自分の鼻の形が嫌だ、って君は言うけど君を思い出すときって100パー鼻の形から思い出すからその鼻こそが君なんだよ

換気扇と工事現場の音が生み出す暮らしのグルーヴの中で俺だって有意義な生活をしようと毎日思う。
そこで俺の人生における意義とは何かと考えるが、結局他人との差分をどう作っていくかということなんじゃないだろうか。

子どものころ、両親は俺が見てないときはカマキリのような顔をしたバケモノなんじゃないかと常に疑っていた。
それ故に「ごちそうさま」と食器をシンクに置きに行く途中、両親の後ろを通った瞬間バッ!と急に振り返り正体を確かめようと何度もした。
しかしいつでも二人の背中は人間の姿のままで、その行為の度に「言っとくけど俺にはバレてっからなマジで……」と心の中で舌打ちをした。

その行動には「俺に見えてない世界」の存在があり、そこにも様々な事柄があり暮らしがあり意味があるのだという絶対的な「当たり前」を信じていた子どもの自分がいた。
そこから少し時は進み、進研ゼミでガシガシ脳を鍛えた俺は逆に「俺の認識していない世界に意味があるんだろうか」という問いにたどり着く。
結局この世界とは俺が認識しているから全てが存在するわけで、極端に言えば俺が死ねばこの世界全員が死んで無くなるのと同じじゃん!この世の中って全部俺でしかないのでは、という思考。
割りとあるあるでたどり着くこの考えは今風に言い換えると「今いるこの世界は一人一人が見ているVRなんだよ」といった感じだろうか。
この考え方は俺の人生に長く尾を引くことになった。

結局俺が何したって俺にしか意味がない世界だと考えると一気に生きることに対するモチベがガン下がり。
要するに努力も向上心もでかい家も高い車もブリッブリの伊勢海老もGカップの爆乳も愛も恋もすべて無価値に思えてくる。
死ぬまで生きているだけ。ずっと暇潰ししている余生。
そんな風に考えて意味の無い生命をとりあえず繋いでふらふらダラダラ生きていたように思う。

しかし生きていくうちにその考えとの矛盾を自分の中で感じ始める。
様々な他人と何だかんだ触れ合っていく中でどうしてもその人に対する感情というものが出てくる。
「面白い」とか「つまんねえ」とか「また話したい」とか「誉められたい」とか「好き」とか「嫌い」とかもう山ほど。
感情は行動に変わっていくもので、「つまんねえ」人とはあんまり話さなくなってくるし「誉められたい」人のために隠れて努力したり「好き」な人に向けてLINEも送る。
そうなってくると俺の人生における行動を変化させる他人という存在はとても明確に意味がある。
そしてその意味のある存在を作り上げたのは俺の認識していない、その人がこれまで生きてきた環境であり世界なわけで、そうなると俺の知る由もない時間や空間が俺の人生を動かしていることになるのではないか。

何のために人は働くのか。
強盗や詐欺などではない限り基本的に人は望んでお金を払う。
それが欲しいから金を出すのだ。
それ故に「会社の売上=社会への貢献度」という考え方があり、「いっぱいお金を稼ぐ=いっぱい喜ぶ人を増やす」とも言い換えられるかもしれない。
「自分が金貰うために働いてるだけ」と考えていたとしても結果的には他人を喜ばすために人生の3分の1を費やすことになる。

やっぱり人の人生において他人との関係性に身をおいて生きる時間が大半を占めるというのは確かなようだ。
そうなってくると人生というものは自分と他人との関係性、言い換えるならば立ち位置とその動きによって進んでいく天体に近いのかもしれない。
するとおのずと自分という確かな定位置として、天体における北極星としての定義付けをしたくなる。
それをアイデンティティーと呼ぶのだろう。

自分のアイデンティティーを自分の立ち位置だけで定義できる強い人はそう多くはないだろう。
多くの人は自分が存在するカテゴリをまず認識してその中で相対的な目線で他人との差分を計り、その一つ一つを自分のアイデンティティーとして自らにラベリングしながら生きていく。
例えば俺は「日本」で生まれて「新潟」で育って「弟」で「田舎者」で「よだれでしゃぼん玉を作る」ことが出来る「31歳」である。
同じ「日本」生まれの他人との位置の差分として自分のアイデンティティーは「新潟」育ちであると考えることが出来る。

その差分は基本的に優劣はないが、どうしても人はその位置によって上下を意識してしまい無意識的なマウンティングも起こってしまうのだろう。
負けた!と感じたら差を縮めるよりもそこでまた新たな差分を探して生きていくほうが楽かもしれない。
そしてその見つけた差分が縦ではなく横の幅に広がる差分ならもっとより善く生きていける気がする。

他人との違いをどうやって作っていくか。
世間で繰り返される「自分らしさ」というのもきっと社会性の中に見た相対的な他人との差分によって自己認識するものでしかない。

今日も俺はインスリンを打ちながら自分のアイデンティティーを噛み締める。
大切な大切な他人との差分を。

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