【2】不登校だった、かつての僕について。そして、2021年の僕からこれからの僕へ。【1986年4月、最初の授業】
※初めて来られた方はこちらを読んでください
なんだこの人。怖いな。
そう思いながらも全員が体育館にそろい、5年生のクラス分け説明が始まった。担任の中には3年生の時の担任の男性教諭もいる。別の学年から移った先生もいたと思う。あの人は新任のようだ。
説明が終わり、自分のクラスの教室に移動した。その教室に入って自己紹介をしたのは、先ほど体育館で注意してきた新任の女性教師だった。年齢は30代半ばくらいだろうか。
やはり、他の学年から5年生の担任になったわけではなく、この小学校に今年から着任してきた人だった。見たことなかったし。
そっか、この人着任してすぐ注意してきたのか。
クラス替えがあったことと、担任が顔と名前を覚えることを目的に、自己紹介が行われ、教科書類の配布があり、その他明日からの注意事項などを経て、オリエンテーションは終了した。「なんだろうこの人」って感覚はあったが、帰り道にクラスメイトと話しているうちにはなくなった。
翌週、いよいよ最初の授業が始まった。
最初の科目は社会科だった。
当時の小学5年生の社会科では、現代社会・公民の分野では日本の産業について学ぶことになっていた。そんなことを今でも覚えているのは、その授業が強烈に残っているからだ。
まず、社会科の資料集のグラフを見せて、何がわかるか聞いてきた。
グラフの内容は、日本の産業構成が第二次世界大戦後、どのように変わっていったかを説明するためのものだった。
1980年代後半なので、日本の産業別生産高比率は、第一次産業である農業・漁業・畜産業から第二次産業の工業・製造業へ、さらに第三次産業のサービス業などへと生産高比率が変わりきった時期である。第一次ベビーブーマーの親世代とは、産業別人口の構成比が大きく変わっている。
近いグラフを検索してみたが、見つけられなかった。
(実家にあの頃の教科書類は残っているだろうか)
言いたいことに近いグラフはこんな感じ。産業別労働者の割合を表したグラフだ。
これはただのグラフだ。
「前は農業の生産高が一番多くて、工業の数字が時代がたつにつれて高くなる」話をするためのグラフである。第三次産業のほうがもっと多いのだが、順番として第一次産業の話をするから、そこらへんは後回し。模範解答はそんな感じ。
ただし、そんなことちゃんと答えられる小学生は、授業は適当に聞いて、自分のやりたいことを授業を聞きながらやったほうがいいと今となっては思う。だってここの部分できるだもん。
僕は手を挙げた。ほかに手を挙げたのは3分の1くらいか。
すると、教師はこういったのだ。
「なぜわからない? よく考えなさい」
いったん手を下ろし、もう一度考えるように促された。
それから2分ほどたっただろうか、「わかった人」は手を挙げた。手を挙げた人数は数人増えた。しかし、それでも半数の生徒が手を挙げていなかった。
彼女は怒りはじめた。
え?
「なぜわからない?」
「書かれていることについて答えればいいんだ。このグラフに書かれていることを答えられないのはどういうこと?」
混乱した。
全員が手を挙げないことで怒られたことは一度もない。
その後わかることなのだが、彼女は質問に対して、「生徒全員がその質問を理解し挙手」ことを求めていたのだった。かつ「かつ指導要領にそった回答をする」ことも求めていることを、言われないながらも知った。
ただ、当たらなかっただけで、
「赤と青と緑ですけど、最初に見せるグラフってベージュとかないのってなんでなんすかね?」とか、
「グラフの見方を学ぶのと社会科で見せるグラフって社会で見せるグラフのほうが進んでません? あと、算数の問題でクラスのテストの点数のグラフって作って何の意味があるんですかねえ」とか
茶々をいれるやつがいそうなものだが、それは当時のこの人の頭の中にはなかったらしい(もうちょっと小学生が思いつきそうなことがないかと思ったが、おっさんだからこんな答えになってしまった)。
わかっている→手を挙げる→誰を指しても模範解答になる
この図式を求めていたのだった。
今の私はこの教師より年上のはずだ。そんなことないことくらいわかりそうなものだろう、と第三者として言いたいが、当時の僕、および僕たちクラスメイトはそんなことを考える余裕がなかった。
そんなことを言ったって、全員の手が上がるわけではない。しびれを切らしたこの新任教師はその後、もっと余裕をなくすような言葉が発した。そして、もっと教室が混乱する出来事が起こったのだった。
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