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風水害被災現場を見る 多様な視点から記録

 (2020年11月26日付静岡新聞への寄稿記事)

 先日あるテレビ局から、十数年前に起こったある風水害被災現場の写真を持っていないかとの照会を受けた。覚えのある地名で、確かに現地調査しており、数点の写真を提供できた。災害後の地域の取組を紹介する番組で、写真は放送のお役に立ったようだ。土砂災害で一人の方が亡くなった所で当時報道もあったが、全国的に注目されたような場所ではなかった。筆者のところに照会が来たのは、取材過程で地元の方から、筆者が当時現場に来たようだとの情報を得たためと聞いた。

 当時この現場での聞き取りや、関係者への問合せなどをした記憶はないが、写真と現地を見てのメモは筆者のホームページ上で公開している。地元の方は、これをご覧になり覚えておられたのかもしれない。思いがけずお役に立てた事をありがたく思うとともに、こうした記録を残しておく事の重要性をあらためて感じた。

 筆者は規模の大きな風水害が発生するとなるべく早い時期に、人的被害が生じた箇所を中心に現地調査を行う。調査の主目的は、現場の被害形態、規模、周囲の状況などを目で見て確認する点にある。気象データ、地理情報、空中写真などの定量的・俯瞰的な資料の参照も必須だが、現地でなければ得られないものも確かにある。

 こうした筆者の視点からの記録はごく限定的なものに過ぎない。災害には実にさまざまな側面がある。制度的、行政的な記録も行われるが、それだけでなくさまざまな人達が災害現場を訪れ、さまざまな専門的視点から観察、記録、分析を行っており、その結果が被害軽減を図る上で大変重要な役割を果たしていると思う。

 今年も7月の九州地方での豪雨などの風水害が発生したが、新型コロナウィルス感染症の流行状況を考慮し、筆者は現地調査をすべて見合わせた。同様な判断は各所で行われたのではなかろうか。現地に赴く人を制限しても得られる視点もあるだろうが、現地を見る人が減る事で、例年なら記録に残されたかもしれない視点、知見のいくつかが、今年の災害においては残らなかった可能性はあるように思う。すぐに何か解決策を提示できるものではないが、感染症の流行にはこうした影響もあるのではないかという事は、念頭に置いておきたい。

【note版追記】

 本記事、ある種「課題の指摘」のような内容もあるので、「これこれすべきだ」といった「課題解決策」が入らないと収まりが悪い感じもあるかもしれませんが、適当な思いつき的「課題解決策」を上げるのが大変好きでないので、言及していません。「これこれすべきだ」的な事を口に(文字に)するのは、そのことに自分自身も一定の時間を割いて関わる覚悟があるときだけにしたい、と思っています。

 ちなみに上の写真は、紹介があった現場付近の写真の1つです。十数年前に一度、20分ほど滞在しただけの現場ですが、当時の記憶がよみがえりますね。

 ところで記事やこの追記でも、当該の写真の場所についてぼやかした書き方をしているのは、最近では個々の被災現場について写真を多く公開したり詳しく言及したりする事をなんとなくためらうようになっているためです。以前はかなり多くの現場について10枚、20枚と写真を上げたりしていましたが、最近だと例えば下記のように(昨年の台風19号の現地調査)1つの現場について1,2枚で、漠然としたコメントを上げるスタイルが中心に。現場は見ているけど写真はあえて出さない事も増えました。

 このような判断の背景には、「よそものが被災地にカメラを向けるな!」といった声を感じるという事があるのですが、被災した様子を記録に残す事は意義があると今回も感じましたし、ためらいながらも、試行錯誤をしていくところかなと思っています。

 静岡新聞「時評」欄へ寄稿した過去記事については下記にまとめています。


記事を読んでいただきありがとうございます。サポートいただけた際には、災害に関わる調査研究の費用に充てたいと思います。