下方を浸食していくので、下流側には最初に崩壊した土砂量より多く流下することが一般的です。静岡県が7月13日に公表した資料[pdf]からよみとると、源頭部で崩壊した土砂量と、谷の中で浸食された土砂量は合わせて約62,800立方メートル、谷出口から流出した土砂量は約55,400立方メートルのようです。

 この土砂量は比較的大きな規模と言えるでしょう。たとえば、2014年8月の広島での土砂災害時に、最も規模の大きな土石流が生じた広島市安佐北区八木3丁目32番地付近(下写真、撮影筆者)では流出土砂量は約33,000立方メートルとされ(土田ら、2016)、これよりは大きな量です。

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 しかし、これまでおきたこともないような巨大土石流と言えるものではないと思います。比較的近年の事例としてはたとえば、2003年7月の熊本県水俣市宝河内集(みなまたしほうごうちあつまり)地区での土石流(下写真、撮影筆者)は流出土砂量約89,600立方メートルとされ(谷口、2006)、これよりは小さいと言えます。

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 あるいは1997年7月の鹿児島県出水市針原川土石流も大規模なものであり、崩壊土砂量としては約165,000立方メートル(防災科学技術研究所、1998)とされています。下の写真は筆者が撮影したもので、右側の斜面が数十m規模で深く崩壊して下流側に流出しました。茶色い部分は人工的な工事の結果ではなく、すべて土石流の跡です。谷底にあるダンプや高圧線の鉄塔と比べて、そのスケールの大きさがわかると思います。

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 土石流ではありませんが、土砂移動現象としては、2011年台風12号の際に、紀伊半島で多数の大規模崩壊(深層崩壊)が生じています。ここでは2例だけを挙げますが、最も大きかったのは奈良県十津川村栗平の崩壊で、崩壊土砂量は約23,850,000立方メートルとされています。あるいは、奈良県五條市清水の崩壊は約1,600,000立方メートルとされています。五條市清水の崩壊で筆者撮影のものを下に挙げます。わかりにくいですが、写真左上まで崩壊は伸びており、崩壊土砂は対岸の五条市宇井地区の、比高50m以上のところまで遡上しました。

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人的被害としての規模(1990年代後半以降)

 では、「1箇所で発生した土石流」によって生じた死者・行方不明者数の規模で見るとどうでしょうか。前節で挙げた2014年8月の広島市安佐北区八木3丁目の土石流では、この1箇所で23人の死者(行方不明者はなし)が生じています。下の図は地理院地図の空中写真に、死者の発生した位置を黄色○で示しました(筆者の調査結果による、以下同様)。1箇所で複数の方が亡くなっているところが多く(最多は8人)、点の数は23よりは少なくなっています。

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 2003年7月の水俣市宝河内集の土石流では、死者15人(行方不明者なし)が生じました。ここでも1箇所あたり複数の死者が生じているほか、屋外での遭難者(位置不明)も複数いますので、黄色○の数は少なくなっています。

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 1997年7月出水市針原川土石流では、死者21人(行方不明者なし)が生じています。この事例を筆者は現地調査はしているのですが犠牲者の発生位置は検討していませんので図は省略します。

 2011年台風12号による十津川村栗平での崩壊は、崩壊の規模は巨大ですが犠牲者は生じていません。人家のない場所での発生だったためです。五条市清水の巨大崩壊では、対岸の宇井地区を中心に、死者7人、行方不明者4人の計11人が生じました。

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 このように、筆者自身が調査して現地を見てきた1990年代後半以降の土砂災害と、今回の熱海市伊豆山での土石流災害を比較すると、生産土砂量で見れば、明らかに今回を上回る事例が複数認められます。筆者は人的被害を生じた事例しか詳しく見ていないので、生産土砂量自体が大きな事例は他にも少なからずあると思います。しかし、死者・行方不明者数で見ると、1箇所の土石流、がけ崩れ等で、死者・行方不明者27人以上という事例は確認できませんでした。

人的被害としての規模(1990年代前半以前)

 そこで、筆者自身が現地を見ていない古い時代の事例を調べてみました。比較的近い時代の事例としては、主に土砂災害により、長崎県内で299人の死者・行方不明者を生じた昭和57(1982)年7月豪雨(長崎大水害)が思い浮かびます。このときの1箇所あたりで最も犠牲者が多かったのは、長崎市川平地区での死者34人(行方不明者なし)とのことです(国立防災科学技術センター、1984)。他に犠牲者が多かった場所としては、同市奥山で死者23人・行方不明者1人、同市鳴滝で死者24人だったそうです。

※【2021/07/31加筆修正】当初の記事で挙げていた「川平地区の被災写真」のリンク先の長崎県ホームページの写真は、よく確認したところ川平地区の写真ではなかったようですので、リンク削除しました。川平地区の写真がなかなかみつからないのですが、西日本新聞のフォトライブラリーや、地元の方の個人ブログなどを挙げておきます。下記の場所ですね。

