よく分からない日本のTERF論争 1

 いくつかのマイノリティに属している自分だが、トランスジェンダーに属しているとの認識はない。だから何も言わないでおこうと思っていた。
 だが門外漢でも分かる変なこと、というよりも異様なことが未だに続いている状況が気に入らずどうにも我慢がならなくなって、わざわざnoteの登録までした次第なのである。わたしは門外漢だから、もちろん日本以外のTERF論争はもっとよく分からない。
 
 ちなみに最初にどうにも我慢がならなくなった気に入らない点というのは、「マイノリティの味方や擁護のポーズを採りつつ、ひとりの人物を追い込んでいく点」である。これは明らかな矛盾である。ただそれ以上に許しがたいのは、入れ替わり立ち替わり攻撃をしかけ、結果的に集団を成して袋叩きにしているところである。そして次々に一人の人物の社会的生命に殴打し、職業や所得を奪取しようとし続けているのだ。日々このような攻撃に遭って精神状態が保たれるわけもないだろう。

 マイノリティは「少数者」と訳されるが、社会において「少数者」に該当する人々はごまんといる。
 日本ならば「天皇」なんていうポジションはその時々において唯一無二なのだから、とんでもなく「少数者」である。だが天皇の味方や擁護を行うことと、トランスジェンダーの味方や擁護を行うことは同じことかと問えば、それはどう考えても違うだろう。
 つまりマイノリティという言葉には、「少数者」と同じくらい「弱者」という意味が含まれているのである。

 そして一人の人物を言葉で殴りつけるとき、「あなたとわたしの社会的ポジションは異なり、あなたの方が上位だから殴っていいのだ」と捉えることができそうな文言を吐いて自己正当化した上でコブシを振り上げる。
 とはいえ、同業者組合にどちらも加入しているものの異なる企業に勤務している者たちの間の場合、「あなたとわたしの社会的ポジションは異なる」と言えるのだろうか。少し極端な例だが、大手出版社の課長と零細出版社の社長を並べて、大手出版社の課長が零細出版社の社長に対して、「あなたは社長だ、課長であるわたしとは地位も権威も違う」と真顔で述べたら、「まーそーゆー見方もできなくはないけどねー(ドン引き)」となってしかるべきだと思うのだ。これらの人たちは山上徹也が安倍晋三を殺害したことについて賛同の意を示すのだろうか。自分には山上徹也ととてもよく似たことをしているように見える。
 また仮に大手出版社Aの係長aと大手出版社Bの課長bが対立したとしても、職位が上だからといって大手出版社Bの課長bの社会的生命や精神状態を損なうような言動に及んでよい訳がない。

 どうもこういったことが「大学の先生」なる人たちの間で行われているようなのだ。とんでもない世の中になったもんだと一瞬思いかけたが、もしかしたらこんなとんでもないことがずうっと続いていたのかもしれない。わたしが知らないだけで。

 わたしがこの投稿で言いたいことは、マイノリティの味方を標榜する人々が一人の、天皇でも(元)首相でもない、ちっぽけな学者村の住人をボコボコにすることは道理に適わぬことであり、マイノリティの味方をする資格自体をまずは問うべきではないかということだ。

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