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【4】不登校だった、かつての僕について。そして、2021年の僕からこれからの僕へ。【1986年4月中旬、できない・わからないと言うことの怖さ。】

※初めて来られた方はこちらを読んでください

小学校に入る前のことを少し思い出した。
(この連載、時系列が急に変わることがあります、ご理解のほど)
思えば、小さな頃から、失敗することが怖かった。

もう少し正確に言うと、失敗によるペナルティがあると、それを思ってしまうだけでオドオドするような少年だった。

クイズ番組が好きだったのだが、ブザー音がこの頃くらいまですごく怖くて、間違いが出るかもしれないと思うと耳を塞ぐほどだった。

ブザー音に耳を塞ぐのは小学校高学年くらいから無くなったが、どこかで「自分に対してつらさを感じさせるペナルティがある」ときに同じようなことになることが、今でもある。そして、言い方は悪いが逃げてしまうことも。
逃げるのはすべて悪いことではない、とわかっていても罪悪感を持ったまま過ごしてしまい、心ここに在らずと言う状態が続くこともあった。
セルフハンディキャッピングをしてしまうこともあったし、それに慣れてしまう自分もいた。よくないなとわかっていても、いまもその傾向は続いたままだ。

こう言われたらどうしよう、どう答えればいいのかを、まず聞く前に考え込んでしまう。外から見れば、うだうだしてるようにも見える。流してしまってそのままにしたことも多いのだろう。忘れたことも結構あったような気もする。
口に出すのが怖い、言いたくないが前に来てしまい、もっと自分を追い詰めて、側から見ると爆発しているように捉えられてしまうこともあった。
そう考えると、そのことに気付くきっかけがこのことだったように思える。

話を1986年に戻す。

新任の教師がきてから、授業の進め方は同じようなものだった。そして、普通に宿題も出た。忘れた者、提出しなかった者は叱咤された。

常にみんなが怒られている。怒られることをしてない人の前で。

それはまるで、軍隊のようであり、戦場のようでもあった。できた人間だけが着席して授業を受けられる。最前線にいるためには、質問に答え続けなければならない。
正しくは理解している意思表示になるが、わかってないと同じ扱いになるように思える。いつかわからなくなる日が来るのが、いや、叱責されるのが怖かった。

最初の授業から10日くらいだろうか。
宿題に手がつかなかった。間違いがあったらどうしよう、できなかったら、やらなかったら…。「やりたくない」が勝ってしまい、やらなきゃが抑え込まれる。
かつて提出物忘れ、実施忘れをしたことはある。しかし、次の日に持ってくるようにで終わっていた。そうではない。確実に強い叱咤が、まだやられていないあれがやってくる。

すごく、すごく怖かった。ナイーブなんだと思う。でも怖かった。
もともと学校の成績はよかったので、この手のミスをする経験がないのだ。もしできなかったら、どうしよう。その思いだけで頭がいっぱいになってしまう。

このあたりの記憶が曖昧なのは、ほんとに怖かったからだ。もともと幼少期から寝つきは悪いのだが、当時にしては23時ごろまで寝られないなど、さらに悪くなっていたはずだ。宿題は全くやっていない。算数の計算ドリルだったことは覚えている。寝るように言われたから布団には入った。

そして、夜が明けた。ドラクエなら物事が進んで、HPやMPも回復するが、その日は回復せず、お話も進まなかった。

その日、僕は学校に行かないと家族の前で意思表示することになった。言葉ではなく、行動で。




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