【8】不登校だった、かつての僕について。そして、2021年の僕からこれからの僕へ。「1986年5月、押し入れの中から聞こえた言葉」
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それは、改めて学校に行かなくなってから数日がたったころだった。
相変わらず父親は「今日は行くんだぞ」といいながら家を出た。ちゃんと家を出る息子を見送ることはいったん諦めていた。妹は、いつもどおり集団登校の場所に向かった。
妹があの時、何を考えていたのだろう。当時は今以上に自分のことだけしか考える余裕がなかった。不登校(登校拒否)が終わったあとも当時どう思っていたかはあまり知らないし、かといって改めて聞くのも恥ずかしいし。
特に言わなかったが、彼女なりに不登校の兄をもつ妹として、困ったことはたくさんあったのだろう。
話は変わるが、我が家の家族仲、兄妹仲は現在でもいいと思う(だからこそ、この5年間の時期を、僕と妹への暴力がなく過ごせたのだが)。しかし妹とは、会社を辞めただの、転勤しただのの話はあったり、お互いの交友関係やどこかに出かけたなどの出来事を話しても、自分がいまなにに悩んでいるかとか、恋愛のこととか、個人が抱えるプライベートについては、お互い口にしたり、直接聞くようなことはほとんどない。男女の兄妹だからだろうか。この年になっても一番把握しているのは、実は母親だったりする。
話を元に戻そう。遅めの昼ごはんを食べて、少したった頃だろうか。
「おーい、◯◯ー。」
外から、友達の声が聞こえた。
我が家は一軒家である。特に防音に優れてはおらず、声はよく聞こえる。
僕の部屋は2階で、玄関が見える位置に窓がある。窓を開ければ、うちに誰が来たのかがわかる。少し騒がしい。家の塀の向こうに、何人か来ているらしい。
「学校来いよー」
「なにやってるのー」
「元気ー?」
そんな感じだった。
あの時僕は、窓をあけて、最初に声をかけた友達やクラスメイトの顔を2階から見ていただろうか? 見たような気もしなくはないが、記憶を書き換えていないだろうか? そのあとの出来事が強烈だったので、覚えていない。ただ、わかったことがあった。明らかに、いつも遊ぶ時の人数じゃない。外で遊ぶなら、公園などに直接行くし、集合場所が誰かの家ってことはない。中で遊ぶならチャイムを押して入ればいいだけの話だ。
友人を含む、クラスメイトの彼らは、わざわざ、我が家の前に集まってきたのだ。そして、普段あまり遊ばない子たちも来ていたようだ。
彼らは自発的か、指示なのかは不明だが、たぶん、「誰か」から僕についての話があって、我が家に行こうということになったようなのだ。わざわざ、授業が終わった放課後に。
そういうことだと理解できたのは何か月も先のことだった。とにかくその時は恐怖感と羞恥心とで押し入れから出ることなんかできなかった。もちろん、改めて窓を開けて顔なんか出せない。
先ほども書いた通り、最初に声が聞こえたときに外を見たかの記憶はないが、声の数と量が明らかに増えた。僕は怖くなった。自分の部屋ではなく、となりの部屋の押入れに逃げ込むように隠れた。できる限り声が聞こえないよう、ふすまを閉めて、震えていた。
我が家は、大通りには面していない静かな住宅街で、あの頃の一戸建ての家なので、特に防音などはされていない。
どんどん声が増えてくる。人が集まってきているのが、家の壁、部屋、押し入れのふすまを通して、声が大きくなることでわかった。
人が集まればうるさくなるのは当然だ。目的はここに集まって言われていたことをやることだが、それより隣と話すことも楽しいはずだ。見てないけど、集団心理としてはそうだったんじゃないだろうか? 明らかになんかしらのイベントとなっていたのだと、今になって思う。
そして、「誰かが行くように仕向けただろう」とのちにわかる一言が、男の子の声で聞こえた。
「女子がきたぞー!!」
盛り上がる外の人たち。
この言葉は強力に僕を怖がらせた。