 あるいは、1976年台風17号(死者・行方不明者171人)では、香川県の小豆島で大規模な土砂災害があったことが知られています。小豆島全体では死者39人でしたが、1箇所あたりで最も被害が大きかったのは池田町(現・小豆島町)谷尻での24人だったようです(谷、1977)。

 昭和47(1972)年7月豪雨(死者・行方不明者447人)は各地で様々な形態の被害があり、土砂災害も目立った事例です。特に、熊本県天草地方だけで100人以上の死者が生じています。ただし、1箇所あたりで見ると熊本県内では姫戸町(現・上天草市)西河内での21人が最大のようです(宮村、1974)。

 昭和47年7月豪雨では、斜面崩壊の形態ですが1箇所で死者・行方不明者60人を生じたケースが、土佐山田町(現・香美市)繁藤で生じています。小崩壊が先にあり、救助活動中に多数の人が巻き込まれた典型的な二次災害でもあります。これについては、広報香美2012年7月号にわかりやすい写真と記事があります。下の写真は2015年に筆者が撮影したもの。左手の斜面で、少しくぼんで見える部分が崩壊跡です。

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 1940~1960年代頃は数百人以上の大規模な人的被害を伴う風水害が多数あるので個々には検討しません(できません)が、1960年代後半の大規模土砂災害としてよく文献で目にする、1966年台風24号および26号に伴う大雨(全国の死者・行方不明者317人)による、山梨県足和田村(現・富士河口湖町)での土石流災害(山梨県砂防課、1994)を挙げておきます。1966年9月25日に発生したもので、同村根場地区では死者・行方不明者63人が生じました。3つの小渓流からの土砂流出があったようですが、集落を直接襲ったのは主にそのうちの1渓流と思われますので、「1つの土石流」による事例としてよいように思います。また、同村西湖地区でも土石流災害があり、こちらでは死者・行方不明者31人が生じています。国土交通省富士砂防事務所の広報誌「ふじあざみ」55号にも記事があります。下の写真は2016年撮影の被災跡地(根場地区)。集落としては集団移転しており、跡地が古民家を集めた公園的な施設になっています。

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静岡県の自然災害に伴う人的被害としての規模

 戦後の静岡県における自然災害で、死者・行方不明者10人以上の事例を表にすると下表となります。同様な表を各県で作っていますが、少ないところ、例えば石川県だと3行にしかなりません。静岡県は比較的この表に該当する災害事例が多いところと言えます。しかし、直近でも1982年で、40年値かくこの表に該当する規模の自然災害は起こってきませんでした。このまま死者・行方不明者が27人になるのだとすると、1978年の伊豆大島近海地震の際と同程度で、1974年七夕豪雨以降では最大の被害となる可能性があります。

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まとめ

・2021年7月熱海市伊豆山での土石流は、土砂量で見れば相対的には大きいが、最近25年程度で見てもこれを明らかに上回る土砂量の土石流・斜面崩壊は複数確認できる。

・2021年7月熱海市伊豆山での土石流による死者・行方不明者は7月19日現在27人。1回の風水害事例でこれを上回る規模の人的被害は、概ね毎年発生している。

・ただし、1箇所での土石流による死者・行方不明者数としてはかなり大きな規模である可能性がある。今回の事例を上回る規模の人的被害は、直近では昭和57(1982)年7月豪雨時の長崎市川平地区での死者34人と思われる。なお同事例の際には、1箇所での死者・行方不明者が24人というケースが2箇所ある。

・なお、1982年以降でも、1箇所の土石流等で死者・行方不明者23人、21人などの事例はみられる。

・1982年以前の事例では、1箇所での土石流、斜面崩壊によって死者・行方不明者27人を上回る事例を複数確認できる。特に1950~1960年代には大規模な人的被害を伴う風水害が多発しており、詳細は検討できない。

■引用文献

土田 孝・森脇 武夫・熊本 直樹・一井 康二・加納 誠二・中井 真司,2014年広島豪雨災害において土石流が発生した渓流の状況と被害に関する調査,地盤工学ジャーナル,11,1,pp.33-52,2016
谷口義信,水俣市宝川内土石流の水利科学的考察,水利科学,49,6,pp.39-58,2006
防災科学技術研究所,1997年7月鹿児島県出水市針原川土石流災害調査報告,主要災害調査,35,1998
国立防災科学技術センター,1982年7月豪雨(57.7豪雨)による長崎地区災害調査報告,主要災害調査,21,1984
宮村忠,山地災害(Ⅰ)―昭和47年事例調査―,水利科学,17,6,pp.100-128,1974
山梨県砂防課,足和田災害その後,砂防学会誌,46,6,pp. 40-45,1994


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