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2021年7月3日静岡県熱海市での土石流災害について(第7報) 流失家屋の形成時期

 熱海市伊豆山での土石流災害について、被害を受けた家屋がいつ頃からこの場所に形成されていたかを検討してみました。

 検討対象は第5報で挙げた、空中写真等から読み取った流失・倒壊家屋です。「建物の数」ではなく、同一世帯の複数の建物は1箇所、アパートは複数世帯でも1箇所などとして読んだ「箇所数」です。第5報公表時以後に若干の情報が得られ、現時点では47箇所としています。

 今回土石流が流下した逢初川の中下流部はかなり古くから集落自体は形成されていたようです。下図は、埼玉大学教育学部谷研究室が整備している今昔マップで、この付近の新旧地形図を見比べたものです。旧地形図は、明治29(1896)年修正の5万分の1地形図「熱海」です。

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 明治期の集落は概ね江戸時代頃と大きく変わっていないと見なせます。この時点で既に、伊豆山神社の南東側斜面には家屋の記号が点在しており、神社南側には集落らしきものも読み取れます。この網掛け記号はちょっと読み取りにくいですが、おそらく当時の記号でいう「商賈連檐(しょうこれんたん)」だと思います。今でも通じる言葉で言うと「商店街」になるでしょう。いわゆる伊豆山温泉は逢初川下流部の海岸近くだと思いますので、明治期には温泉地区よりも伊豆山神社周辺の方が家屋が密集していたようです。伊豆山神社は江戸期以前は伊豆山権現と呼ばれ、別当寺として般若院があり19の坊があったそうですから(角川日本地名大辞典 静岡県)、門前街的なものが形成されていたのかもしれません。なお般若院は廃仏毀釈の際に伊豆山神社の神域から移転したそうで、地形図上でも少し神社から離れた場所に寺の記号が見えます。現在もこの位置にあります。

 さてこの図を見ると、逢初川に近いところにも家屋が点在しているように見えます。しかしこれは縮尺5万分の1の地形図なので、「川沿いに家屋が存在した」とまで読める精度はありません。第5報でも書いたように、この渓流沿いは細かな段丘状の地形が見られ、家屋が谷の最低部にあったのか、段丘状の地形面上にあったのかは地形図から読み取ることは困難です。

 国土地理院が公表した資料では、1962年の空中写真から「土石流が発生した逢初川中流部は畑作・果樹園といった土地利用が多く、2017年撮影時点では、住宅が増えている状況がうかがえます」と指摘されています。

国土地理院 令和3年(2021年)7月1日からの大雨に関する情報 既往撮影の空中写真

 この資料でも用いられている過去の空中写真を用いて、流失・倒壊家屋47箇所が、それぞれいつ頃から存在しているかを読み取ってみました。利用した空中写真の撮影時期は、1947/10/2、1962/11/13、1983/11/8の3時期です。単に空中写真を見るのではなく立体視して、それぞれの時期において、流失・倒壊した家屋の位置に建物と思われるものが存在しているかを読み取りました。流失・倒壊した建物自体が存在していたとは限らず、別の建物が存在していた可能性も十分あります。また、1962年、1947年の空中写真は拡大すると不鮮明で、建物なのか樹木なのか、判別が難しいケースもありました。読み間違っている可能性も十分あることをご留意ください。

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 判読結果が上の図になります。撮影時期は月日までわかっていますが、ここでは大まかに集約しました。1947/10/2撮影の写真に存在する建物を「1947年以前」とし、1962/11/13の写真に存在する建物は「1948~1962年」、1983/11/8の写真に存在する建物は「1963~1983年」、いずれの写真にも存在していない建物を「1984年以降」としました。いずれも「年頃」と読むべきものです。

 「1947年以前」の建物は4箇所とごくわずかです。昭和初期までは、この渓流沿いに集落自体は形成されていたものの、谷の最も低い部分にはほとんど立地していなかった可能性が高そうです。その後、「1948~1962年」(15箇所)、「1963~1983年」(16箇所)、「1984年以降」(12箇所)と、時代が下がるに従って上流側に建物が増えていく様子もわかります。47箇所中43箇所、9割が戦後に形成された建物、とも言えます。

 なお今回はとりあえず流失・倒壊した家屋だけを読んでいますので、本来は、流失しなかった建物についても同様に読むべきで、順次作業します。ただし、最初に挙げた地形図の判読からも、また各時期の空中写真をざっと見ている範囲では、ここで述べている傾向が大きく変わる可能性は低いと思います。

 時代とともに上流側に集落が広がっていくことは、全国でごく一般的に見られることです。この地区ではそれとともに、単に上流側へ広がりがあっただけでなく、谷の中でも相対的に危険性が高い谷底の低い部分に建物が増えていった可能性が高そうなことも、注意が必要なところかと思います。ただし、後者の傾向も「この地区に特別固有のこと」ではなく、よくある話だと思います。


記事を読んでいただきありがとうございます。サポートいただけた際には、災害に関わる調査研究の費用に充てたいと思います。