性別に限らず「おませな子」はいるが、当時の小学校5年生の1学期といえば、思春期にまだ入っていない子が多く、第二次性徴も始まる前だ。
悲しくなるので言いたくないが、当時の僕は(いや、今もだけれど)女性にモテるタイプでもないし、当時特定のガールフレンドや、いっしょに遊ぶような幼なじみなどはいなかった。
この1~2年で女の子と遊んだのは、ファミコンブームだったのでたまたま女子がいることがあったのが何回かと、小4の3月に保護者なしの男女6人だけで上野動物園に行ったことがある程度で(それが相当な期間、唯一のグループデートだった)、女の子と仲良くなりたいと強く思ったことは… あ、あったけど、それも初恋にあこがれて幼稚園からの同級生(当時にはもう関係性は疎遠)を好きになるべきと思ってなったくらいだ。つまり、恋愛についてよくわかってない。
まあつまり、友達でも好意を持っているわけでもないだろう女子生徒が、わざわざ僕の家にやってきたということだ。
そして、僕個人を心配して来ているのではないのだ。誰かによって僕の家にやってきたのだ。僕の家に行って、励ましてあげましょうというようなイベントとして。
この話が安い恋愛マンガだったら、勝気な女の子が家まで入り込むとか、このやじ馬たちに一喝するとかするだろう。なお、その子が高校生に成長した時の役は、セカチューのときの長澤まさみにお願いしたい。
もしくは、普段はおとなしめな気持ちをあまり前に出さない女の子が、騒ぎの後からやってきて、声をかけてきてくれるだろう。成長後の姿はあまちゃんの頃の能年玲奈とかどうでしょう。そうだったらどんなによかっただろう。
おっさんになってこんなことを書くくらいに現実逃避をしてみたって、「そのときの現実」はそうではなかった。スマホの地図アプリなんてない時代である。すごく近所だったり、友達になっていない限り、学区の端っこになっているこの家まで彼女たちが自力で来ることはない。誰かに連れられてきているのだ。
この年代では、単独行動をする女子は少ない。来たのは少なくとも一人ではなかったようだ。誰かによってここに来る流れが出来上がったことにより、複数の女性が、我が家の前までやってきたのだ。残念ながらそんな経験はその後現在まで私の身に起きていない。
しみじみ思う。モテるんだったら、モテたほうがいい。そうだったら僕は、幼馴染との淡い恋物語でもnoteに書いていたのだろうか?
…そろそろ現実逃避は終わりにしよう。
学校来なよー、って感じのことを、下のほうからみんなが自分に声をかけて励ますのが聞こえる。少しだけ女子の声も混じっている。
これは、その後の人生で見たドラマじゃ見たことがないシーンだった。受け止める側には、仲間を励ます感動のシーンとは180度違う世界がそこにはあった。そして、ドラマでは見たことがない、何かに導かれた演出だから、声をかけられている側はただただ怖かった。行きたくないから、行けないから行かないのに、それを理解していない彼らが声をかけてくるのだから。
そのあとの記憶はおぼろげだ。僕は泣いていたと思う。後から聞いた話では、母親が出てきてなにかなだめるように説明して、みんなには帰ってもらったらしい。時間にして30分くらいだったのだろうか。あたりが静かになった。
母親がみんなを帰した後に僕の部屋にあがってきて、押し入れの中で泣いている僕を見て驚いたそうだ。家の前の事態も、息子の状態もおかしなことになっていたが、特にきつい言葉をかけることはなく、気持ちをなだめてくれたと記憶している。わが母とはいえ、よくヒステリックにならなかったものだ。いまさらながら尊敬する。
この日の出来事で、僕の心はよりふさぎこんでしまった。
幸か不幸か、のちに「その場にいない」このシーンの「おそらくの演出家」に対し、まっすぐに恐怖心と嫌悪感を抱くことについてある程度自分自身を許したこと、その後に「学校に行って学ぶこと」に対する自身の考え方のもととなるのに十分すぎる出来事だった。
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