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避難しない自由 個別の判断 尊重したい

 7月30日付静岡新聞「時評」への寄稿記事です.「避難しない自由」 これは許せない人は絶対に許せないでしょう.意見が分かれることは承知の上で,ひとつの考え方としてあえて書いてみました.色々追記したいことはあるのですが,きりがない気もするので,900字の制限の中で書いた文章のママでまずは挙げておきます.

 ちなみに上の写真に深い意味はなく,「どうしよう」というような気持ちをイメージしたら浮かんだ風景です.これが何か,わかる人にはすぐ分かるでしょうし,私などとても及ばないプロの方には場所も分かるでしょう.

時評=避難しない自由 個別の判断 尊重したい

 今回の話題は,意見が分かれるところと思う.受け入れがたい人もいるかもしれないが,このような考え方もあるのだと思っていただければありがたい.
 「避難=避難所へ行くこと」だけではないという話を5月の本欄(※note注:下記記事)で述べた.避難とは難を避けるための行動を広く指すが,ここでは風水害時に自宅から別の場所へ移動するという形の避難に絞って議論したい.

 まず仮定条件を決めたい.自宅は木造平屋,ハザードマップでは浸水想定区域内で想定される浸水の深さは3~5mとしよう.この深さだと平屋は完全に水没する可能性がある.この自宅にいるときに大雨で避難勧告が出たとする.内閣府の「避難行動判定フロー」を参考にすれば,この場合の「とるべき行動」は,自宅から指定緊急避難場所や,安全な場所にある親戚・知人宅などに移動(避難)することになる.
 この住民が,洪水時には自宅全体が水没する可能性があることを理解しており,避難勧告が出たことも認識していた場合,「自分は避難しない」という判断は認められるだろうか.災害対策基本法では,避難勧告(避難指示も同様)に応じなくても罰則の既定はない.法制度的には「避難しない自由」がないとまでは言えなさそうだ.一方で,「避難を拒む人がいると,避難を呼びかけに行く人が危険にさらされ迷惑だ」といった,避難しない自由などない,という考え方もあるだろう.
 上記の仮定では話を災害の危険度だけに単純化したが,現実には災害とは無関係の個別的な様々な事情もあるだろう.あるいは,コロナ禍の中で避難所に行くことの危険性と風水害で被害を受ける危険性のどちらが重いと捉えるか,といった判断は簡単には答えが出せなさそうだ.
 第三者から見たら「避難所へ避難すべき」と思う状況でも,当事者にとっては「自宅にいた方がよい」と判断されることもあるのではないか.さして理由もなく「避難しない」と判断することは適切とは思えないが,よく考えて危険性も受け入れた上で「避難しない」と判断している人を「避難させる」事を筆者はしたくないし,自らもされたくないと思う.その意味で,「避難しない自由」はあるのではないかと筆者は思うが,どうだろうか.


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