【10】不登校だった、かつての僕について。そして、2021年の僕からこれからの僕へ。【1986年5月中旬、自転車巡回するおばさん。】

※初めて来られた方はこちらを読んでください

寝苦しい、眠れない朝は続くものの、朝に起きることは起きて、いけそうなときは集団登校には入らず登校してみて、つらかったら帰ってくる。
もしくはもう行かないと宣言していかない。それが続いていた。
そうした日々をすごすと、午前中が特に暇になる。家にいてもマンガ読んででも気が晴れないし、すぐにファミコンやるのもなんだか反省していない(反省するつもりもないが)ように見られるのがつらい。

そこで、午前11時ごろだったか、家から出て散歩することにした。行先は本屋にしようか、スーパーのゲームコーナーか。あのころのラインナップはファンタジーゾーンやファイナルファイトのころである。やったことはないが、うまい人のプレイをこっそり見るのが好きだった。

我が家は学区の端である。うちの小学生に見られる心配はない。なにか話しかけることもないはずだ。まあ、小学生は学校に行っているのだが。友達の親にもみられることも少ないはずだった。

すると、そこまでの途中でおばさんの乗ったママチャリ2台がやってきた。カゴに何か書いてある。あとで大人になって知ったが「巡回員」と書かれていたと記憶している。

おばちゃんは、僕の20mくらい前にいた、ちょうど同年代の男の子を見つけると、「今何してるの?」と質問し、学校に行かなきゃダメでしょう、と諭すように注意をしていた。たぶん、まだこのころは万引きしたりなどで将来不良にならないようにするための巡回が行われていたのだろう。サボった子の芽を摘むために行われていた他校のPTAが、そのような巡回をおこなっていたのだった。

行きたい場所は別学区である。とはいえ、つかまったら親のところまで一緒に連れていかれる。これはとても怖かった。何のために学校に行っていないのか分かったものではない。母に何を言えばいいか、同居の祖父はなんというか、そして、父親が返ってきたとき何を言われるだろうか。

あわててきた道を走って戻り、うちの中でじっとしていた。

これ以降、僕の生活は通っている生徒以上に学校に縛られることになった。外出は午後3時を回ってから。短縮授業の時は午後1時から。夏休みはそのまま。街に子供はいてはいけない、それにより僕は思考はさらに内向的になっていった。

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