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電話口

新年の頭から立て続けに目を背けたくなるようなニュースが相次ぎ、とても平穏とは程遠い正月休みになった。所謂「当事者」でなくとも、センセーショナルな報道や過剰な情報の波に呑まれて精神をすり減らした人も多いはずだ。

いま私は慣れ親しんだ自室でこの文章を書き連ねているが、少しでも運命の歯車が掛け違っていたら、他でもない自分が「当事者」になっていたかもしれない。

親しいフォロワーには周知の通りかと思うが、何の因果か正月休みに能登半島への旅行を控えていたのだ。予定は1月3日から5日間。金沢から列車で穴水へ、穴水からはバスで輪島へ、輪島からまたバスで珠洲へ、珠洲からまた更にバスで宇出津へ……。甚大な被害を受けたことで連日ニュースでその地名を耳にする幾つかの町は、紛れもなく自分がじっくり足を踏み締めて歩くはずだった場所なのである。

メモ帳に殴り書きした旅程

例年と変わらず朝寝坊の元旦、撮り溜めていた紅白や朝ドラを流しながら駄弁る、本当に何の変哲もない団欒だった。ふといつもの習慣でタイムラインに目をやると、穏やかな元旦にそぐわない単語の数々。「緊急地震速報」「石川県」「能登」「7」「新年早々」……。あわてて本放送に切り替えると、「珠洲市」というテロップと艶やかな黒瓦の家並。画面が小刻みに揺れ、彼方には土煙も見える。

大津波警報。
怒声にも近いトーンで避難を呼びかける声。

自分の手元には、来る旅程を書き記したメモ帳。
視界が眩み、手の震えが止まらない。

そこからの記憶は曖昧だ。

あの日から数日経った今でも、ふとした瞬間、深淵に足を絡め取られたかのように思考が止まらなくなる。もしも年明けを待たずに出発していたら、もしも本震の発生があと数日遅かったら。確かなのは、旅行の日どりが幸いして被災を免れたこと。そして、ずっと憧れて止まなかった能登の町が変わり果てた姿になってしまったこと。

とにかくまず、自分の無事が何よりも喜ばしいはずである。どうしたってそのはずだ。ましてや旅先で本震に遭遇して「被災者」になってしまった自分、そして家族や友人の心中を想像しただけで身の毛立つ思いがする。しかしそうした安堵感と同じくらい、先人達(フォロワー)の呟きやブログなどを頼りに、数ヶ月に渡って下調べを重ねてきた憧れの土地が、一瞬にして別世界になったというショックは計り知れなかった。

精神衛生の面からしても、なるべく地震関連の情報から距離を置くことが最善の選択だったのだが、自分の巡るはずだった町の現況をいち早く知りたいという思いが結果的には勝り、SNSで核心となる情報に辿り着いては毎度ダメージを受けるという負の連鎖が続くことになってしまった。そんな状況が祟ってか、三が日の間は殆ど横になったきり動けず、楽しみにしていた旅がご破算になった運命を呪っては、そんな矮小な考えにしか至らない自分をますます嫌悪して、という悪循環を繰り返した。

流石にこのままではマズいと思い、読書やライブ鑑賞、友人との交流に時間を充てるなどして、一旦は生活リズムを正すことに努めた。また能登の代わりと言っては何だが、土地勘があり比較的リスクの少ない目的地として、1泊だけだが信州への旅が叶った。もちろん能登への旅路を絶たれた傷は当分癒えないが、旅を愛する人間として最低限の切り替えはできたのではないかと思う。

信州遠征(1月6日)

発災の翌日、昼過ぎに知らない番号から電話があった。数字と共に表示された住所を見てハッとする。電話の主は、私が能登町でお世話になるはずだった民宿の奥さんだった。宿の人間は全員無事で今から避難所に向かうこと、1階部分が津波で完全に浸水したこと、建物にヒビが入り、とても復旧がままならない状態であること。そうした状況を受けて営業できないがためのキャンセル依頼だった。電話口の声は、被災直後とは思えないほど芯の通った声色で、今時点でわかる情報をありありと伝えてくれた。気丈に振る舞っていた結果かもしれないが、真意はわからないし、それを詮索するのは無作法というものだ。

「復旧したら、是非またいらしてください」
凛とした声が耳に響く。

月並みな受け答えとして、「また伺います」と返すことはできたと思う。しかしこの先、いつ民宿として復旧できるのか、そもそも復旧自体が叶うのか、「当事者」でない私には、電話口の向こうに広がる時間や風景を推し量ることは到底できない。そんな身の上で迂闊な返答をすることは、個人的にはどうしても躊躇われたのだ。

「どうか皆さん、体に気をつけてください」
零れるように出た言葉が、自分の精一杯だった。

まだまだ余震や二次災害など予断を許さない状況が続くうえ、いつになれば気兼ねなく能登の地に足を運ぶことができるのか、今の段階ではとても分からない。けれども、いつの日か願いが叶うなら、どこよりも先にあの電話口の主のもとへ宿泊客として訪ねてみたいし、晴れて復興を遂げた黒瓦の集落や海岸線を、今度こそ万感の思いで歩いてみたい。まずは信頼できる機関に募金したり地のモノを買ったりして、「当事者」にならなかった自分なりに、できることを着実に積み上げていきたいと思う。

・P.S.
新年早々からこんな事態になってしまい、今のぐるぐるした思いを多少なりとも形にできる場所を探した結果、今回初めてnoteのお世話になりました。吐き出したいことを素でお出ししただけの散々な文章ですが、最後まで読んでいただけたなら幸いです。
今後は軽めの旅行記なんかも時々書けたらいいなと思うので、よかったらTwitter共々仲良くしてください。

(Twitter)
dino @dinoyama_6699

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