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小説のつづき 12

駐車場に車をとめて、旅館の玄関をくぐると、年輩の中居さんが、えらく丁重に
僕達を迎えてくれた。
ちょっと暗く狭い玄関は、土間のように黒い土の上に御影石が敷かれ、上がり框
も磨きこまれて黒光りしていた。
部屋に案内されるまでの廊下からは、美しい中庭が見渡せた。
中居さんが、ユミを、奥様、奥様と呼ぶのを、僕がおかしそうに眺めると、彼女
は、少しはにかみながら、目だけ僕に怒ってみせた。

部屋には、掘りごたつが仕立てられ、茶菓子とみかんが置かれていた。
僕達が座ると仲居さんは、あらためて丁寧な挨拶をし、この旅館が古くて、新し
いホテルに比べると設備が十分でない事を詫びた後、ここがいかに歴史がある
か、そして、古くてもとてもいい建物で、小さいが有名な庭師が造った立派な日
本庭園も魅力的である事を、胸をはって滔々と述べ立てた。彼女がお茶を入れて
又、馬鹿丁寧に礼をして下がっていった後、僕達は顔を見合わせて笑った。

「ほらね、私の選んだ旅館、外観はボロく見えても、あのおばあちゃんの心意気
や良しで、なかなか楽しいでしょ」
「たしかに、くたびれてるけど、この欄間なんか、上等な彫り物がしてあるな
あ。障子の桟も十二分に古びてるけど、障子紙は、真っ白できれいだし、いろい
ろ見どころは、あるかもしれないね」
「でしょう、こういうのが良いのよ、土壁に障子なんて久しぶりでしょう。お庭
も素敵だったじゃない」
「はい、そうですね、奥様」
「もう、XX君、何いってるのよ、奥様にしてくれるんですか?」
「いや・・・その・・・」
「冗談よ、本当にこまった人ね」
「でも今日は、ここに来るまで良く話したわね、私なんか嬉しくて、車のなかで
次々に流れてくる音楽についつい色々話し過ぎたかな。XX君の運転してる横にゆ
ったりと座って、今日は帰らなくてもいいと思ったら、どんどん気持ちが解放さ
れちゃって。それにカーステレオとってもいい音がしてたから」
「気付いてくれてたのかい、あれはいいステレオなんだよ。マッキントッシュっ
て言って僕の車には不釣り合いなオーディオなんだ。ゆったりして厚みのある、
それでいてうるさくない音。苦労して、こっそりローン組んで付けたんだよ。多
分、カリーナに付いてるのは世界で一つかもね」
「へえ、そんなにすごいの。マッキントッシュってコンピュータの名前じゃない
の?」
「いや、全然違うんだ。コンピュータじゃなくてオーディオメーカーのマッキン
トッシュ」
「そう言えば、学生の時からオーディオ好きだったわね。ヤマハのきれいなデザ
インのアンプでジャズをよく聞かせてくれたわね。私の両親に買ってもらった上
等のオーディオセットにもケチつけてたっけ。挙げ句の果てにエレクトーンの音
まで、サーッて言うノイズが多いとかなんとかいつて」
「そうだったね、文句ばっかり言いながらもオーディオが大好きだったけど、
今、家では、ほとんど聞かないんだ。いいシステムも持ってないし、だから車の
なかで、思いっきりいい音に浸るのが唯一の楽しみなんだ」
「じゃあXX君、私とマッキントッシュどっちがすき?」
「うーん、そりゃユミだよ!」
「よかった、マッキントッシュに勝てて!」

彼女は、僕を見つめて気持ちよさそうに笑った。

「ねえ、今夜のお食事はね、予約する時に、懐石料理か、カニ鍋かどちらにしま
すって聞かれたのよ。私ね、二人でお鍋つっつくのもいいかなとおもってそっち
にしたわよ。二人だけで好きなペースでゆっくり食べられるでしょう。それに日
本酒飲んで、酔っぱらいましょうよ」

ユミは本当に明るく楽しそうだった。こんな彼女を見るのは随分久しぶりのよう
な気がした。美しい顔だちの女の子が今、大人になって僕の前で微笑んでいる。
ずっと長い時間を重ねて来た分、より、優しくなった顔。その小さな皺さえ、愛
おしく思える。こんなにも嬉しそうな彼女の顔が見られるのなら、もっと早く
に、どこか遠くへ出かければ良かった。

その夜は、二人で鍋をつつきながら、又、学生時代の話題に戻っていった。けれ
ど僕は、こんな時に二人の未来を語れないのがもどかしかった。

もう肌を重ねるのにも緊張感はなかった。
静かな日本旅館に流れる少し冷たい空気が、日本酒の酔いを程よく醒まして、二
人は愛しあう事に熱中した。
彼女の小柄なわりには豊かな乳房にほほを付けて早鐘のような鼓動をきいている
と、暗くした部屋が溶け出して二人だけの世界になった。優しい愛撫をくり返し
て、くちづけすると、彼女は泣いているような声を洩らした。
                             つづく