選択的夫婦別姓についての私見まとめ

選択的夫婦別姓とは婚姻の際に現在同姓しか認められていないが、姓を揃えない別姓状態での婚姻を選択するできるようにする制度改革を指す。

元ネタ↓

背景は至極真っ当で、明治以来日本の文化となっている夫婦同姓が社会構造の変化に追従できなくなっているからというのが主たる理由だ。

具体的なデメリットとしては主に3つ挙げられる。

①少子化が進む中、一人っ子同士の結婚が増加し、自分が改姓することで、自分の家の名字が消滅することが人によって結婚に踏み切る障害となること

②氏名が変わることで様々な登録情報を変更する手間を必ずどちらか一方が負う

③名字が変わることで、氏名で記録されている様々なもの(特に表現物)の一覧性が失われ、旧姓と新姓に分断されてしまう

男が外で稼ぎ、女が家を守る昔ながらの家族観が浸透していた明治、大正、昭和の時代であれば、一部の稀なケース(名家のご令嬢と結婚し、婿入り等)はあれど、基本的には妻が改姓することで大きな問題は起きなかった。

①は家は長男が継ぐもの、②、③は社会と繋がる必要のない専業主婦には余り手間にならないからだ。

しかし、平成、令和と時代は進み、女性の社会進出は世界的にも進み、政府も後押しをしてきた。その結果、日本でも結婚前に就労することは勿論、結婚後もキャリアを継続することが当たり前の世の中になった。

それ自体は当然喜ばしいことで、今後も促進されるべきことだが、強制的な夫婦同姓という明治の遺物が上記3つのデメリットを多くの場合、女性に押し付けるような格好になっている。

選択的夫婦別姓は、これを結婚する双方が改姓にデメリットを感じる場合は元の名字を維持する別姓を選択肢に加えることで、それらのデメリットを社会的に取り除くことである。

以上が、私が選択的夫婦別姓に賛同する理由です。

ここからは、なぜ選択的夫婦別姓が進まないか?について分析しようと思います。

検証すべきポイントは2つあると思っています。賛成派と反対派、それぞれが抱える問題です。

まず、最初に分かりやすい反対派の問題から始めます。

反対派の主要な主張を下記リンクより拝借します。

これは自民党議員から参議院に提出された正式な請願書です。これが概ね主張の主であるとし、一つ一つ見ていきます。

“理由(一)夫婦同姓制度は、夫婦でありながら妻が夫の氏を名乗れない別姓制度よりも、より絆(きずな)の深い一体感ある夫婦関係、家族関係を築くことのできる制度である。日本では、夫婦同姓は、普通のこととして、何も疑問を覚えるようなことはなく、何の不都合も感じない家族制度である。婚姻に際し氏を変える者で職業上不都合が生じる人にとって、通称名で旧姓使用することが一般化しており、婚姻に際し氏を変更しても、関係者知人に告知することにより何の問題も生じない。また、氏を変えることにより自己喪失感を覚えるというような意見もあるが、それよりも結婚に際し同じ姓となり、新たな家庭を築くという喜びを持つ夫婦の方が圧倒的多数である。現在の日本において、選択的夫婦別姓制度を導入しなければならない合理的理由は何もない。”

要は同姓は夫婦(≒家族)の一体感を高めるというのだ。こういうスピリチュアルな理由を立法府への請願書の一発目に持ってくるセンスを疑うが、同姓であることは家族の一体感には全く因果関係がない。核家族化、家族の人間関係の希薄化、家事育児に非協力的な旦那問題など家族の一体感が失われていると言われる日本はそういった問題提起がされる前から同姓で今でも尚同姓だ。家族の一体感は徐々に失われていき、個人主義が進行しているのに、そこに別姓は関与していない。また、一般的に日本より家族の優先度が高いと言われるラテン系の各国は夫婦別姓、子供は両姓併記が一般的。両姓併記を別の名字と認識するなら、三者三様の名字で共同生活を送っている。

