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アートかぶれの軟弱野郎よ永遠に

時々、全ての男性が『20センチュリー・ウーマン』(2016年)のジェイミーのような少年時代を送ってくれていたら、と思う事がある。

1979年のサンタバーバラを舞台にしたこの映画は、監督であるマイクミルズ自身の半自伝的な内容である。思春期真っ盛りの少年ジェイミーと彼を取り巻く三人の女性たち、ジェイミーの母親でありシングルマザーのドロシア、彼ら親子が住む家の間借り人で写真家のアビー、年上の幼馴染みで友達以上恋人未満な関係のジュリー、各々のキャラクターが魅力的で、少年の成長物語でありながらどこまでも女性が主役となっている、私の大好きな映画である。

(※以下、ネタバレを含む)


個人的に一番好きな人物がグレタ・ガーウィグ演じるアビー。写真家の彼女は『地球に落ちてきた男』(1976年)のデヴィッド・ボウイに倣って髪を赤く染め、ルーリードやDEVOのバンドTシャツを着てトーキングヘッズやレインコーツを聴き、悲しい時は踊り、スーザン・ソンタグを信奉するフェミニスト。

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ジェイミーは彼女からパンクとフェミニズムの英才教育を受け、立派な文化系へと成長していく。しかしそれが原因で同性と喧嘩になり、”ART FAG”(アートかぶれの軟弱野郎)と車に落書きされてしまう事件も起きるのだけど。女性を理解したいという意味で「いい男になりたい」と話し、子宮頸がんを患うアビーの通院に付き添ったり、ボーイフレンドが無許可で中出ししたと不安がるジュリーに妊娠検査薬を買い与え、結果が出るまでの時間を共に過ごしたりする。現実にそれをできる15歳がどれだけいるだろうか。

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私は女であることを存分に楽しんでいるけれど、社会で女として生きていくにあたって、息苦さを感じることは多々ある。怒りや悲しみを感じたことも。女友達との会話で耳にする体験談からも、きっと誰しも多かれ少なかれ、女性であることを不利に感じたことがあるのではないか。それに起因するのも追い打ちをかけるのも、今なお続く男性主体の社会的な風潮や、男性による無自覚、無理解であることは少なくない。

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女性の生まれいづる悩みを男性が根本的に理解できることは一生ないのかも知れない。ただ、ジェイミーのように積極的に関心を持ち、想像力をもって寄り添うことはできる。

もちろん、国や時代が生み出した有害な男性性、女性性に苦しむ被害者は何も女性に限った話ではない。反対に、無自覚な加害者になってしまうのは男性だけではないこともつくづく実感している。自分を棚に上げて女性の年齢や美醜をジャッジしたり、女性が生きづらさを抱える言動をする男性はしばしば見かけるが、友人の話では恐ろしいことに、女性は身だしなみを美しく整える為に男性よりお金と時間をかけ、子供を産むのが当然なのだから、ご飯を奢ってくれない男性は非常識だとのたまう女性もいる。

身近に遭遇した場合は都度相手に向き合い、あくまで意見を押し付けないように注意を払いながら、呪いを解く為にほんの少し余白を持ってもらえたらという思いで説明するようにしている。共感は出来なくても認識は出来るはずだから。


互いを知る為の対話を、更新を忘れなければ、もっと優しい世の中になるはずだという、綺麗事かも知れないけれど切実な祈りを捨てたくない。マッチョなジョックより、アートかぶれの軟弱野郎と呼ばれたい。フェミニズムに大きく触れているこの映画をたまたま男友達二人と観に行き、感想を言い合ったあの夜は良かった。



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