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小説のつづき 14

「そんなもの、止めろよ!東京なんか行く必要ないよ!彼等がメジャーデビューし
た瞬間、ハイご苦労様でしたって言う契約だろう。デビューまでの全国ドサまわ
りで、しんどい所だけの仕事じゃないか。いくらSミュージックって言ってもど
うせギャラだって安いんだろう。今の落ち着いた生活の方が絶対いいじゃない
か。どうしてそんな話持ち出すんだ」

「XX君、お願い、そんな風に言わないで。私だって悩んでるのよ。でも、このツ
アーに参加してプロデュサーに認められれば、レコーディングもメジャーデビュ
ー後のコンサートにも参加できるかも知れないじゃない!」

「なに甘い事言ってるんだよ!この間の旅行の時、音楽業界の裏話さんざん聞か
せてくれたじゃないか。自分の時だけ上手く行くと思ってるのか」

「XX君怒らないで。私ね、色々考えたのよ。XX君とのことだってね、このまま、
ずっと続けていけるの?この先私は、このままの立場なの?ホテルでエレクトー
ンを弾いて、子供達に教えて、それで、あなたの愛人でずっといろって言う
の?」

「何もそんな風に言う事ないじゃないか。僕だって離婚したいと思っているよ。
君ともう一度会った時から、はっきりとした形でね」

「でも駄目よ、別れられっこないわ。奥さんの事がどんなに不満でも、奥さんの
事をそんな風に変えてしまったのはXX君よ。私ねXX君の事で奥さんにはどんなに
恨まれてもいいの。でもね、あのピアノの上手な女の子に恨まれるのだけはいや
よ。だからXX君は、どんなにつまらなくてもこの結婚生活は、続けていくべき
よ。自分から逃げ出すのは、ダメだわ」

「逃げ出すも逃げ出さないもないさ。僕は君の事が好きだ。今の僕には君が必要
なんだよ。君は僕の事が嫌いになったのかい?」

「そうじゃないわ。私だってXX君の事が好きだわ。きっと私の方がXX君が私を思
うより大好きよ」
「私達、最初の時だって、ようやくエレクトーンのこと諦めてXX君と結婚しよう
としたら、XX君私から逃げ出したんじゃない。あなたは、私と一緒になる事で、
自分の可能性が狭まると思って私を避けるようになったんじゃないの。今、また
私が、私だけのXX君でいて欲しいって言ったら、また、息がつまって逃げ出すんじゃないの。今が、いい潮時じゃないの? 私、東京に行ってもいいでしょう」

「ダメだよ絶対!せっかく僕達もう一度巡り合えたんじゃないか。どうして別れ
るんだよ!」


「だからね、だからXX君の事は大好きよ。別れてからもずっと忘れた事なかった
、、、。あなたが、私と別れて暫くしてから結婚したって聞いて悲しかったわ。
その頃、同じミュージシャン仲間だった人に、一緒に東京へ行こうって誘われたの
よ。何となくそれもいいかなと思って。でも東京では、お互いスタジオミュージシ
ャンで忙しくて休みも一緒にとれないし、結婚した物の、いつもバラバラでど
ちらからともなく、一緒にいる意味ないねって別れたの。その人の事も好きだ
ったけど、本当は、ずっとXX君の事が一番好きだった!でもXX君は私より今の奥
さんを選んだんでしょう。本当に別れる事なんてできるの? 私ね、この最後の
チャンスに賭けてみたいの。ダメだったらまた戻ってくる。だから、お願い行かせ
て」

「君が行ってしまったら、僕はもう君と会えないじゃないか。僕はどうしたらい
いんだよ?」

「また、そんな子供みたいな事言って。私、もう音楽を20年近くもやって来て、
ここまで努力して来たんだもんメジャーになりたいわよ。XX君、私の事好きだっ
て言いながら、私の夢を邪魔するの?」

「だから別れるのは嫌だ」

「そうじゃない、別れるなんて言ってない。東京からスタートするツアーに行か
せてって言ってるのよ」

「でも行ってしまえば、もう会えないじゃないか、君の気持ちだって変わってし
まうかも知れないだろうし」

僕は必死だった。どうしてもユミを引き止めたかった。彼女の言う事は、一々も
っともだった。だけど、ここで手を放せば二度と会えないような気がした。もう
40歳を迎えて、この先、こんなにも愛し合える人に巡り合えるとは思えなかっ
た。結婚してしまっている自分が歯がゆかった。さっと離婚してしまえない優柔
不断さが自分でも情けなかった。

僕達の話は、平行線を辿った。運ばれて来た食事も手を付けないままにすっかり
冷めてしまった。
お互いに疲れてしまって、僕達は、黙り込んだ。

ラウンジはようやく満席になり、賑やかな話声が辺りに満ちて来た。
ラウンジの片隅で、バンドの演奏が始まった。彼女が口を開いた。

「ほら、誰も演奏なんて聴いてないじゃない、今の私と同じだわ。
チャンスを捨ててこんな事を続けろって言うの。今度のバンドではキーボードやシンセは大事な役どころなのよ。ストリングスやブラスや、いろんな音色を出してボ−カルを盛りたてるの。きっと、もっと、みんなが聴いてくれるわ。
ねえ、わかってよ、私の気持ち」

僕は、しばらく黙っていた。
彼女も、それ以上はなにも言わなかった。

「少しだけ考えさせてくれないか。あんまり突然で考えがまとまらないよ。今日
はもうこの話やめよう」
「そうね、私も言い過ぎたかも知れないわ。」
「食事もう冷めちゃったね」
「ええ、お腹すいてたのどこかへ行っちゃった」

「今日は素敵なス−ツ着てるね。ロビ−で見たときから、その服いいね!よく似
合ってるよって言おうと思ってたんだよ」
「ありがとう。これ今日初めて着るの。ちょっと色が派手かなと思ったんだけれ
ど、もうオバサンだから、これくらいの着なきゃって思って」
「いや、まだ充分若くて綺麗だよ」
「だめよ、そんな風に言ったって」
「本当だよ。僕は、放したくない、ユミのこと。昔のことは、ずっと後悔してた
さ。あれは僕が未熟だった。誤るよ、もう遅いかも知れないけど」
「XX君から、そんな言葉が聞けると思わなかった」
「僕達、どうしたらいいんだろう」
「そうね」
「明日、もう一度会わないか?今度は僕が神戸に行くよ。あんまり時間とれない
かも知れないけど、三ノ宮で落ち合わないか、今日は疲れちゃったよ」
「ごめんなさい」
「あやまる事ないさ、一晩考えてみるよ。またずっと後悔するのは嫌だから。ユミの気持ちは充分聞いたしね」
「今日は帰りましょう。XX君、梅田まで、いっしょに地下鉄乗ってよ。駅まで送
って欲しいな」
「わかった。阪急まで君を送るよ」

僕達は、人ごみの中を歩いて、地下鉄に乗った。彼女は、そっと腕を組んで僕に
体をあずけた。

自宅に帰り着いた時には、家族はみんな床に着いて、家は真っ暗で静まり帰って
いた。僕は、まっすぐ風呂場に行って熱く湯を湧かして湯舟にじっとつかった。
今日の彼女の言葉を何度も思い浮かべて、思った。もう結論は出ていた。彼女の
言っている事は、正論だった。自分が、その結論に冷静に耐えて行けるかだけだ
った。明日は、どんな風に話そうか・・・。
上手く話せる自信はなかった。

                 つづく