“(二)選択的だから別姓にしたい少数者の意思を尊重するために選択的夫婦別姓制度を導入してもいいのではないかという意見があるが、この制度を導入することは、一般大衆が持つ氏や婚姻に関する習慣、社会制度自体を危うくする。別姓を望む者は、家族や親族という共同体を尊重することよりも個人の嗜好(しこう)や都合を優先する思想を持っているので、この制度を導入することにより、このような個人主義的な思想を持つ者を社会や政府が公認したようなことになる。現在、家族や地域社会などの共同体の機能が損なわれ、けじめのないいい加減な結婚・離婚が増え、離婚率が上昇し、それを原因として、悲しい思いをする子供たちが増えている。選択的夫婦別姓制度の導入により、共同体意識よりも個人的な都合を尊重する流れを社会に生み出し、一般大衆にとって、結果としてこのような社会の風潮を助長する働きをする。”

選択的夫婦別姓は個人主義を進行させ、離婚率の上昇、子供の不幸に繋がるという主張。これも因果関係は全く立証されていない感情論で、反証は上記の通り、ラテン諸国だ。夫婦が同姓であるか別姓であるかと家族関係が良好にいくかどうかは因果関係が全く無い。

“(三)家庭の機能として、次代を担う子供たちを育てるというものがあるが、選択的夫婦別姓制度導入論者は、夫婦の都合は述べるが、子供の都合については何も考慮に入れていない。一体感を持つ強い絆のある家庭に、健全な心を持つ子供が育つものであり、家族がバラバラの姓であることは、家族の一体感を失う。子供の心の健全な成長のことを考えたとき、夫婦・家族が一体感を持つ同一の姓であることがいいということは言うまでもない。”

またも家族の一体感が登場するが、今度はそれが子供にとって不幸だという話だが、子供は親を選べない。すでに述べたように家族の一体感、良好な家族関係は同姓、別姓に影響を受けない。また、自分の親と名字が違うことについて抵抗感のある方もいるが、それは強制的に夫婦同姓の現状だから感じる抵抗感で、それが選択肢として公的に認められれば、住む家(一軒家、タワーマンション、アパート、団地)が違うことや親が若い、年老いている、両親揃っている、片親などの様々な違いと同一に受け入れられるものだ。様々な要素が家族によって異なるのに、名字だけは例外なく同姓で家族一体でなければならない理由はない。

また、ここには記載されていないが、国体の崩壊に繋がると妄想を展開する人もいるが、先に述べたように、名字は家族関係に一切影響を及ぼさないため、妄想は妄想の域を出ない。

次に賛成派の問題点について述べる。

先に述べたような改姓によるデメリットを解消するために、選択的夫婦別姓を導入するべきだ!という主張をする方には何の問題もない。

問題は改姓に対して、女性蔑視、軽視などの要素を入れて批判し、それをしないで済むように選択的夫婦別姓を導入すべきだという主張を展開する集団である。

この2つのグループには主張として大きな隔たりがある。

前者は合理性に基づき主張しており、改姓を否定していない。

後者は改姓を男尊女卑の一つの形として、改姓を否定している。つまり、選択的と言いながら、主張は強制別姓なのだ。単に、現在強制同姓だから、真逆の強制別姓を訴えず、賛同が得やすい選択的夫婦別姓の毛皮をかぶっているだけである。

そして、選択的夫婦別姓が進まない一番の理由が私は先述した後者のグループによるものだと考えている。

直近の世論調査では74.1%が賛成している。日本が自主独立するために必須と言われる9条改憲でもここまでの支持は得られないだろう。本来であれば、多くの政治家が賛同し、法制化を進めるはずである。

進まないのは何故か?私は強制同姓を男尊女卑の問題とし、選択的夫婦別姓を主張しながら、中身は日本社会は改姓義務により女性を虐げているという内容。残念ながら、選択的夫婦別姓を声高に主張する議員(多くは左翼とされる立憲民主党、共産党、社民党所属)や論客の多くがここに分類される。

これでは、民意は取れず、選択的夫婦別姓というワン・イシューでは支持する74.1%の国民も他の要素が入ってくる選挙では議席を彼、彼女らに与えることはなく、他のテーマで保守と言われる議員は積極的に主張することを自身の支持層から見放されるリスクを避けるために控える結果となる。

何度も主張しているが、最大の敵は無能な味方である。

無能な味方は、その無能らしい言動で主張自体には全く問題がないにも関わらず、賛否がはっきりしていない中間層が離れていく原因になる。

彼らが熱心に主張すればするほど、どんどん中間層は反対側に流れていってしまうのだ。

まずは賛成派の中に混ざる改姓を悪とする間違ったフェミニズム思想を持っているグループの排除が法制化への最短ルートだと私は考える。

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