両足の感触
前日の行楽日和が嘘のように、重たい雨が降りしきる肌寒い日になった。瀬戸内の海はその豊かな色彩を失い、空と水面の境目すら肉眼でははっきりしない有様だ。「夢か現か」という表現すらしっくりくる、そんな風景が一帯に広がっていたこの日、私はひとり、憧れの島に降り立った。
4月の終わり、広島。
昨夜の深酒が祟って、旅の道中とは思えないほどの寝坊をかましたこの日。大半の旅程を瀬戸内の海に投げ捨てて、本来の目的地である大崎上島に辿り着いたのは、ちょうど朝からの雨足が強まりつつある昼過ぎだった。この島でも巡りたい名所や集落は多々あったが、自身の不覚により限られた時間しかない今、行きたい場所はただひとつ。
契島は、竹原市の沖合に浮かぶ小さな島。敷地全体が東邦亜鉛の精錬所として稼働しており、その目を引く風貌から「生きた軍艦島」「日本のモン・サン・ミシェル」などの異名とともに密かに知名度が上がりつつある。最近では、島のすぐ近くを通過する行程を組み込んだクルーズ船もあるくらいだ。
当然ながら会社の私有地になるので、関係者以外の島への立入りは厳禁。ただし大崎上島の町営フェリーも運行しており、船員の方に断りを入れれば、接岸したタイミングで島の桟橋までは降り立つことが許されているのだ。(下記HP参照)
フェリーの時刻表に目をやり、ちょうどいい便があることが分かったので、満を辞してこのユニークな島への上陸を試みることになった。
大崎上島は白水港。港に待合所はあるものの、運賃はそのまま桟橋を渡った先、船の上で船員さんに直接支払うシステムだ。雨は強まる一方で、目の前の水平線はますます曖昧になってきた。天候も相まって、船体までの道のりは妙に心許ない感じがした。
恰幅のいい船員さんに行き先を告げる。
「契島まで、往復で」
「あーはい、○○○円です」
明らかに島の従業員でない風貌の旅客を前にして、声色は普段通り。やはり好奇の足取りでやってくる人間は少なからずいるのかと、そんな事を思う。
「あの…..島って桟橋までは降りても大丈夫なんですよね」
「うん、すぐ出よるけどね」
「はい、撮ったらすぐ戻りますんで」
船員さんに一礼し、座席のある2階へと駆け上がった。当然ながら、目指す場所は行楽地ではない。自分が突飛な行動をしている自覚がある以上、その場のルールは入念に確認して然るべきだろう。
のっぺりと光る座席に荷を下ろして間もなく、汽笛の轟音とともに船体がガタガタと動き出した。連休のど真ん中、乗客は私ひとり。連日ニュースを賑わせていた行楽客で鮨詰めの光景が、どこか違う世界のものにすら思えてきた。
出航から程なくして、最初に寄港する生野島が見えてきた。桟橋の正面に大きく「アワビ」の文字が見える。この辺りの名産だという心当たりはなかったが、後日調べたところ、この島は80年代のリゾート法に伴いアワビ養殖事業に乗り出した経緯があるらしい。事業は奮う事のないまま頓挫、今も数十人が暮らしているようだが、港に人の気配はなかった。
生野島を離れてしばらくすると、視界いっぱいに海とも空ともつかない瀬戸内の光景が目の前に広がり、さながら水墨画の世界にでも迷い込んだかのような、挙句は自分の所在まで分からなくなるような、そんな慣れない感覚が身を包みはじめた。お目当ての島を前にして、いつしか途方もない孤独感ばかりが強まり、旅の道中にいつも覚えるような興奮はすっかり鳴りを潜めかけていた。
それから暫くして船体が大きなカーブを描き、生野島の輪郭が途切れた瞬間、視界いっぱいにあの島が現れた。
月並みな表現だが、息を呑むとはこういう事かと思った。この悪天候で対岸の陸地は姿を消し、この広い海に目の前の島だけがぽつんと浮かんでいるかのように錯覚してしまう程だった。本当に今からあの島に降り立つんだ……。寄る辺なく海上を漂っていた時の不安は彼方に消え、ようやくいつもの高揚感が胸に湧き上がるのを感じた。
デッキから望む島の姿は次第に大きくなり、所狭しと張り巡らされた配管や建屋がすぐそこまで迫ってきた。一際目を引く鉄塔はひっきりなしに煙を吐き、雨や潮の匂いに混じって強烈な金属臭が鼻の奥に突き刺さる。その威容にしばし圧倒されていたのも束の間、いよいよ下船の時が近づいてきた。
ゆっくりとゲートが降ろされ、船体が桟橋と地続きになる。ふと船員さんを一瞥すると、こちらを見ながら桟橋の方を指差してくれていた。改めて彼に一礼し、覚束ないながらも桟橋へと歩を進めていった。
ついに念願叶って契島に乗り移った。とは言うものの、とにかく船の運行に迷惑をかけない事で頭がいっぱいで、感傷に浸っている暇などない。それでも目に映る景色を無我夢中でカメラに納めた。本降りの雨が身体を濡らし始める。そういえば傘を座席に置いたままだった。
そうこうしている内に早くも出航の時間。そのまま身を翻して一目散に船体へと乗り込み、再度船員さんに礼を述べた。こうして桟橋に降り立った時間は、恐らく10秒にも満たなかったと思う。上陸と言って差し支えないか微妙なところだが、確かに自分は契島に両足を揃えて降り立ったのだ。しかしその足元は、帰りの船に戻っても変わらず覚束ないままで、自分が確かにこの島にいたと証明づけるような感触をまるで帯びてはいなかった。
進んだ航路をそのまま引き返していく間、私は2階の座席にへたり込んだまま、デッキの向こうで段々と遠ざかっていく契島を茫然と眺めていた。そしてそれから数十分。元いた白水港の桟橋を渡り切って、暖房のよく効いた待合所のベンチに腰掛けた瞬間、ようやく両足の感触が潮目のように戻りつつあるのを感じ取った。
(Twitter)
dino @dinoyama_6699
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